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つけ麺の神逝く… 大勝軒・山岸一雄氏秘話 ラーメン評論家・大崎裕史氏が思い語る
1日に心不全のため80歳で亡くなった、つけ麺発祥の店として知られる人気ラーメン店「大勝軒」の創業者、山岸一雄さん。100人以上の弟子を育て、のれん分けした店舗は全国に広がる。麺に人生を注いだ生きざまは、まさに「ラーメンの神様」とあがめられる存在だった。
山岸さんは長野県出身。16歳で上京し、17歳から東京・中野でラーメン修業を始めた。そこでスープを入れた湯飲みに麺を入れて食べていた賄(まかな)い(従業員の食事)が客の評判を呼び、つけ麺の元祖「特製もりそば」が誕生した。
1961年に東池袋に「東池袋大勝軒」を開業して独立すると、たちまち人気に。看板メニューの特製もりそばに加え、大盛りが食べきれないほどの量で、行列が絶えない繁盛店になった。
のれん分けした店は全国に100店近く。弟子にはのれん代などをとらず、包み隠さず味やノウハウを教えたという。2004年からは体調不良で調理場に立つことはなかったというが、ラーメンファンの間で「ラーメンの神様」と呼ばれる存在になった。
夕刊フジで「この男麺喰いにつき」を連載するラーメン評論家の大崎裕史氏(56)は「山岸さんはレシピを作っていないので、味は何回も変わる。常連さんは『今日は外れでしたね』『今日は素晴らしかった』と笑いながら話したり、変化を楽しめるお店だった」と話す。
山岸さんの功績は「つけ麺を考案したことだけではない」とし、「動物系と魚介系を濃厚に合わせる大勝軒の手法は多くの店が参考にしているし、今でこそ、つけ麺ブームで自家製麺が増えたが、50年以上も前から自分で麺を作っていたのだからすごい」と大崎氏。
1974年に山岸さんが足の手術で休業した時期と、86年に山岸さんの妻が亡くなり気力を失った時期に、2度閉店の危機があったという。
「ファンの方の要望に支えられて立ち上がった。奥さんを亡くしてから、味を受け継がないといけないと弟子を取るようになった。ラーメンは『豚ガラ、鶏ガラ、人柄』といわれるが、山岸さんがいたからこそできた言葉。半世紀の行列を作り出したのは山岸さんの人柄こそだと思う」(大崎氏)。全国の弟子たちがその味を引き継ぐ。2015/4/2 16:56 更新