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産総研など、発光中の「多層積層有機EL素子」の劣化を計測する手法を開発
産業技術総合研究所(産総研)と次世代化学材料評価技術研究組合は、発光中の「多層積層有機EL素子」内部の有機層界面にある特定の分子の振る舞いを選択的に測定する手法を開発し、素子内の電荷の振る舞いを分子レベルで計測することに成功したと発表した。成果は、産総研 ナノシステム研究部門 ナノシステム計測グループの宮前孝行主任研究員、同フレキシブルエレクトロニクス研究センター 印刷エレクトロニクスデバイスチームの高田徳幸研究チーム長らの研究グループによるもの。
研究の詳細な内容は、米国東部時間8月15日付けで米国学術誌「Applied Physics Letters」にオンライン掲載された。また2012年9月11~14日に愛媛大学及び松山大学(愛媛県松山市)で開催される「秋季第73回応用物理学会学術講演会」、ならびに2012年9月18~21日に東京大学(東京都文京区)で開催される「第6回分子科学討論会」でも発表される予定だ。
近年、視野角が広く低電圧駆動が可能で、動画再生能力などに優れた性能を持つ発光デバイスとして、有機ELの次世代テレビやスマートフォン、照明などへの応用が注目されてきている。中でも、高輝度で長寿命の実用的な有機ELでは、異なる性質を持つ有機層を何層も積み重ねた多層積層有機EL素子が用いられている状況だ。それらの有機EL素子は劣化の大きな原因となる酸素や水の影響を排除するために、乾燥剤と共に厳重に封止されており、外部から有機EL素子本体にアクセスする道は素子につながる電極からの情報か、光を取り出す透明窓からしかない。
しかし、有機物が出す蛍光や素子動作時の強い発光に阻まれ、光を使った評価計測手法の多くは使用することが困難であり、実際の劣化挙動を調べるには、動作させて電気特性を調べてモデル解析するか、素子を壊して内部を分析するなどの間接的、限定的な手法しかなかった。特に破壊して分析する手法では、素子を破壊する際の影響や不純物の混入をすべて排除することができないという問題がある。
また、封止されていない素子を使用した場合、外部からの水などの影響による劣化も同時に進行するため、素子本来の劣化だけを分離して分子レベルで評価することは難しい。
このため、長時間駆動させた際に起こる緩やかな劣化のメカニズムは現在の有機EL素子の構造が提案されて25年以上経てもなお、わかっていないのが現状である。
さらに実用レベルの多層積層有機EL素子では、複数の有機層からの情報が重なり合い、それらを分離できないため、個々の有機層の振る舞いを劣化と関連づけて評価することも困難だった。
有機ELの高詳細ディスプレイや照明などへの実用化のカギとなる多層積層有機EL素子の長寿命化のためには、長時間駆動の間にどの層で何が起こり、それがどのようにして素子の劣化を引き起こすのかを、素子を破壊せずに実際の素子構造を用いて個別の有機層ごとの情報として知ることが急務である。
そのため、多層有機EL素子の個々の有機層の状態を素子が封止された状態で、さらに駆動中に非破壊で評価・計測できる技術が求められているという次第だ。
有機EL素子は、異なる性質を持つ有機層を積み重ね、2つの電極で挟んだ構造を持つ。この電極間に電圧をかけることで、素子を発光させる仕組みだ。標準的な多層積層有機EL素子では透明電極の上に有機層が3~5層程度積層され、全体でも約200nm程度の厚さしかない。さらに、酸素や水の影響を防ぐために、乾燥剤と共に密封した状態で作成される(画像1)。
今回、測定に使用した素子は6種類の有機物を使用した多層積層有機EL素子であり、輝度の半減期寿命(初期輝度の50%の輝度に劣化するのに要する時間)は1000cd/m2の輝度で1万3000時間以上だ。
そして、今回開発された手法は、赤外レーザー光と可視レーザー光の2つの光を使用する「SFG分光法」を応用した評価解析技術である。SFG分光法は、レーザー光を使った分光法の1種で、表面や固体内部の界面の分子の振動スペクトルを測定できる手法だ(画像2)。
画像1。多層有機EL素子の構成概略図とSFG分光法の光入出射方向
画像2。発光している多層積層有機EL素子のSFG分光測定の概念図
通常、SFG分光法では用いる可視レーザー光の波長を変えることはできないが、この可視レーザー光の波長を目的の有機物の吸収波長(色)に合わせて、その有機物だけを選択的にエネルギーの高い状態に移行させることを可能とする、「2重共鳴効果」(画像3・4)と呼ばれる現象を利用できる「2色可変SFG分光」が適用された。
この2重共鳴効果を利用することで、素子内のほかの有機層の影響を除いて、目的とする有機層からの信号だけを増強してとらえることが可能となったのである。
