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「第2のシリコンバレー」でエンジニアリングの武者修行(後編)
~新しいITエンジニア育成術~
(前編からつづく)
ベルリンでの仕事と生活
――Kiwi.kiのオフィスで、期間的には1年ぐらいの間、どういった活動をされていたのでしょうか。
葛原:ちょっと長い話になりますが、1年間のうちの最初の3-4か月ぐらいは、メインのプロジェクトではなく、1ヶ月単位ぐらいで終わってしまうサブのプロジェクトを3つほどやっていました。彼らとしても、いきなりぽっと入ってきた人をそれほど信用できないし、何ができるのかも分からない。しかも英語もあまり得意じゃない、といった状況の中で、とりあえずやってみろよという感覚でしたね。具体的にいうと、社内の開発環境を改善するという意味合いでのモニタリングの補助ツールや、開発環境の自動生成ツールなどを作っていました。
僕としても追い出されたら困るなという気持ちもあり(笑)、とにかく一生懸命やりました。なんとか3ヶ月終わって「じゃあ大丈夫だね」と“合格”をもらって、ようやくメインのプロジェクトに入ることになりました。メインのプロジェクトも何をするのか決まっているわけではなかったのですが、僕個人としては、一応トレーニングで来ているので、フロントからバックまで自分でやりたいという要望を伝えました。ATLとしても技術獲得でやっていることもあって、それができるような形、具体的にはオープンソースにできるプロジェクトを是非やりたいという要望を出していました。
彼らとしても、優先度はかなり高いが、リソースがなくて現状取り掛かれていないプロジェクトが丁度ありました。また、彼らは基本的にベースをPythonで作っているのですが、そのプロジェクトであれば基本的に言語や環境は別になんでもいいということもあり、彼らのバックグラウンドと僕の要望が一番合うということで、内部向けの在庫管理のアプリケーションを作ることになったのです。その上で、ベルリンの他のハードウェアを扱っているスタートアップに公開して機能拡張しよう、というプロジェクトに最終的にアサインされました。
――なるほど。プロジェクトにはどのような立ち位置で入られたのでしょうか。
葛原:完全にエンジニアですね。体制というほどではないのですが、先ほど言ったチーフアーキテクトのジェフがいて、その上にオペレーション担当のファウンダーが一人いました。基本的にはその3人でやりながら、コードレビューなどのエンジニアリング部分はジェフと二人でやりつつ、最終的な成果物の承認や、実際にオペレーションのスタッフに使ってもらってフィードバックを得るような部分は、他のスタッフともやっていました。…