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[8.6秒バズーカー]リズムネタ継続も「ゆくゆくは漫才で」
高校生を対象にした漫才コンテスト「ハイスクールマンザイ 2015 H-1甲子園」開催発表記者会見に登場した「8.6秒バズーカー」
リズムネタ「ラッスンゴレライ」でブレーク中のお笑いコンビ「8.6秒バズーカー」(ハチロク)が14日、イオンモール幕張新都心(千葉市美浜区)で行われた高校生を対象にした漫才コンテスト「ハイスクールマンザイ 2015 H-1甲子園」開催発表記者会見に登場。先日、リズムネタの先輩「オリエンタルラジオ」と「藤崎マーケット」から相反する助言を受け、リズムネタの継続か漫才メインに方向転換するのか、悩める胸中を明かしていた田中シングルさん。今後について「どっちかしかやらないというわけではない。どっちもできるようにしたい」と明かすと「『千鳥』さんに憧れてこの世界に入りましたから、ゆくゆくは(はまやねんさんと)2人で完結する漫才をやりたい」と前向きに語ってみせた。
この日は、いつもの赤い衣装を封印し、黒い学生服姿で登場したハチロクの2人。田中さんは「人気者でした。お調子ものというか。バンドをやっていまして、女の子にもてていましたね」と高校時代を振り返ると、「中学生の時は、今の相方とは別の相手と漫才やっていました。相方はその頃『有名人になりたい』って言っていましたね」と苦笑い。また当時「ハイスクールマンザイ」があったことは「知らなかった」といい、「NSCの同期にコンテストの出身者がいて、みんな漫才がうまくて、気がついたら音に逃げていた」と自虐コメントで笑わせていた。
「ハイスクールマンザイ 2015 H-1甲子園」は、プロ・アマ問わず日本の高校に在籍している高校生なら誰でも参加できる漫才のコンテスト。7月中旬~8月上旬に全国約30カ所のイオングループ店内で地区予選、8月中旬に準決勝大会が行われ、決勝大会は8月下旬になんばグランド花月で開催される。優勝者には「お笑い奨学金」として賞金50万円とNSC特待生(入学金・年間授業料免除)の権利などが贈呈される。
発表会には、ハチロクのほか、お笑いコンビ「タカアンドトシ」のタカさんとトシさん、「千鳥」の大悟とノブさん、「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔さんと中川パラダイスさん、人気アイドルグループ「NMB48」の井尻晏菜さん、村瀬紗英さん、川上礼奈さんも登場した。また昨年の同コンテストの優勝コンビ「いなかのくるま」とハチロクの漫才対決も行われた。
本記事は「まんたんWEB」から提供を受けております。
著作権は提供各社に帰属します。
[映画興行成績]「ソロモンの偽証 後篇・裁判」が初登場首位
「ソロモンの偽証 後篇・裁判」のワンシーン (C)2015「ソロモンの偽証」製作委員会
13日に発表された11、12日の映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)によると、宮部みゆきさんのベストセラー小説を映画化した2部作の後編「ソロモンの偽証 後篇・裁判」(成島出監督)が初登場で首位を獲得した。前編で起きた同級生の不審死をめぐって、その真相を突き止めるための学校内裁判がついに開廷される……という内容で、全国313スクリーンで公開。土日2日間の動員数は約12万4300人で、興行収入は約1億6200万円だった。
2位は前回同様、「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載中の松井優征さんの人気マンガが原作の「映画 暗殺教室」(羽住英一郎監督)がランクイン。3位は公開6週目となる人気アニメ「ドラえもん」の劇場版最新作「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」だった。
初登場は、6位に「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督)が入った。かつて“バードマン”役で一世を風靡(ふうび)した落ち目の役者が、再起を賭けてブロードウエーの舞台に挑戦する姿を描いたコメディーで、今年のアカデミー賞で作品賞をはじめ4部門を受賞した作品。全国166スクリーンで公開され、土日2日間で約5万9800人を動員。約8100万円の興行収入をあげた。
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なんと30年!「消せるボールペン」誕生までの長い道のり ―元々はボールペンにするつもりはなかった?