通常のSFG分光の光学過程と、可視光を波長か変化した場合の光学過程の違い。画像3(左)は可視光の波長固定のSFGの通常の場合。画像4は、可視光の波長可変のSFGの場合
また、レーザー光による素子の損傷をなくすために、通常のSFG分光測定に比べ100分の1以下にレーザーの強度を下げても分解能を損なわずに測定をできるようにSFG分光装置への改良も加えられた形だ。
前述の画像1は実際の多層有機EL素子の構成だが、SFG分光法で用いる可視レーザー光と赤外レーザー光は透明基板側から入射させて測定が行われた。動作中の有機EL素子は強く発光しているが、SFG光はこのEL発光の波長とは異なる波長を持ち、さらにビーム状に特定の方向に発生してくるため、フィルタと2台の分光器を使用することで、強いELの発光と明瞭に分離して測定できることがポイントだ。
画像5は、実際に多層積層有機EL素子を駆動した際のSFGのスペクトルを示したもの。画像6は、電圧印加時の有機EL素子の発光写真。この測定では典型的なイリジウム錯体によるリン光を用いた多層積層有機EL素子が用いられた。
なお、可視レーザー光を波長可変化しただけでは、有機物の吸収波長が互いに近い場合には複数の有機層からの信号を同時にとらえてしまうという問題がある。実際、画像5の電圧印加なしの状態では(中央の黒線のスペクトル)、複数の有機層からの信号が混ざって観測されてしまった形だ。
ところが素子に電圧をかけて駆動させると、電圧をかけない状態とは明らかに異なるスペクトルが測定される(画像5の上の赤線のスペクトル)。さらに素子に加える電圧を変えると、電圧の変化に応答して信号強度が変化していく様子が明瞭に観測された。
画像5。多層積層有機EL素子動作時のスペクトルの変化を示したグラフ。上から+8V印加時(EL発光)、電圧印加なし、-5V印加時となっている
画像6。電圧印加時の有機EL素子の発光写真
なお今回の技術は、試料に電場を加えると、加えた電場に応答した有機層からのSFGの信号成分が増強される「電界誘起効果」と呼ばれる効果を利用しているのがポイントだ。
有機物を積み重ねた有機EL素子内部では、有機物のイオン化ポテンシャルや「電子親和力」の違いなどにより、隣接する有機層との間でエネルギーの差が生じている界面がある。
有機EL素子の駆動中に内部を移動する電荷は、このエネルギー差のある界面付近で局所的に貯め込まれていく。この蓄積した電荷によって局所的な電場が生じ、その結果、電荷が蓄積された有機層からのSFG信号だけが選択的に観測される仕組みだ。
この駆動時に電圧に応答して強くなるスペクトルは、「正孔輸送層」の有機物層のスペクトルと一致した。このスペクトル挙動は素子駆動時に正孔輸送層と発光層の有機物のエネルギー差により、この2層の界面付近で電荷の蓄積が起こっているということで説明可能だ。すなわち、駆動時には正孔輸送層の界面で電荷の蓄積が起こっていることが明らかとなったのである。
また、この素子に逆の電圧をかけると、正孔輸送層の振動スペクトルは消え、これに代わって「電子輸送層」に用いられている有機物の振動スペクトルが現れる(画像5下の青線のスペクトル)。
このように、実際の有機EL素子と同じ構成の素子に対して2色可変SFG分光法を使用し、素子にさまざまな電圧をかけて起こる電界誘起効果を利用することで、これまでまったく見ることができなかった封止された多層積層有機EL素子内部の個々の有機層の情報や、動作中に電荷がどこに集中しているのかを非破壊で直接測定できるものであり、有機エレクトロニクスデバイスの特性評価や劣化解析に適用できる新しい計測・評価法というわけだ。
振動スペクトルで見られる振動数のパターンは分子が置かれた状態を敏感に反映し、同じ分子種でも状態が変わると異なる振動数を示し、また膜の中で分子の向きが変わると強度が変化する、いわば分子固有の「指紋」に相当する。
この素子内の有機層の指紋を詳しく調べることで、動作中の有機EL内部の分子自身の変性や分解、さらには有機EL素子内部の電界変化の様子を明らかにすることが可能だ。
今回、動作中の分子の状態と電荷の分布状況が明らかになったことで、長時間動作させた素子でこれらがどう変わっていくかを詳しく調べられるようになり、有機EL素子の特性のさらなる向上や、未解明であった劣化の問題に有用な情報を得ることが期待できるという。
次世代薄型テレビやスマートフォン、さらにはフレキシブルデバイスに有機ELを用いるには、実用レベルにある素子の内部で起こる劣化を詳細に調べることが必要だ。研究グループは今後、この手法を用いて動作時や長時間駆動させた有機EL素子内部の分子レベルの情報を継続的に調べ、有機ELの駆動機構や長寿命化に必要不可欠な劣化メカニズムの分子レベルでの解明を目指すとコメント。
また、有機EL素子だけではなく有機太陽電池や有機トランジスタなど、さまざまな有機エレクトロニクスデバイスの評価・解析への応用も目指していく予定であることも述べている。