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鉄道トリビア (301) 武田鉄矢作詞、海援隊のあの代表曲は国鉄のために作られた
国鉄のキャンペーンソングといえば、山口百恵の「いい日旅立ち」が有名だ。1978年に発表されて大ヒットした。作詞作曲は当時フォークグループ「アリス」で活躍していた谷村新司。制作前から曲のタイトルは先に決まっており、国鉄のキャンペーンに協賛した日立製作所と日本旅行の文字が入っている。往年の鉄道ファンにはよく知られた話だ。
JR西日本の新幹線車両では、現在も車内放送チャイムに「いい日旅立ち・西へ」が使われている
このとき、じつは武田鉄矢も自ら所属する海援隊の曲として国鉄のキャンペーンソングを作っていた。残念ながら採用されなかったけれど、その曲はいまも海援隊の代表曲のひとつになっている。その曲は「思えば遠くへ来たもんだ」。武田鉄矢が作詞、作曲はフォークグループ「ふきのとう」の山木康世だった。
この曲が国鉄のキャンペーンのために作られた話は、2014年10月13日に放送されたテレビ朝日系列『徹子の部屋』で、武田鉄矢自身が語っている。
黒柳「『思えば遠くへ来たもんだ』は国鉄の歌なんですって?」
武田「国鉄から頼まれて 旅ものキャンペーンソングやるって仕事を事務所の社長が持ってきた。所属タレントにやらせたんです。ボクらも、いいの作った~と提出したけど落選。なぜかといえば、もっといい曲ができたって。これが強力で 谷村新司さんが山口百恵さんに作った『いい日旅立ち』だったんですよ」
黒柳「あれはヒットしましたものねェ」
武田「百恵さんには結構煮え湯を飲まされたんですよ(苦笑)。いや、ボク、百恵さん好きだから、好きで飲んだんですけれども。ボクが『コスモス』ってラブソングを作ったんですよ。そのときもさだ(まさし)さんが百恵さんに『秋桜』って曲を作って(笑)。ボクのほうはホントに売れませんでしたね」
黒柳「でも、『思えば遠くへきたもんだ』も海援隊でヒットしましたからね」
武田「まあ、良かったですよ(笑)」
「いい日旅立ち」は名曲として歌い継がれ、2006年に徳永英明、2007年に中森明菜もカバーしている。作詞作曲の谷村新司もセルフカバーしており、最近もフジテレビ系列の音楽番組「水曜歌謡祭」で歌っていた。幅広い世代に親しまれている曲だけど、若い人は国鉄のキャンペーンソングだったとは知らないかもしれない。なにしろ国鉄がJRに移行して28年。いまの20代は国鉄を知らない世代だ。
「思えば遠くへ来たもんだ」は、踏切から夕日へ向かって走る貨物列車が歌い込まれている(写真はイメージ)
現在も「いい日旅立ち」は鉄道に縁が深い。JR西日本の新幹線車両では、車内放送のチャイムに「いい日旅立ち・西へ」が使われている。今年3月で廃止された寝台特急「トワイライトエクスプレス」の車内放送でも使われていた。これは2003年に、JR西日本が「DISCOVER WEST」というキャンペーンを実施した縁だ。キャンペーンソングは谷村新司が新しい歌詞の曲を提供し、鬼束ちひろが歌った。
「思えば遠くへ来たもんだ」も、海援隊の代表曲のひとつとして長く歌われている。国鉄のキャンペーンソングに落選したとはいえ、リリースから2年後の1980年、武田鉄矢主演の映画『思えば遠くへ来たもんだ』が制作されて主題歌となり、1981年には古谷一行主演のテレビドラマ『思えば遠くへ来たもんだ』『続・思えば遠くへ来たもんだ』が制作された。ドラマ版の主題歌は古谷一行が歌っている。
国鉄のキャンペーンソングは他に、1977年に小林啓子が歌った「レイルウェイ・ララバイ ~一枚のキップから~」、1984年に郷ひろみが歌った「2億4千万の瞳」などがある。ちなみにTOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」は国鉄ではなく、JR東海のキャンペーンソングだった。こちらは現在も東海道新幹線のJR東海所属車両の車内放送チャイムに使われている。
※文中敬称略。写真は本文とは関係ありません。