『「消せるボールペン」30年の開発物語』(滝田誠一郎/実業之日本社)
見た目も書き味も普通のボールペンと変わらないのに、専用の消しゴムでこすると、きれいに文字を消すことができる「消せるボールペン・フリクションシリーズ」。前代未聞のこの画期的な商品は2014年ついに全世界で10億本を売り上げ、その人気は留まることをしらない。しかし、滝田誠一郎氏著『「消せるボールペン」30年の開発物語』(実業之日本社)によれば、フリクションボールには意外な誕生秘話がある。フリクションボールはその開発者さえ長い間、筆記具としての応用は頭になかったというのだ。
フリクションボールのインクを生み出した現・パイロットコーポレーション常務取締役である中筋憲一氏は、元々ノンカーボン紙の開発に従事していた。しかし、会社がその研究からの撤退を決定すると、他の研究対象をどうにか見つけ出さなくてはならなくなった。そこで思いついたのが、熱で色が変わるインク。すべては愛知県豊田市足助町にある香嵐渓の紅葉にヒントを得たことがきっかけで始まった研究だった。参考になる論文も皆無に近い状態だったため、研究・開発は当然のことながら試行錯誤の連続だったが、わずか1年程で中筋氏は色が変わるインク「メタモカラー」の原理を発見。1972年には特許を取得した。
だが、開発当初の「メタモカラー」は変色と復色(色が元に戻ること)の温度幅が数度と非常に狭く、その温度設定も厳密ではなかった。そのため、「メタモカラー」は筆記具として売り出すことは想定されず、他の領域で発展することになったという。1976年にはメタモカラーを使った世界初の商品「魔法のコップ」が誕生。これは、花咲か爺さんと枯れ木のイラストが描かれた紙コップに冷たい飲み物を注ぐとピンクの花が咲く仕掛けがされたもので、同じような仕掛けのグラスや熱いお湯を注ぐと絵柄が浮かび上がるマグカップも相次いで商品化された。次第に、指先でこするだけで色が変わる「メタモカラー」は、偽造防止目的でロスオリンピックの球場チケットや南米ボリビアの紙幣、ティズニーのキャラクター商品のタグなどにも採用されるようになり、開発者である中筋氏自身が国内外の企業に精力的に売り込みを行なった結果、ロイヤリティだけでも年間5億円を超える利益をあげるようになった。
開発がさらに進められ、変色と復色温度の幅が広がってくると、2002年、メタモカラーを使った最初の筆記具「イリュージョン」を発売。これは書いた時は黒い筆跡がキャップ頭部についている専用ラバーでこする(=摩擦熱を加える)と、色がカラフルに変化するというボールペンで、売り上げは決してかんばしいものではなかった。だが、2002年にパイロットコーポレーション・オブ・ヨーロッパの代表取締役社長のマルセル・ランジャール氏の発した一言が「フリクションボール」誕生の契機となる。
「『ある色から別の色へ』ではなく、『ある色から透明に』することはできないか?」
日本ではあまり知られていないが、フランスやドイツなどの国々では今でも学校教育の場で万年筆やボールペンが使われている。小学生も万年筆やボールペンでノートをとり、鉛筆と消しゴムは絵を書くことにしか出番がない。書き損じた場合は、化学反応でインクを消すインク消しを使う。インク消しを使うと、修正箇所に同じ万年筆やボールペンで上書きしても、化学反応してまた消えてしまうため、書き直す際には、インク消しでは消えない別のペンをつかわなくてはならない。このため、「筆記用に主に使うペン」と、「インク消し」、「インク消しで消えない書き直し用のペン」の3種類のペンが学生にとって必携となっている。書く、消す、書き直すが1本でできるペンが求められていたのだ。
