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桂米朝さん死去 ── 米団治「上方落語の世界を大きくしてくださった」。ざこば号泣

 桂米朝さん死去 ── 米団治「上方落語の世界を大きくしてくださった」。ざこば号泣

 

  19日夜に肺炎のため89歳で亡くなった人間国宝の落語家、桂米朝さんの長男で落語家の桂米団治(56)が20日、大阪市北区中之島のリーガロイヤルホテルで、兄弟子の桂ざこば(67)や米朝事務所の田中秀武会長とともに記者会見を開いた。米団治は「上方落語の世界を大きくしてくださった桂米朝師匠、息子としては感謝の気持ちでいっぱいです」とあいさつ。ざこばは「こない上手になくなるというのは、そんなきれいなもんかなと思いました」と言いながら号泣した。

米団治「息子としては感謝の気持ちでいっぱい」

 [写真]父親である米朝さんについて語る桂米団治=20日午前、大阪市内で

  米団治らの会見によると、米朝さんは2009年ごろから何度か脳梗塞を患っていたが、しばらくすると回復するなどしていたという。だが、昨夏に妻を亡くしてからは「葬儀の前と後ではだいぶ体調がかわっていた」と米団治が話す。
 
  続けて米団治は「昨日も昼までは普通にテレビをみていたそうですが、病院から血圧が低いと連絡があり、血圧が最高でも60と聞いて。その後、ざこば兄さんに電話して、直系の弟子も集まって、弟と直系の弟子の仕事のないものがほとんど集まって、全然苦しまずに眠るようにあちらへいかれました」と話し、その場には、ざこばや月亭可朝ら多くの弟子や家族の姿があったことも明かした。
  
  また「伊丹市の病院で、先生が手厚く治療を続けてくださいまして、肺炎の症状ですから、けっこう痰が詰まるんですよ。自分で呼吸をするという力がなくなってきて、はっきりいうたらご寿命です。きれいにあちらへ行かれる準備をされていますといわれました。眠るように亡くなりました。わたしは大往生やったと思います。これだけ上方落語の世界を大きくしてくださった桂米朝師匠、息子としては感謝の気持ちでいっぱいです」と気丈にふるまいながら、あいさつした。

ざこば「こない上手に亡くなるというのは」

 [写真]号泣する桂ざこば=20日午前、大阪市内で

  桂ざこばは「どない言うてええのかわからんのですが、実は1か月くらい前に危篤状態という電話をもらって、駆けつけて『もう無理やな』と思ってたんですが、ところが、また上手に血圧がもどってきまして、今日はもつやろとお医者さんに聞いて、いっぺん解散しました」と、1か月前にも、米朝さんが危篤状態の時があったことを明かした。
 
  「それからは今日に至るわけですけど、なるべく師匠に会いにいって『来ましたで~』っていうたら反応があるわけです。こないだの危篤はなんだったのか?というような感じで。けど、そのうちに、うなずきとか反応がなくなってきて、昨日、米団治から『血圧が下がってます』と連絡うけて、すぐに飛んでいきました。声かけたりしていたら、目もあいてはるし。また回復すると思ってたけど。泣くというよりも『おつかれさんでした』と。こない上手に亡くなるというのは、こんなきれいなもんかなて思いました」と言いながら、こらえきれずに号泣していた。

米朝事務所会長「無念でしょうがない」

 
  次に、田中会長は「師匠と55年になるんですが、残念なことは昨日僕はお目にかかれてなかったんですよ。なんで最後にこんなことになったのか無念でしょうがない」とあいさつした。

 [写真]桂米団治(中央)は気丈に父親・桂米朝さんの最期を語った。涙をこらえる桂ざこば(右)

  後に会見の途中で米団治が「会長もうええやないですか。これまでそれ以上のことをしてもうてます。会長がいなかったら、米朝は人間国宝にもなれていません。ほんまに会長に感謝しています」と声をかける場面もあった。
 
 ■桂米朝(かつら・べいちょう、本名:中川清)。1923年11月6日満州大連生まれ。1947年9月、四代目桂米団治に入門。ほどなく大阪で初舞台。演目は「高津の富」。1963年中村扇雀(現・坂田藤十郎)ら仲間と「上方風流」発刊。1967年から関西テレビ「ハイ!土曜日です」の司会を務める。1969年に厚生年金会館で初の独演会「桂米朝スポットショー」を開催。これをきっかけにホール落語の全国展開を始める。1974年に米朝事務所を設立。1996年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。2002年に文化功労者顕彰。2009年に文化勲章受章。
 

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