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つけ麺の父「大勝軒」山岸一雄さん死す…のれん分け100店以上
「つけ麺の元祖」として知られるラーメン店「大勝軒」を創業した山岸一雄(やまぎし・かずお)さんが1日、心不全のため東京都内の病院で死去した。80歳。長野県出身。葬儀・告別式の日取りは未定。喪主は妹斉藤節子(さいとう・せつこ)さん。
【写真】「大勝軒」の創業者・山岸一雄さん
山岸さんは16歳で上京し旋盤工として働いていたが、翌年から兄のように慕っていたいとこに誘われてラーメン店で修業を始めた。1951年に東京都中野区にラーメン店をオープン。結婚を機に独立し、61年6月に「東池袋大勝軒」を開業した。
看板メニュー「特製もりそば」は、修業先のまかないから生まれた。調理して余った麺を1本、2本と丼に集めて、湯飲みにつゆやタレを入れてつけてざるそばのように食べていた。独立後もまかないとして食べていたところ、常連客が「食べさせてほしい」と要望。大好評でメニュー化した。
「特製もりそば」はつるりとした食感とコシの強い麺に、甘酢っぱいスープが特徴。修業中に朝から晩まで製麺した経験が、自家製麺の礎となった。当初から行列店として人気となり、石原裕次郎さんやフランク永井さん、丹波哲郎さんらスターも常連だった。子供がいなかった山岸さんは、弟子を次々と受け入れ100人以上を育てた。のれん分けした店は北海道から沖縄、米ハワイまで100店舗以上となっている。
55年に及ぶ立ち仕事と湯切りで手や足腰が弱り、引退を決意。07年に東池袋の「大勝軒」が一時閉店した際には約400人が列をつくった。この模様がメディアで大きく報じられたことなどがきっかけでつけ麺ブームに火がついた。
≪山岸さんを悼む≫
▼漫才師シャンプーハット・てつじ 僕もお店「宮田麺児」をやってましたし、大つけ麺博でも一緒に仕事をさせていただきました。都市伝説かもしれませんが、にぼし1本2本の差でスープの違いまで分かる“神の舌を持つ男”と呼ばれた人でした。つけ麺界では山岸さんの遺伝子を受け継いだお弟子さんばかり。これからもその魂を受け継いでいくことでしょう。
▼ラーメン研究家・石山勇人氏 味を追求した自家製麺、1人前の麺量の多さ、濃厚な魚介系スープ、いずれもラーメン業界に大きな影響を与えた。特にスープは、00年以降から主流であり続けている豚骨魚介系スープの礎となった。弟子の数が圧倒的に多いことでも知られている。