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日本アカデミー賞受賞!『永遠の0』は平和ボケの戦争賛美ファンタジーにすぎない

日本アカデミー賞受賞!『永遠の0』は平和ボケの戦争賛美ファンタジーにすぎない 

  やっぱり、獲ってしまったか。本日、百田尚樹原作の映画『永遠の0』が第38回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞したのをはじめ、主演の岡田准一の最優秀主演男優賞、山崎貴監督が最優秀監督賞と、計8部門で最優秀賞を獲得し、話題を独占した。百田も受賞打ち上げパーティに参加し「なんで最優秀賞原作賞がないんや!」とツイートするなど大はしゃぎだ。
 
  あいかわらずの日本アカデミー賞のお手盛り感とレベルの低さにはうんざりさせられるが、だとしたら、本サイトもしつこいと言われるのを覚悟で、何度でもこの作品のもつ問題を指摘しておかなければならないだろう。
 
  本サイトでは先日、特攻を描いたこの作品が、百田とその支持者がいうような「反戦小説」でもなんでもない、むしろ戦争賛美小説であることを指摘した。軍上層部を批判してはいるが、こうすれば勝てたのにと作戦内容を糾弾しているだけで、戦争を始めたこと自体は一切批判していない。特攻隊員が生命をかけていることについては悲劇的に描いているが、彼らが米軍機を容赦なく撃ち落としていることはまるでスポーツ解説でヒーローを褒め称えるように全面肯定しているだけだ、と。
 
  しかも、『永遠の0』の罪は、たんに戦争肯定しているというだけではない。最大の問題は、それが戦後民主主義の安全地帯から語っている”平和ボケ”ファンタジーでしかないことだ。
 
 『永遠の0』のストーリーは、平成を生きる青年が語り手となって、特攻で死んだという祖父の軌跡を、戦場での知り合いを探し出し、たずね歩くというもの。戦友たちによると、祖父・宮部久蔵(映画では岡田准一が演じた)は、零戦パイロットとして天才的な技術をもちながら、「死にたくない」「生きて帰りたい」が口癖の海軍航空隊一の臆病者だったという。
 
  戦友たちの口からは、宮部の思い出と同時に、真珠湾攻撃に始まり、ミッドウェー、ラバウル、ガダルカナル、サイパン、レイテそして特攻、終戦と日本軍の戦いぶりが語られる。
 
  しかし、そもそも、日本軍で「死にたくない」「生きて帰りたい」と日常的に公言するという主人公の設定自体が、あり得なくないか? 当時は、一般庶民でさえ、心の奥底では「戦地に行かないで」「生きて帰ってきて」と思っていても、世間の空気的にそんなことは絶対に言えず、「万歳」と送り出すしかなかった、そんな時代なのだ。
 
  戦時中、多くの文学者が転向するなか数少ない反戦を貫いた詩人・秋山清が発表した、「送行」という詩を読んでもらいたい。…安田末吉は三十五才。/株屋の店員から/徴用工―応召。/この飛躍は/米軍マーシャルに迫る/緊迫と軌を同じうする。/ゆく者は生還を期すにあらず。/しかも送行の三十里の車中は/なごやかな談笑にすぎた。/暮れなずむ印旛沼は/しろく冬ぞらをうつし/兵舎町の駅のホームに立って/君は手をあげた/君をおいてわれわれは走り去った。/松山や/麦畑や/なだらかな丘の勾配や/雑木林や/冬枯れ乾いた風景を送って/電車は灯のない東京の街にかえった。/家のなかはひっそりとした団欒であった。/母と妻と七才の娘と/明日からこのさびしさに親しむだろう
 
