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『追憶のカスタネット通り』第1回 「都電が走る町」

 『追憶のカスタネット通り』第1回 「都電が走る町」

 

 

 

  

      1

  

  地下鉄駅の階段を上って地上に出ると、すぐ右手の踏切の向こうを、ゆっくりと都電が走り抜けていった。その黄色に青い帯の入っている車体を見ただけで、心が三十五年以上昔に引き戻されていくような気がする。

 

 

  わかっている――その車体は“レトロ塗装”として、わざわざ昔と同じ塗装が施されているに過ぎない。都内で唯一残っている都電に、古き良き時代の幻を見る人たちのための、ちょっとしたサービスだ。

  その効果は確かにあって、僕のような冷血漢でさえ、その懐かしい姿を目にすれば、胸の奥から温い水が染み出てくるような心地を覚える。今よりは不便で騒がしくもあったのに、それなりに楽しかった時代のことが思い出されて、ふと嬉しい気持ちになったりもするのだ。

 (あぁ……ずいぶん変わったんだな)

  立ち止まったまま周囲を見回して、僕は思った。春の日曜だけあって、かなりの人通りがある。

  この町に僕が住んでいた頃は、都電の線路のギリギリにまで、小さな店が立ち並んでいたものだ。けれど今はそれらの建物は撤去されて、広い道に変わっていた。と言っても、すぐに私鉄の古い高架に突き当たってしまうので、あまり広げた意味があるとも思えない。

 (おまけに、すごいのが建ってるじゃないか)

  すぐ近くには、二十階建て以上の高層マンションが二つ、肩を並べるようにそびえていた。まるで下町に突然出現した、巨大な断崖のようだ。

  さらに目を移すと、私鉄の高架の向こうにも、かつてはなかったマンションが並んでいる。今はどこでもそうなのかもしれないが、限られた土地を少しでも生かそうと、上へ上へと世界が伸びて行っている。

  この界隈が再開発されているという話は、折に触れて耳にしていた。

  どちらのマンションかはわからないが、売り出された時に、大きな新聞広告が出ていたのを見た記憶もある。地下鉄のホームに直結し、都心まで十五分……と、大きく書かれていた。

  僕も都心で働いていたが、その広告を目にした時、あの町まで、それだけの時間しかかからないのか……と改めて思ったものだ。

  たった十五分で、若い日を過ごした町に行ける。それこそ会社帰りに、ふらりと足を延ばすことだって、その気になればできただろう。

  けれど僕は今日まで、この町に足を向ける気にはならなかった。なるはずがない。若い日を過ごした町には、若い日の罪が眠っているのだから。

 (さて……どうしたものか)

  地上に上がって数十秒で、僕は自分がどうするべきか、わからなくなった。

  そもそも、はっきりとした目的があって来たわけではない。ただ、かつて過ごした町を、もう一度、この目で見ておきたくなっただけのこと――ちょっとした気まぐれのようなものだ。

  僕の足は自然と、住んでいたアパートの方に向かった。

  私鉄の高架を潜って区役所の裏に続く道を進み、何度か曲がったところにあるアパートだ。名前は確か“水無月荘”。

 「ねぇ、水無月って、六月の昔の言い方でしょ?」

  ふと、遠い日の尚美の声が甦る。

 

 

  同時にアパートの窓から見えた裏庭の光景が思い出されるから、休みの日にでも交わした、呑気な会話の断片なのかもしれない。あの狭い裏庭には、いつも赤い三輪車が、忘れられたように転がっていた。

 「実は大家さん、ここと同じようなアパートを、たくさん持ってるんですってよ。その一軒一軒に、弥生荘とか長月荘とか、昔の月の名前がついてるんだって」

 「あの大家さんが? 本当かよ」

  当の大家さんを知っていれば、すぐに信じられない話だった。

  大家さんは、今の僕と同じくらいの年代の男性だったが、アパートから五分ほど歩いたところにある一軒家に住んでいた。現実にアパートなんて構えているのだから、けして貧乏と言うわけではないのだろうが、そこまでの金持ちにも見えなかった。水無月荘も十分に年季の入ったアパートだったが、大家さんの家はそれ以上に古く、くたびれていたからだ。

  家全体は木造らしいが、壁に隙間でもできていたのか、まるで絆創膏のように、あちこちにトタン板が張り付けられていた。その錆び具合は一枚ごとに異なっていて、離れたところから見れば、見事なパッチワーク作品――さらに家の周囲には、ビッシリと植木鉢が並べられていて、地元の人はひそかに“花やしき”と呼んでいたものだ。むろん浅草にある遊園地とは無関係である。

 「そんなに金持ちなら、もっとマシな家に住むんじゃないか? 大家さんの家、台風なんか来たら、あちこち剥がれちゃいそうだぜ」

 「わかってないなぁ。本当のお金持ちって、自分のことにはお金を使わないものなのよ」

  そんな金持ちの知り合いもいないくせに、尚美は何でも知っているような顔で言った。

 「雨漏りのする家に住んで、ペラペラの服を着て、三食インスタントラーメンばっかり食べてるのに、金庫の中には札束がギッシリ……なんてこと、珍しくもないの」

 「そんなもんかねぇ」

 「ホントだよ、チャオくん」

  当時の尚美は僕のことを、そう呼んでいた。“久雄”という名前が“ヒチャオ”になって、いつのまにか頭の“ヒ”が、どこかに飛んで行ってしまったのだ。くん付けになっているのは、僕が二つ年上だからだ。