“消せるボールペン”というコンセプトが出来上がった頃、研究開発においても、「イリュージョン」発売当時、0~40度前後だった「色が変化しない温度の幅」を-20~65度まで広げることに成功。この温度幅によって、通常の使用環境、保存環境で用いても、意図せず筆跡が消えてしまう心配はなくなった。さらに開発が進められ、色のバリエーションが生み出され、消しゴムカスの出ない専用の消去用カバーも開発された。そして、2006年ヨーロッパでの先行発売から8年強で販売本数がシリーズ売り上げ10億本を突破するほどのヒット商品となったのだ。
既存の枠組みに捕われずに様々な活用法を模索したからこそ、“消えるボールペン”は誕生したのだろう。熱にも湿度にも負けず半永久的に色を残そうとしてきたインク開発の歴史からすると、“消せるインク”の開発は「傍流」といっても過言ではない。だが、「傍流」だからこそ、今までにない商品を生み出すことができたともいえるだろう。“消せるボールペン”誕生の歴史には、もしかしたら、ヒット商品を生み出すための秘訣が眠っているのかもしれない。
文=アサトーミナミ
本記事は「ダ・ヴィンチニュース」から提供を受けております。
著作権は提供各社に帰属します。
逆境こそ強みに 湘南美容外科・相川佳之が語る成長のヒント
『情熱経営』(相川佳之/幻冬舎)
美容整形医というと、どのような姿を想像するだろうか。バンバン儲けて野心的? そんな偏ったイメージと正反対の人物が、相川佳之氏である。湘南美容外科でおなじみのSBCメディカルグループを一代で築きあげた人物だ。
国内に42拠点を持ち、年間59万人が訪れる日本屈指の規模の美容クリニックグループは、驚くべき事に、15年前、相川氏がコネも資金もない状態から立ち上がった。短期間になぜこれだけの事業を広げ得ることができたのか。それは、相川氏のほとばしる情熱だけではなく、苦しみを積んだ経験が活かされているからだ。この度、初の著書『情熱経営』(幻冬舎)にて、繁栄の裏側を綴った。
彼の経験は、美容業界の人にはもちろん、多くの働く人に気づきとヒントを与えてくれるものだ。
【悔しさから美容外科を目指す】
相川氏の子ども時代は、父親が事業に失敗し、爪に火をともすような生活。薬剤師の母親が生計を立てた。貧しいけれど、父母共に相川氏を尊重し、さまざまな選択権を与えてくれた。私大の医学部に入ることを勧めたこともそのひとつ。そして相川氏を美容整形外科医へ突き進めることとなったきっかけも同じく父母がもたらした。
中学生の頃、相川氏は低身長に悩んでいた。背を伸ばそうと牛乳を飲み体操する姿を見かねて、両親が身長を延ばす治療を行っている病院へ連れて行ってくれたのだ。しかし診察した医師が言ったのは、ひと言。
「病気ではないので治療できません」
成長ホルモンを注射するには年齢が行きすぎていたのかもしれない。けれど、相川氏の心には、「苦しみを理解してくれない」という悔しさだけが残った。美容外科に来る人たちは、病気ではない。けれど人に言えない悩みを抱えている人は多い。そんな人たちに寄り添った医療を提供しようと思ったのだ。
【逆境がクリニックを延ばした】
湘南美容外科はリピート・紹介率が90%超である。施術を受けた人のほとんどが満足し、口コミで紹介し、再度訪れるという。この圧倒的満足度の高さは、相川氏の逆境あってのことだという。
ひとつは、先ほどの医師の無理解な発言。美容外科に来る人は、ただでさえコンプレックスを抱える繊細な気持ちの持ち主だ。そして、どのような治療を行うか不安を抱えている。
そのような患者に寄り添うべく、同クリニックでは徹底的に情報開示を行っている。それは業界ではタブーであった、ネガティブな情報も含めて。施術後には、腫れや痛みをともなうダウンタイムと呼ばれる期間があることも。それを包み隠さず伝え、理解してもらったうえで施術をおこなう。
また、医師には相談しづらい悩みもある。それを気軽に相談できる存在として、美容カウンセラーを設けた。
そして「お金がない」という苦境もサービスに反映されている。それまでの美容整形外科は、一度にたくさんのお金を落としてもらう仕組みであった。けれど、相川氏は普通の会社員やパート主婦にも利用してもらえるような価格設定をした。ひとりあたりの料金は高くないが、なんども訪れてもらいたい。そんな息の長い関係を築いたのだ。