  現代の読者には、これのどこが反戦なの?とピンと来ないかもしれない。でも、これが精一杯の抵抗とされていたのが、当時の空気なのだ。
 
  そんな中で、軍人が「生きて帰りたい」と公言して、「海軍一の臆病者だなあ、お前は」的な笑い話ですませられるわけがないだろう。
 
  そんなところから、最初に『永遠の0』を読んだときは、もしかして、これ、タイムスリップ小説なんじゃないか、と思ったほどだ。実は、宮部は平成の世界からタイムスリップしてきた未来人で、「死にたくない」っていうのは、現代人の感覚で軍の空気読まずに言っちゃってる的なことなのか、と。それくらい、宮部のメンタリティが現代人そのままなのだ。
 
  宮部が真珠湾、ミッドウェー、ラバウル、特攻と派手めな有名どころの戦場にばかり都合良く顔を出しているのも、坂井三郎、西澤廣義といったスター・パイロットと絡むのも、歴史ダイジェスト的なタイムスリップものと思えば、納得できる。
 
  しかし、当たり前だが、最後まで読んでも「宮部は未来人だった」というオチは出てこなかったし『永遠の0』はタイムスリップ小説ではなかった。スリップしているのは百田尚樹の頭のほうだったのである。戦後の平和ボケ的な価値観そのままで戦争を描いているだけ。しかも、本人はそのことに全く気づいていない。
 
  それがもろに出ているのが主人公の孫が訪ね歩いた祖父の戦友たちの証言だ。彼らはさんざん孫に戦争体験を語り聞かせながら、その一方で、彼らの台詞の中にはこんな言葉が頻繁に登場するのだ。
 
 「戦後になって、ミッドウェーの敗北の原因をいろいろ本で読んで知りました。」
 「戦後になって、この時のことが「運命の五分間」と言われて有名になりましたね」
 「もっとも今、お話ししていることはすべて戦後に知ったことです」
「もっともあの島で何が行われていたのかを知ったのは戦後です」
「これらも戦後知った知識です」
 
  おそらく、この「戦後になっていろいろ本で知った」というヤツが、今、ネットで盗作ではないかと指摘されている記述の一部なのだろう。…まあ、「本を読んだ」という登場人物が出てきて、その本の内容を語っているわけだから、盗作というのはちょっとちがうと思うが、しかし、わざわざ登場した戦友が生の体験でなく、「戦後」に知った情報を語ってしまうということ自体が、この小説の本質を物語っている。
 
  ようするに、『永遠の0』は戦争のリアリティなどかけらも知らない百田が、現代の平和ボケの頭で、戦記物や戦闘シミュレーションをつぎはぎして、それらしい物語にしているだけなのだ。だからこそ、無意識のうちに飢えや戦友同士の殺し合い、強姦といった戦場の悲惨さの描写をネグり、戦術をああだこうだと、まるでスポーツの試合かヒーローもののように、戦争をエンタテインメントとして扱ってしまう。
 
  しかも、最悪なのがそのことに対して、百田自身がまったく無自覚なことだ。
 
 『殉愛』騒動で”噓八百田”と呼ばれるようになった百田だが、「『永遠の0』は戦争賛美でない」というのは決してウソをついているわけではなく、おそらく本気でそう思い込んでいるのだろう。それは、ネトウヨたちが戦争の悲惨さや狂気を見ずに、自分は戦場に行く気などさらさらないのに、「日本を守るために他国を攻撃するのがなぜ悪い!」と叫んでいるのとほとんど同じだ。
 
  自称インテリの連中はこうした批判に「たかが映画に何をめくじらたててるんだ」というかもしれない。しかし、この無自覚な愛国心は今、ものすごい勢いで日本中に広がっている。そして、『永遠の0』はきわめて戦後的な平和ボケの頭で書いた戦争賛美小説だからこそ、これだけの大衆的人気を獲得し、映画もアカデミー賞を独占するくらいにヒットしてしまったのだ。
 
  後で歴史を振り返ったときに、この作品が日本の転換を象徴する存在になっているような気がしてならないのだが……。
 (酒井まど)
 
 【リテラ編集部注 2/14初出の記事「ドラマ化!百田尚樹『永遠の0』はやっぱりネトウヨ丸出しの戦争賛美ファンタジーだ!」を再編集し、掲載しました。】

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