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仲里さん、困窮世帯支えて63年 93歳、福祉活動を卒業
目の前に困っている人がいたから―。那覇市寄宮に住む仲里文江さんは沖縄戦後から婦人会や福祉委員、民生委員児童委員などを歴任し、困窮世帯や高齢者らを支え続けた。63年、福祉活動を積み重ね、気付けば93歳になっていた。「これ以上いたらみんなに迷惑掛けますからね」。いたずらっぽく笑い、25日、那覇市社会福祉協議会の職員らに惜しまれながら最後の相談業務を終えた。
沖縄戦が終わった1945年。沖縄は住む家を無くし、育ててくれる親を亡くした人であふれかえっていた。「夫も働いていたし、自分たちが食べる分は何とかあった」。仲里さんは52年から婦人会活動を通し、困窮世帯の支援を始めた。
64年には現在の民生委員児童委員に当たる福祉委員となった。那覇市を5~6人で担当したため、1人の福祉委員に2千~3千人の要支援者がいた。申請書類などは手書きし、複製する際もカーボン用紙を使って手書きした。「今よりずっと大変でしたよ」
戦後、物資が十分になかったため、病院に入院する患者は布団を自分で持ち込まなければならなかった。要支援者が布団を持っていなかったため、仲里さんは市役所や福祉事務所の当直所に余った布団がないか探し回った。布団店に事情を説明して譲り受けることができ、入院につなげたという。「退院して元気な姿を見た時はほっとした」。仲里さんが福祉活動を続けて良かったと思う瞬間だった。
民生委員児童委員の定年75歳を迎えた後は、那覇市社協の来所者や電話を掛けてくる人の相談に応じる「ふれあい相談員」を務めてきた。「行政の手が届かない谷間にいる人のために福祉がある。これからも地域住民の幸せのために頑張ってほしい」。退任式で仲里さんはそう話し、後輩たちに道を譲った。
(当銘寿夫)