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米朝さん葬儀に上岡龍太郎氏ら参列「米朝の名前は永久欠番」
上方落語の復興に尽力し、19日に肺炎のため89歳で死去した人間国宝の落語家・桂米朝(本名・中川清)さんの葬儀・告別式が25日、大阪府吹田市の千里会館で営まれた。親族、一門の弟子、関係者ら約1500人が参列し、“戦後上方文化の巨人”に最後の別れを告げた。2000年3月に芸能界を引退した上岡龍太郎氏(73)も姿を見せた。上岡氏が公の場に姿を見せるのは11年12月に都内のホテルで行われた立川談志さんのお別れの会以来3年3カ月ぶり。
【写真】マスク姿で報道陣に囲まれ「今は一般人です」とかわす上岡龍太郎氏
現役時代はインテリで理論派、立て板に水のごとく切れ味鋭いコメントを発し、司会者としても他の追随を許さなかったお笑いタレントだった上岡氏。この日はマスコミを避けるようにマスク姿で出入り。会場内ではマスクを外し、最後のお別れをした。
葬儀後、マスコミに囲まれた上岡氏は何度も「今は一般人ですので」と取材を断った。それでも最後は歩きながらの“ぶら下がり”取材に応じ、「客席からよう見させてもらった」と何度も大好きだった米朝さんの高座を客として見に行っていたことを明かした。
落語好きで立川談志に弟子入りした上岡氏。「最後に見たのはアンドロイドの時」と12年7月の“米朝アンドロイド”の完成会見も見守っていたことを告白。米朝の名前の継承について「今はまだいいでしょう。今はまだ継ぐべきではない。永久欠番でしょう」と話した。
葬儀では俳優の近藤正臣(73)、落語協会会長の柳亭市馬(53)と上方落語協会会長の桂文枝(71)、以前は一門の弟子として桂小米朝を名乗っていた月亭可朝(77)らが弔辞を読み上げた。天皇陛下からの弔意も伝えられた。
なお、実家が神社の神主で、落語家になる前には米朝さん自身も宮司を務めていたことから、葬儀は神式で営まれた。仏教の戒名にあたる諡(おくりな)は「故中川清大人之命(こなかがわきよしうしのみこと)」。出棺時は現役時代の出ばやしの生演奏で送り出された。