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日本の「端」を巡る旅 (21) 青ヶ島(2)–島を形づくる壮大な二重カルデラ
カルデラと海の大パノラマ
青ヶ島に、何をしにいくか。人口200人の島、黒潮の只中に屹立する島である。年間に訪れる観光客も、島の人口と同じ程度だという。周囲は、外からだけでなく、内からも人を拒絶するような断崖絶壁。ビーチはないし、気軽に遊べる磯もない。海に囲まれていても、その海へ容易にたどり着けない島なのである。
周りは黒潮の海だから、魚の宝庫。釣りはいいに違いない。船で出ればさらに言うことなしだろうが、島内でも三宝港で釣れるようだ。けれど僕はいまのところ、とくに釣りはやらない。となれば、島の中である。
島内の見所といえるスポットはいくつかあるが、とりわけひとつ、抜きんでて素晴らしいものがある。この島の存在自体を、地理的に、そして歴史的にも特徴づけている場所。それが、カルデラだ。
青ヶ島は、言ってみれば絶海に突き出た複式火山の頂上である。しかも外輪山と内輪山を持つ二重式のカルデラとなっている。これまでに度々の噴火を繰り返し、現在の青ヶ島の姿が形づくられた。外輪山内部のカルデラには「ひんぎゃ」と呼ばれる噴気孔を見ることができ、この地熱を利用したサウナ施設や、地熱の蒸気で作る島特産の塩「ひんぎゃの塩」の製塩作業所がある。
外輪山北西部に位置する島の最高地点・大凸部から、カルデラの全体像を望む。中央、プリンのように盛り上がっている丘が内輪山の丸山。その周囲がサウナや製塩所のある池之沢地区。向かいの峰が外輪山の南側の弧で、島の南端。その向こうはすぐに海だ
青ヶ島はテーブルに立てた卵のような形をしていて、真ん中から下、卵のふくよかな丸に相当する南半分が、外輪山に囲まれた二重カルデラとなっている。人々が暮らす集落は北のほう、卵のとがった部分。前回のヘリポートが集落のもっとも北、島全体でも最北端に程近い場所に位置している。
島の最高地点、標高423mの大凸部(おおとんぶ)から東に弧を描く外輪山北側の峰が、集落とカルデラとの境を成す。青ヶ島にきたら、とにかくこの大凸部に登ってみるのが最大のおすすめ。ちょっとした山道ではあるが、集落から最短ルートを登ればゆったり行っても30分程度だ。頂上からの眺めは、まさに360度の大パノラマ。中央の内輪山(火口丘)である丸山の姿と、それを巡る外輪山……すなわち二重カルデラの全体像を一望することができる。そして周囲は、一面、黒潮の海である。
大凸部からカルデラの反対側、島の北側へ振り向くと、集落が見える。写真中央やや右の小さな円はヘリポートで、その左上が島の最北端・黒崎と金毘羅神社の屋根
集落から大凸部に登る道は、だいたいこんな感じ。大凸部から外輪山北側に沿ってもこのような山道のハイキングコースがあり、またカルデラ内部にも内輪山を一周する散策路が整備されている
いちばん最近の噴火は、江戸時代の天明年間(1780年代)のこと。「天明の大噴火」と呼ばれるこの爆発では、当時300人程度だった島民の100人以上を失う多大な被害を出した。生き延びた島民たちも全員、八丈島への避難を余儀なくされる。
ようやくの「還住」(帰還)が叶ったのは、ほぼ40年の後。島にはこの帰還と復興を記念した「還住像」が建ち、八丈島と青ヶ島を結ぶ定期船の名も「還住丸」と名づけられている。
青ヶ島小中学校の南側、児童公園の脇にある還住像。1785(天明5)年の大噴火で八丈島へ避難した島民たちは、およそ40年後にようやく島への「還住」を果たした
港へと続く崩落の道
今回宿泊したアジサイ荘は、集落の西側のはずれに近く、西海岸へ向かう道すがらにある。アジサイ荘の前を通った道は、太平洋から屹立した200mにも及ぶ崖の上を縫うようにして、島の南西にある三宝港までつながっている……いや、つながっていた。現在は、道が途中で崩落しているのである。ひとまず行けるところまで行ってみようと思い、歩き出した。
三宝港へ向かう西海岸沿いの道へ入る手前、道路の真ん中に「通行止めのお知らせ 道路崩落のため三宝港へ通り抜けは出来ません」という案内板が、土嚢に守られ立っている
青ヶ島の地形を造り上げたもうひとつの要因が、西から打ち寄せ吹き寄せる……いや殴りつけるといってもいいかもしれないほどの、波と風である。西海岸の崖上の道を歩き始めれば、身をもってそれを実感できる。はるか眼下で、断崖にぶち当たり砕け散る黒潮の波の音が始終聞こえている。
集落から港に向かい西側すなわち進行方向右側は、上に書いたように海へ落ち込む絶壁。そして道の左は二重カルデラの外輪山の外壁となる崖……どちらを見ても崖である。道路にはいたるところに、山から崩れた火山礫のような黒い小石や、砕けた岩の一部、時には大きな石の塊もゴロリと転がっている。
