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宇野常寛の異常な「AKB横山由依」推しはサブカル男子の“こじらせ女性観”丸出しだ!
今月初旬、AKB48のメンバーである横山由依のファースト写真集『ゆいはん』(学研マーケティング)が発売された。横山といえば、昨年、高橋みなみから時期総監督に指名された注目の人物。この写真集の売り上げで存在感を見せたいところだったが、初週の売り上げは1万7000部。出版不況を考えれば十分な数字だが、後に発売されたNMB48・山本彩の2nd写真集『SY』(ワニブックス)が初週で4万2799部を記録したことや、昨年SKEからAKBへ移籍した木崎ゆりあのファースト写真集『ぴーす』(徳間書店)が横山とほぼ同数の1万6866部だったことを考えると、いささか寂しい数字と言わざるを得ない。
この写真集の売り上げと同様に、2014年の第6回選抜総選挙では13年につづいて同じく13位で、なかなか大きなブレイクを果たせずにいる。一般知名度でいえば、"総選挙で泣き崩れ、足をブルブル震わせていた女の子"といった印象がいまだに強いのではないだろうか。
だが、そんな彼女を猛烈に推す有名人がいる。評論家の宇野常寛だ。宇野は横山を「世界の真実」と呼ぶ熱狂的ファンで、握手会では横山レーンで宇野の姿が目撃されることもしばしば。昨年の総選挙前には横山11位に予想し、〈結局は民主主義では計れない絶対的な美の存在について歴史は彼女から学ぶのだろうが〉〈関係ないけれどツイッターの「横山由依ちゃんもぐもぐbot」は彼女がものをたべている映像の画面キャプチャーをひたすらアップしているのだが、あれはほんとうに癒やされるので国宝に指定すべきだろう〉と、ネタなのか本気なのか判断できないコメントを残している。
また、自身が編集長を務める「PLANETS」VOL.8でも横山を表紙に抜擢。当然、横山へのインタビューも自ら行い、横山が2012年にNMBとの兼任が発表されたときのことを「僕も一瞬、これを機に京都に帰って雅な生活を送るべきなんじゃないかって真剣に思いましたね」と本人を前に告白。これには横山も「え、宇野さんがですか。京都に(笑)?」と引き気味だが、宇野は構わず「高田馬場に事務所があって、人も雇っているんだけどほら、世界にはSkypeとかあるじゃないですか。だからなんとかなるかな、とか、僕にとって現代の情報技術はこのために進化したんじゃないかな……(後略)」と暴走。この宇野の横山推しは、現在も変わっていないようだ。
一応、世間的には若手論客として脚光を浴びている彼が、ここまで横山に惹かれる理由とは何か。多くの人にとってはどうでもいい話だと思うが、ここで少し考えてみたい。というのも、ここから宇野の──あるいは彼と同じようなメンタリティを抱える30代サブカル男子たちの──"こじらせた女性観"が浮き彫りになるようにも思うからだ。
まず、そのためには横山の魅力を語る必要があるだろう。たとえば、横山がいつも前面に打ち出しているのは、「はんなり」というキーワードだ。京都出身の京女であるため、出演している缶コーヒー「WANDA」のCMでも京都弁を披露し、関西テレビでは深夜に月1で『横山由依(AKB48)がはんなり巡る 京都いろどり日記』というレギュラー旅番組ももっている。ビジュアルの黒髪ロングヘアも相まって、いかにもおっさんウケがよさそうではある。
だが、実際の横山は「はんなり」というよりも、もっと「汗くさい」人物だ。高橋みなみや篠田麻里子といった先輩の初期メンバーから、同期、後輩にいたるまで、横山を「努力の人」と評する。レッスン開始の30分前から練習を行い、休憩時間も休まず踊りつづけ、楽屋のトイレ掃除も欠かさない。また、京都の実家から東京に通っていた研究生時代には、金曜の夜から深夜バスに乗って東京のレッスンに参加。交通費と宿泊費を捻出するため、平日は高校の放課後にマクドナルドやファミレスでアルバイトし、クリスマス時期には山崎製パンの工場でケーキづくりのバイトをしていたという。
さらに、横山の外せないエピソードは、NMB・山本彩との"友情"だろう。NMBの兼任時代、横山はセンターの重圧を抱えていた山本に対し、「さや姉のその重荷のリュックサック半分持つな」と語ったというのだ。「一生の友」と互いが信頼しあうその関係は、生臭い話題が多いAKBグループのなかでも屈指の逸話。先日26日も、NMB・山田菜々の卒業記念コンサートにサプライズで横山が登場し、山田・山本と3人でユニット曲「太宰治を読んだか?」を熱唱したが、これも山田の卒業発表を聞いた横山が、この日のスケジュールを空けていたのだという。
