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原爆ドームの石材、瓦…広島大学院生ら平和訴え

 原爆ドームの石材、瓦…広島大学院生ら平和訴え

 

  • 「100年の節目に、ドームのかつての姿も知ってもらいたい」と語る嘉陽さん(広島市中区で)
  •   世界遺産・原爆ドームが建設から100年を迎えるのに合わせ、広島大大学院生の嘉陽礼文(かようれぶん)さん(36)=広島市在住=らが4、5両日、近くの元安川で原爆の爆風で吹き飛ばされた石材や瓦を探し、拾った石材を手にドームの被爆状況を説明する。

      「華やかな建物が、原子爆弾1発で核兵器の惨状を訴えるドームに変わった歴史を伝えたい」と話す。

      嘉陽さんは沖縄県出身。中学生の修学旅行で広島を訪れ、被爆者の女性から「今も広島の川には被爆した瓦がいくつもある」と聞き、広島大に入学した2002年から元安川で石材や瓦を収集した。

      09年には同大の学生や教員らに呼びかけ、「広島大原爆瓦発送之会」を発足。石材や瓦を海外の大学などに贈り、平和のメッセージを発信してきた。原爆ドームが5日、県物産陳列館として誕生してから100年となるため、建物の歴史や変遷を伝えようと今回の行事を企画した。

      同館は県内の物産品を展示販売するためチェコの建築家、ヤン・レツル氏(1880~1925年)が設計し、欧風の外観は多くの人目を引いた。県産業奨励館と名前を変え、その後被爆。爆心地から北西約160メートルと近く、館内にいた人は皆亡くなったという。1966年に市議会でドーム保存が決まり、96年には世界遺産に登録された。

      行事は、両日とも午後4時から約1時間、会員が元安川で石材や瓦を発掘。その後約2時間、拾い集めた石材を示しながら、建物が原爆でどう破損したかなどを通行人らに説明する。市民らが原爆の惨状を後世に伝えようと、ドームの保存に尽力した経緯も語る。

      近くには、写真パネルも展示。被爆前や被爆直後の建物のほか、レツル氏の写真も並べる。5日にはドームそばで献花もする。

      嘉陽さんは「平和のシンボルとして知られるこのドームは、原爆投下がなければ、その使命を背負うこともなかった。建物の元の姿を知り、原爆が破壊したものの大きさを感じてもらえたら」と話している。(藪上遼介)

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