三宝港までの道は崖伝いで、アップダウンが激しい。地図で見るかぎり集落から三宝港までは2km程度に思えたが、道の上下と、この日は気温も高かったから、徒歩ではけっこうハードだった
道にはこんな岩や石ころがゴロゴロ。山の斜面側を見上げると、いつ崩れてきてもおかしくないような状態である。たしかにクルマはいうまでもなく、歩きでも危ないのかも
アジサイ荘から30分ほど歩いたろうか、やがて断崖のはるか下方に三宝港が見えてきた。「ここからあすこまで下りるのか」と考えるだけで足取りが重くなるほど、はるかな眼下に見える。しかし不安も杞憂に終わる。そのすぐ先で、道は見事に崩落し、完全に寸断されていた。いやほんと、つい「見事」と表現したくなるくらいに。
後に役場の人に尋ねてみたところ、2001年に起きた地震で大きく崩れ、修復しようとしたこともあったが、その後も崩落が起きて結局そのまま。今後も具体的な修復の予定は立っていないとのことだった。ともあれ、大自然の驚異と、この島の厳しさが、身に染みる光景であった。
完璧に崩落した道路。その下には、海が……見えるのかもしれないが、路面が板チョコのように崩れているから、際まで近づく気なんてさらさら起きず、自分の目で覗き込んでいないので実際はわからない
青ヶ島唯一の着岸港・三宝港。八丈島からの定期船・還住丸もここに着く。外海に面しているため波が荒く、着岸は容易ではない。もうひとつ東海岸にも大千代港があるが、港へ通じる道が崩落し、現在は使われていない
そんなわけで、集落から港へ直接つながる道は、いまだに通行できないまま。現在、港と集落のアクセスは、三宝港から外輪山の下を突き抜けるトンネルでいったんカルデラ内部に上り、内輪山を巡って反対側の外輪山をまたトンネルでくぐり、東海岸から集落へ北上していくという大回りのルートが使われている。
その、東海岸。この海の向こうに日本の陸地はない。北緯32度27分。東へまっすぐ線を引っぱっていくと、その先にあるのは北米大陸。アメリカからメキシコへ国境を越えた辺りの海岸にズンとぶつかる。宗谷岬とか、対馬とか、与那国島とか、わかりやすい国境を間近に望む土地ともまた異なった”日本の端”の感覚を、この島では間違いなく抱くことができる。
名物・青酎とオオタニワタリ
村役場の目の前に、一軒の小さな建物。「集会室・図書・武道館」と書いてある。その前でウロウロしていたら、役場から出てきた一人のおじさんがフレンドリーに話しかけてきた。「中に青ヶ島に関する資料が飾ってあるから、よかったら見ていきませんか?」。中はというと、改装中。図書室も本棚はまだ本が並べかけだ。「ここには武道室もあったんですが、新しい体育館に武道室ができたので、この空きスペースを利用して資料を展示しようということになったんです」。かつて生活に使われた道具や、村の古い資料などが並べられている。聞くとそのおじさん、実は青ヶ島村の教育長さんだそうで。わざわざありがとうございました。
村役場の向かいに建つ「集会室・図書・武道館」。訪問当時は内部が改装中だったが、現在はそれも済んで開放されている。展示資料は「いつも同じものではなくて、その時に応じて変更しています」(役場の方)とのことだ
(左)壁に掛けられた青ヶ島の図。教育長さんは図左側(西海岸)を指さし「西海岸はまっすぐになっているでしょう。波と風で長い間削られて、海岸線がこんなまっすぐになってしまったんですよ」(上)青ヶ島小中学校は渡り廊下もあり、けっこう立派な建物。この島はどこへ行っても勾配だらけだから、学校も斜面に建つ
この島の宿は基本的に3食付きだから、昼になると昼食で宿に戻る。もちろん晩飯も宿で。アジサイ荘では夕食にトビウオの刺身をいただきながら、青ヶ島の焼酎、通称「青酎」(あおちゅう)をチビリチビリとやった。
原料はサツマイモ。要は芋焼酎だが、麹は麦で、麹づくりには青ヶ島の特産植物オオタニワタリも利用する。香り強烈、味も個性的。ソムリエの田崎真也さんも惚れ込んだという青酎を味わいつつ、青ヶ島最後の晩が過ぎゆくのを静かに惜しんだのであった。
(左)伊豆諸島は、実は焼酎の名産地。中でも青ヶ島の焼酎はクセが強いので好みは分かれるだろうが、酒好きにはやはり一度は試してほしい(右)青酎づくりに利用されるほか、天ぷらで食されることもあるシダ植物の一種・オオタニワタリ。真ん中でひょこひょこと立っている部分が、春に芽吹く新芽である
八丈島からの還住時に尽力した名主、佐々木次郎太夫の屋敷の跡。建物は台風で倒壊してしまい、いまではソテツがうっそうと生い茂っているが、残る玉石垣が往時を偲ばせる
集落から東海岸へ向かう途中、外輪山へと階段を登っていくと、島の総鎮守である大里神社が姿を現す。途中の階段は眺めが素晴らしいが、かなり急峻で、草に覆われているところも多く、滑るので注意
次回は八丈島編、終戦直前日本のフロントに、をお送りします。