努力、苦労人、そして情に厚い──。小林よしのりは横山を「礼節と秩序の子」とブログで評しているが、たしかにこれは的を射た表現だろう。秋元康が高橋の後釜として彼女を総監督に決定したのも、こうした点に理由があると思われる。高橋同様、少なくとも責任感から恋愛スキャンダルは慎むタイプにはみえる。
しかし、横山に決定的に欠けているのは、肝心の"アイドル性"だ。ビジュアルの地味さもあるが、男性ファンに媚を売るようなこともなく、ステージ上では全力で人一倍汗をかいているが、そこに努力の影はあっても、アイドルには必須の華やかさはない。──だが、これが宇野にとっては「ちょうどいい」のではないだろうか。
そもそも宇野は、横山を推す前は、SKEの松井玲奈推しだったことは有名だ。『マジすか学園』を観てAKBに開眼し、その際に冷血な猟奇的少女「ゲキカラ」を演じていた松井に魅せられたというが、いつのまにか横山に推し変していたのである。この推し変にいたる心境の変化は何だったのかを考える上で、彼のAKB論をひとつ引いてみたい。
宇野は著書『日本文化の論点』(筑摩書房)で、過去に美少女ゲームにおける"レイプファンタジー"を批判したことを挙げ、現在は〈僕はアイドルについての性の商品化と切り離して考えることはできないかと考えます〉と述べている。そして、〈そのうえで、商品化される商品の性の中に、資本主義のダイナミズムを逆手に取ってそのあり方を拡大し、解放していく可能性を考えるべきだと考えます〉といい、こうつづける。
〈ポップカルチャーにおける性の商品化については、「自分はその性暴力に自覚的である」という自意識をいくら訴えても、そうした行為はむしろ自己反省のポーズを取ることで批判を回避する防衛としか機能しない。それよりも、むしろ多様な消費のかたちを肯定し、推進することで、多様なセクシャリティの表現を獲得する戦略を僕は考えたい〉
さまざまな作品批評のなかでもマチズモ(男性優位主義)を否定してきた宇野にとっては、AKBを肯定するためには、アイドルが内包する"性の商品化"の問題を一旦認めた上で〈多様なセクシャリティの表現を獲得する〉という新たな指針(あるいは言い訳)を打ち出す必要があったのだろう。
これがももクロやBABYMETAL、もしくは解散したものの性的に消費されることに自覚的だったBiSといったアイドルを俎上に載せた議論だったなら非常に頷くところもあっただろうが、さすがにAKBではさっぱり説得力を感じない……という問題はひとまず置いておいて、ここで松井玲奈から横山由依へ移行した理由が見えてくるような気がするのだ。
色白で線が細く、人見知りであることやオタク趣味をことさら強調する松井のイメージは儚げで、いかにも美少女ゲームやアニメのヒロインのような存在だ(意外と頑固な一面もあるが、そのギャップも男性から好まれそうではある)。童貞が願う「こんな処女がいたらいいな」を具現化したようなアイドル──それが松井だとしたら、彼女を推すことは「宇野はなんだかんだ言って処女厨的な趣味なのね」と"痛い奴認定"される恐れがある(実際、松井推しだった時代にはそんな声もネット上ではあがっていた)。そう考えると、セクシュアルな匂いがあまり感じられず、でも処女性は担保し、かつ努力や苦労人という物語性をもつ横山は、宇野にとって「ちょうどいい」存在だったのではないか。どうでもいい話なのだが、そんなふうにも思ったりするのだ。
どうでもいい話ついでにいえば、この横山に肩入れする宇野に対し、小林よしのりはこんな批判を寄せている。それは、「週刊文春」(文藝春秋)が報じた、AKBメンバーが男性ストリップを鑑賞しているという話題で、横山もその一員だったことが発覚した際のことだ。
〈そもそも横山由依は、まだ退廃してはいけなかったと思う。解せないのは、ゆいはん一推しの宇野常寛が嘆かないことだ。やっぱり宇野は進歩的文化人から脱却できないのか? 物わかりが良くて、恋愛フリー、セックス・フリー、 マジなんかダサい、自由が最高というのが進歩的文化人だ。(中略)自分の妻や、恋人が、男性ストリップを見てるのに、ヘラヘラ喜んでる男なんてインポ野郎だろう! 病気としてのインポではない。精神的インポ野郎だ!〉
小林の論理もめちゃくちゃだが、宇野には"進歩的文化人"でありたいがために横山を選んでいるという側面はきっとあるのではないか。そういう意味では、"精神的インポ野郎"とは言い得て妙である。
今年5月には、舞台版『マジすか学園』で横山と松井が主演するという。宇野にとっては本音と建前の欲望が交差する複雑な舞台(あくまで憶測)となりそうだが、一体、どんな思いで観劇に挑むのか。……いや、ほんとうに多くの人にとってはどうでもいい話なのですが。
(サニーうどん)