【私欲ではなく“三方良し”こそ成長の要】
多くの企業は、今より業績をあげ、収益を上げたいと思っているだろう。また、将来起業して社長になりたいと思っている人も多いはずだ。そんな人にこそぜひ知って欲しいのが、この言葉「三方良し」。
これは相川氏の経営理念のひとつ。近江商人の教えから着想を得た。「三方良し」とは、「売り手良し・買い手良し・世間良し」こそ商人のあるべき姿だという。相川氏もこの考えに共感し、社員とも共有している。
自分の企業だけが儲かればいいのか。お客さんにも満足してもらい、そして商売を通じて社会貢献をすることが、成長の原動力となる。それまで行き先がなかった人々。病気ではないけれど悩みを抱えている人の受け入れ先をつくること。その結果、お客さんも満足し、またクリニックも潤うという好循環をつくりあげたからこその成長である。
始まりは美容整形外科だけだったが、現在、薄毛治療や不妊治療。そして自身がかつて望んだ「脚延長外来・小児低身長外来」と診療科目を広げている。また利益の一部は震災の被災者、発展途上国の学校設立などにも寄付されている。
4月は多くの人にとって区切りである。学生から社会人への変化、新しいポジションへ異動など。あなたはどのような働き方を目指すのか。この本は、自身の成長を手助けしてくれる一冊となるだろう。
文=武藤徉子
本記事は「ダ・ヴィンチニュース」から提供を受けております。
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TBS『バナナマンのせっかくグルメ』レギュラー化! 設楽「満を持して」
お笑いコンビ・バナナマンの新番組『バナナマンのせっかくグルメ』(TBS系 毎週月曜24:41~25:11、初回のみ24:42~25:12)が4月20日よりスタートする。過去2回のスペシャル放送を経て、レギュラー化が決定した。
左からバナナマンの設楽統、日村勇紀
同番組は、タレントが地方に出かけ、地元の人におすすめグルメを教えてもらうグルメ旅番組。ロケ先でおいしいものを教えてくれそうな人物をタレント本人が探し、撮影交渉などもすべてタレントが行う。そのため、単なるグルメ探しではなく、地元の人とのさまざまな交流を体験することも。4月20日、27日の放送では、石川県能登島にグルメを探しに行った日村勇紀が民家にお邪魔したり、漁を体験したり、子供たちと真剣勝負したりと、地元の人の温かさに触れる旅をする。
レギュラー化について、設楽統は「最初にスペシャル番組をやったときからレギュラーのにおいがするなと思っていましたので(笑)。満を持してという感じです」と予想通りだと言い、日村は「僕たちくらいメシの話をする40代の芸人はいません。この年代になると食べられなくなったっていう話ばかり聞きますけど、僕たちはごはんの話大好きですから」と適任だと自信満々だ。
また、設楽は「日村さんのVTRを見てあらためて気が付いたことは、日村さんの認知度が高い。顔にインパクトがあるからか、どこに行っても『あ!』ってなる。人気者ですよね。子どもが走って車を追いかけてきたりしますから」と日村の人気ぶりをたたえ、「それと、日村さんのロケは絶対に面白い人が出てくる!」とコメント。日村も「それは自信があります」と話す。
そして、設楽も日村も「これまでは偶然にもいい人に出会うことができて、面白い内容になっていたんです。ですから、その点がレギュラー番組になって不安な部分です…」「今まではたまたまラッキーが続いていただけなんじゃないかって」と若干の不安を口にするが、「この番組で見たコースを辿って旅ができると思います。いろいろなところに行ってほしいですね」「やってて楽しい番組なのでぜひ続けていきたいですね」と意気込んでいる。
(C)TBS