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ちょっとシュールに「猫街鉄道放浪記」 (24) ヤバくないですか!?

ちょっとシュールに「猫街鉄道放浪記」 (24) ヤバくないですか!?  厚木基地って厚木にあらへん

 厚木基地といえば、連合軍最高司令官マッカーサーが降りたところだが、ここに今もなお、基地に入る謎の廃線鉄路があるという。そこで私は謎の鉄路を探りに、厚木基地周辺に飛んだ。

 ところで、厚木基地というのはどこにあるのだろうか。神奈川県厚木市だと思った方、答えは「ニエット」である。

 厚木基地といっても、神奈川県厚木市にはないのだ。厚木市は神奈川県の中央を流れる相模川の西側であるのに対し、厚木基地がある綾瀬市と大和市は、相模川の東側であって、おまけに両市と厚木市の間には、海老名市というのが挟まっている。それなのに、なぜ厚木基地というのかは謎である。厚木・海老名出身の「いきものがかり」に聞いても、おそらくわからないだろう。わたしも「ニズナーヨ」である。

 厚木基地の正式名称は、「厚木海軍飛行場」であり、現在、在日米海軍と海上自衛隊が共同で使用している。もともとは、旧日本海軍によって1942年に開かれた飛行場である(ここでは、通称の厚木基地という名前を使うことにしたい)。

 それはともかく、厚木基地に続いている鉄路は、大和市にある相模鉄道(相鉄)相模大塚駅から分離しているという。そこで、横浜から相鉄に乗ることにしたのだ。

 相模鉄道の保線車両「じゃりべー」。なぜかカメの甲羅にじゃりが山盛り。保線車両には「じゃりぼー」という兄弟車両がある。こちらはカメがネコ(一輪車)を押しているイラスト。写真は西横浜駅にて(2008年7月)。今回の話とは全く関係ないが、のんびりした鉄道ということでお許しを

 相模大塚駅についたら、「横浜築港150周年記念 走れ! みんなの横浜号」っていうのが停まっていた。横浜をイメージした絵をラッピング。横浜といえば、海の青と動物園。ジャイアントパンダはいないけど、オカピはいます

もしかして、スイッチバックですか?

 さて、相模大塚駅南口を出て海老名方面に線路なりに歩いていく。1つ目の踏切をいったん反対側にわたり、海老名方面に少し行くと、大きな踏切にぶつかる。ここが「相模大塚2号踏切」(大和市上草柳333-1)である。今度はこの踏切を、また元の側にわたる。

 踏切をわたりきったあとで進行方向左手側を見ると、単線の線路が分岐している。これが謎の鉄道の始まりである。鉄道の名前は判然としないのだが、どうやら「相模鉄道航空隊線」というらしい。米軍の専用線である。

 手製の階段。ここをまたぐと駅への近道。3分の間に3人も通った

 「在日米軍横須賀海軍施設」から横須賀線田浦駅を経て、あるいは「在日米軍鶴見貯油施設エリア」から鶴見線安善駅を経て輸送されてきた貨物列車は、このポイントから厚木基地に入っていったのだろう。調べてみると、いったん海老名方面に行って、スイッチバックで基地に入っていった列車もあるらしいが、はっきりとしたことはわからない。10年前の1998年までは、厚木基地へ行く貨物列車が運行されていたらしいということはわかった。

 しかし、それにしても錆びついた線路である。休線状態とはいえ、もちろん線路内を歩くわけにはいかない。そこで、いったん踏切をすぎ、専用線がある方向を見当をつけて歩いていく。すると、線路をまたぐ小道発見。ご丁寧に、路肩を登る際のちょっとした手製の階段すらある。もっとも、踏板もないので地元住民が黙認されて使っているのだろう。文字が薄くなった「通行禁止 線路内の通行は危険ですからやめて下さい 大和警察署、相模鉄道(株)」という立て看板が立っていた。

 錆ついた線路。ここから厚木基地に入っていく。線路は単線だ

 先ほどの踏切の方を見ると、「入替信号機」が「停止」のまま点いている。この約10年点いている(?)入替信号機は、マニアには有名だそうだ

道路を横切り、さらに奥へと線路は続く

 昔、遮断機があったのだろうか

 線路は右手の方向に続いていく。いったん県道横浜厚木線に出て、基地の方向に歩いていき、横道に入る。すると、専用線との踏切が見える。「CAUTION 踏切注意」と踏切警報機には標識が貼られている。さすが、基地の町である。左右をみやると、長い間使われていないために、雑草に鉄路が覆われている。架線の柱もなんだかうらさびしい。

 再び、県道横浜厚木線に戻ると、黄色の踏切の標識があり、専用線はここで県道とクロスする。そこには信号機があるものの、点っていない。

 「CAUTION 踏切注意」と書かれた標識が、なんとなく日本の敗戦を意識させる。10年間、列車は通っておらず、踏切警報機はツタが絡まる

民家の軒先を縫うように走る専用線と第4種踏切

 シュールな雰囲気漂う踏切

 専用線は県道を横切り、民家の軒先を縫うように進んでいく。日はどんどん落ちて薄暗くなっていくが、ここは迷わず先に進む。民家の前には、遮断機も警報機もない踏切がある。第4種踏切で、錆びた「踏切注意」の標識がある。近くにはもうひとつ第4種踏切があり、こちらの標識も錆びていて、英語とひらがなの「STOP でんしゃにちゅうい」というものだった。専用線はさらに、続く。しかし、10年の間木が生い茂り、線路の行方をふさいでいる。幾たびも踏切をわたって専用線はまだまだ続き、ついには東名高速をわたるのであった。橋をわたると、子どもたちの笑い声が。どうやら専用線は帰り道に使われているようだ。

 雨が降りそうな曇天のなか、専用線探索は進んでいく

 第4種踏切と錆びた標識

 これでは列車は通れません

 「航5」とは航空隊線だからか

 東名高速を渡る(「大和6号橋」)

 帰り道

厚木基地に、線路は続くのか?

 まだ、線路は続く

 しかし、冬の日は落ちるのが早い。これでは専用線探査もままならない。左手の駐車場を見ると、アメリカ人の家族が車から降りるところだった。戦前なら、緊張が走る状況である。再び鉄路を見ると、ゆるやかに右に曲がっている。そしてまた、踏切。前方を見ると、明るい灯が点っている。「あれは、パリの灯だよ、パトラッシュ! 」……ではなく、厚木基地である。

 踏切から約150mほど行くと、基地のフェンスがある。線路が基地に続いているかどうか、目を凝らしてみたところ、フェンスのすぐ手前で鉄断され、基地内には線路がなかった。しかしそのとき既に私は、シャッターを押す勇気をもはや持ちえていなかった。

 厚木基地前、最後の踏切。明るいところが厚木基地(手持ち1/2秒)

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