  正直なところ、二十二、三にもなろうという男には、いささか恥ずかしすぎる呼び名だった。だから人前では絶対に使うな……と、さんざん繰り返していたのに、そそっかしい尚美は、その言いつけをすぐに忘れた。それこそ賑やかな商店街を一人で歩いている時、遠くから「チャオくーん!」と呼ばれたことが何度もある。そのせいで顔なじみの肉屋の主人に、外国人だと思われていたことさえあった。

  けれど僕も、尚美のことを怒れない。今の歳になってしまうと、口に出すのも恥ずかしいが――僕も彼女のことを“ニャオミ”と呼んでいたのだから。

  むろん人がいるところでは普通に尚美と呼ぶけれど、二人になると“ニャオミ”になる。我ながら馬鹿ではないかとも思うが、若い時はそうしたものだ。

  今も昔も、その呼び名は彼女にピッタリだと思う。

  なぜなら目が大きく顎の小さい尚美の顔つきは、誰が見ても猫に似ていたからだ。やや釣り目がちの二重の目は大きかったけれど、笑うと、それが一本の線になってしまう。眠っている顔などは、本当に日光の“眠り猫”のようだった。おまけに体を丸めて寝る癖があったから、なおさらだ。

  その彼女の面影を思い出すと、僕は今でも喉元を締められるような息苦しさを覚える。

  あの頃、僕は尚美を心から愛していた。あの古いアパートで一緒に暮らしながら、そう遠くない未来には籍を入れることになる……と、当たり前に考えていたが、きっと尚美もそう信じていたことだろう。

  けれど、それは実現しなかった。僕が彼女を捨てて、この町から逃げ出したからだ。

 (あの後……尚美は、どうしたんだろう)

  別れた後、彼女がどうなったか、まったく僕は知らなかった。

  おそらくは郷里に帰ったはずだが――今では彼女も、僕と同じように髪に白いものが混ざっているのだろうか。お洒落な彼女は、きっと美しく染めているに違いないが、とにかく無事に年齢を重ねていてくれたら、他には何も望まない。

 「おっ」

  やがて私鉄の古びた高架を潜って、僕は思わず声を上げた。

  以前はその高架のすぐ下に、たくさんの家や店が入っていたのだが、それがきれいになくなっていたからだ。

  そもそもが鉄道の高架であることを考えれば、それが普通なのかもしれない。けれど、かつての賑わいを知っている者から見れば、まるで骨だけになってしまった魚を見るような気分だ。

  その高架下には食堂や蕎麦屋が何軒も入っていて、ときどき尚美と食べに来たこともあった。また大学の映画研究会の連中が来ると、必ず連れて行った飲み屋もあった。それが今は、影も形もなくなってしまっている。

  三十五年もの時間が過ぎれば、町が変わっても何の不思議もない。むしろ、変わらない方がおかしい。何せ四百二十カ月以上もの時間なのだ。

  それなのに――過ぎてしまえば、ほんの数年のように感じてしまうのはなぜだろう。

 (この分だと、アパートのまわりも変わっただろうな)

  そう思いながら記憶をたどって歩くと、道路そのものは、逆に驚くほど変わっていなかった。むろん建っている家は変わっているところが多いし、路面もきれいに整えられていたが、道筋は記憶している通りなのだ。だから、この道を曲がれば、あの通りに出るはず……という思いが裏切られることが、まったくと言っていいほどなかった。

 (それにしても……相変わらず面倒だな、この界隈は)

  三十五年前に越して来た時、この界隈の裏路地の複雑さには、尚美と一緒に舌を巻いたものだ。

 「まるで酔っぱらった蜘蛛が作った巣みたいな町だよ」

 「横棒を、目いっぱいに書き加えちゃったアミダくじみたい」

  この町の路地の様子を、二人で思い思いに表現したが、結局は“迷路のようだ”と言っているのは同じだった。

  区役所の裏側に繋がる大き目の路地を木の幹に例えると、それが細かく枝分かれして、四方八方に伸びている。それが思いがけない形で繋がっていたり、逆に繋がっていなかったりした。

  たとえば昔、この近所には“月の湯”という銭湯があり、その煙突が今で言うランドマークの役割を果たしていたものだが、その煙突を見ながら銭湯に行こうとしても、簡単には行けなかった。

  すぐ近くに見えているのに、大きく迂回しなければならなかったり、いきなり袋小路の行き止まりになっていたりしたからだ。どこかの家の庭先には『通り抜け禁止 警察に通報します』という注意書きの板がぶら下げられていたくらいで、きっと路地の複雑さに業を煮やし、勝手に人の家の庭を通り抜けて行く猛者が絶えなかったのだろう。

 「このあたりは戦後のバラック街が、そのまま固まっちゃったようなもんだからね」

  若い頃、よく通っていた食堂の店主に教えられたことがあるが――あれは冗談半分、本気半分だったに違いない。

  それと言うのも、その界隈は小さな家が密集していたが、玄関の方角や家の向きが妙にバラついていて、統一感に乏しかった。まるで早いもの順に家を建てた結果、心ならずもできあがってしまったかのような町並なのだ。

  その路地の複雑さは、今も健在だった。多少は整理された部分もあるのだろうが、酔っぱらった蜘蛛が作った巣のような印象は変わらない。

  やがて僕は、一本の細い路地に出た。車一台が、ようやく通れそうなくらいの、細い通りだ。

  そこはかつて尚美が“カスタネット通り”と名付けた路地で、緩やかに曲がった道なりに行けば、かつて二人で暮らした水無月荘の前に出る。

  昔の僕は、この道を尚美と連れ立って、毎日のように歩いていた。時にはパトロールしている警官の目を盗んで、自転車の荷台に尚美を載せて通ったりもした。

  今も当時と印象が大きく変わらない道を歩き――やがてたどり着いた場所に、すでに水無月荘はなかった。

 

毎週木曜日に更新。次回は4月2日に公開します。
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