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密室はいかに裁かれるのか(7)~逆転判決で考える~
その言動は当然か自然か
- 密室で起きた同じ行動について全く逆の判断が出るのはなぜ?(写真はイメージです)
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密室でのセクハラの有無を判断する手法として、密室での出来事はもちろん、その前後の言動から「果たしてその主張が自然かどうか」を判断されることについて触れてきました。
つまり、事件前後の状況からみて不自然さはないか、問題が起きた後の被害者の行動に不自然さはないかなどが判断材料とされて、密室の状況が推定されるということです。
しかし、こうした判断のやり方には、当然のことですが裁く側の「不自然かどうか」を判断するための基準がなければなりません。つまり、「どう考えても不自然」と言うためには「自然であるための基準」を逸脱しているという判断が必要になります。
ところがセクハラは、他の犯罪とは違ってその「当然かどうか、不自然かどうか」の判断基準に個人差はもちろん、男女による受け止め方に大きな差が生じます。いわゆるジェンダー(本来の生理的な性差とは別に社会的につくられた性差、いわゆる“男らしさ”や“女らしさ”など)といわれる視点も問題になってくるということです。
微妙な不自然さで揺れたケース
男であろうと女であろうと誰が考えても「不自然」であるというような共通理解が成り立つケースは問題がないのですが、その不自然さが微妙なケースでは裁判官をも巻き込んで、判断は大きく揺れます。果して女性の取った言動は自然であったのかどうか、そんな揺れについて話題になった裁判でその判断ポイントについて考えてみることにしましょう。
1997年11月20日の夕刊で「密室でのセクハラ認定―東京高裁逆転判決」という大見出しが紙面を飾りました。いわゆる横浜セクハラ事件の上告審判決です。この裁判は、逆転判決という出来事だけでなく、その判断ポイントをめぐっても大きな話題となりました。
新聞によれば「『職場で肩や腰を触られたり、抱きつかれたりするなどのセクシュアル・ハラスメント(性的いやがらせ)の被害を受けた』などとして、横浜市南区に住む女性(31)が、かつて勤務していた建築会社の元上司(55)と会社、その親会社の大手総合建設会社の3者を相手に550万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めた訴訟の控訴審判決が20日、東京高裁であった」(朝日新聞)とされています。
視線の違い
見出しに「逆転判決」とあるように、原審である横浜地裁では「逃げたり、声をあげたりしなかったことなどを理由に、セクハラを受けたと主張する原告の供述は信用できない」とされて、請求のすべてが棄却されていました。
しかし、控訴審である高裁は、被害を受けたとされる女性の取った同じ行動について「女性が悲鳴を上げて助けを求めなかったからといって供述内容が不自然とはいえない」とまったく異なった判断を下しました。
そこには一体どのような判断の違いがあったのでしょうか。まさに、同じ事実について百八十度違う見解を出した理由は一体どこにあったのでしょうか。その背景には、同じ事実をまったく別の見方をするという視線の違いがあります。次回は、その違いが生じる理由について考えてみることにしましょう。
(次回は4月14日掲載予定です)
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