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今も心は信者のままーー【オウム高橋被告裁判】が露呈した、カルト問題の根深さと罪深さ

今も心は信者のままーー【オウム高橋被告裁判】が露呈した、カルト問題の根深さと罪深さ

 

 一連のオウム真理教事件の最後の裁判となる、高橋克也被告の裁判は、検察側が無期懲役を求刑し、弁護側が無罪を主張して、審理を終えた。判決は、4月30日に言い渡される。被告人質問などを通じて印象的だったのは、彼が入信する前の、冴えない、でもありがちな人生と、今も続くオウムによる心の支配の強固さだった。

●“うまくいかない人生”からの脱却を求めて

 高橋被告は、オウムの中で諜報省(CHS)と呼ばれる部署に属し、井上嘉浩死刑囚の部下だった。罪に問われているのは、猛毒のVXを使った殺人・同未遂事件2件、目黒公証役場事務長だった假谷清志さんを拉致して死なせた事件、地下鉄サリン事件、都庁爆弾事件の5件だ。

 彼は、兄一人と両親の4人家族で育った。将来の夢は特になく、中学を卒業すると工業高等専門学校へ進学。高専を選んだのは、「自分の成績でも行けるところ」であり、家族の勧めもあったから。兄は大学に進学したので、自分も……と思ったこともあったが、「お前は次男だから」と言われて諦めた。

 高専時代、テレビで発明品の特許権出願手続などを行う弁理士の仕事を知り、興味を持った。だが、当時の弁理士国家試験は、大学を卒業していない者には予備試験が課されていることを知り、「大変そうだな」と、すんなりあきらめた。

 卒業後、家に近い、というだけで選んだ会社には、なんとなく馴染めず、1年で辞めた。再就職した会社では、一生懸命働いたつもりだったのに、丁寧な仕事を心がけると「仕事が遅い!」「君の給料だと割に合わない」と叱責された。残業に次ぐ残業で仕事をこなしたが、燃え尽きて退職。

 「真剣に選ばなかった最初の会社も、やる気を出して選んだ会社も、どっちも誤った選択だった」と落ち込んだ。当時の気持ちを、彼は「自分自身の根底の生き方に迷いが生じた」と述べている。

 ここまでは、さほど珍しくないストーリーである。

 うまくいかない人生。それをなんとかしたいと思った彼は、「生き方を求めて」本を読んだ。書店の精神世界のコーナーに足が向いたようである。超能力にも興味が芽生えた。特別な力を獲得することで、パッとしない人生を大きく変えたかったのだろう。修行で超能力がつくのを期待して阿含宗に入ったが、何も得られず失望。超能力をウリにした麻原彰晃死刑囚の著書をきっかけに、当時「オウム神仙の会」と名乗っていたグループに接近した。悟り・解脱に興味を持つようになり、“出家”したのが1987年7月。当時29歳。親は反対しなかった。 古参の信者だが、教団の中でも、存在感は薄く、昇格も遅い。そういう意味では、パッとしない人生は続いていたが、それでも信者でいれば、真理を求める「聖者」でいられる。オウムは普通の人生を送っている人々を「凡夫」、オウムに批判的な者や他の宗教を信じている者を「外道」とさげすみ、信者たちの優越感を刺激していた。

 教団内の仕事としては、高橋被告は車の運転をすることが多かった。違法な活動に関与するのは、井上の部下となってから。企業や研究所でレーザーに関する書類やボツリヌス菌の菌株を盗み出す作業に加わった。殺人事件には、最初は見張り役として、その後は実行役の補助となり、さらに拉致の実行役へ。常に受け身で指示されるままに動いているうちに、犯罪への関与の程度はだんだん上がっていった。

 都庁爆弾事件に関わった後は、ひたすら逃亡する生活に入る。最初は、所沢市内の6畳一間のアパートに、信者5人で隠れ住んだ。その1人が働いて生活を支えた。その後、高橋被告は菊地直子被告と2人の逃亡となる。偽名を使って仕事を見つけた。途中、菊地被告と別れ、1人で潜伏生活を続ける。

 最初は、手配写真を見るたびに緊張したが、警察官に声をかけられることもなく、「写真は似ていないから大丈夫だ」と思うようになった。逃走中、新たにオウムの本を購入し、チベット密教関係の本なども買い求めたが、生活に追われて「修行」はあまり進まなかったらしい。

 逮捕時、彼は458万円の現金を持っていた。すべて、逃走中に貯えたものだという。だが、被害者・遺族への賠償を払っていない。その理由を聞かれた彼は、弁護人から「もうちょっと自分を振り返って、考えてから決めたらいい」と助言されたためだと釈明した。

●“先送り”され続ける謝罪

 逃走犯の中でも、自ら出頭した平田信被告は、特に假谷事件に関わったことを悔い、遺族に対しても繰り返し謝罪した。有り金は賠償として差し出し、刑務所での服役を終えた後は働いて賠償を続ける約束をしている。そんな平田とは対照的に、高橋は事件に対する反省や後悔を述べない。謝罪もしない。この点を聞かれても、「よく考える」と言うだけだ。

「事件は(オウムが言っていた)救済なのか」

 そう問われた彼は、假谷事件については「やるべきじゃなかった」と述べたが、VX殺人や地下鉄サリンなど他事件については「わからない」と口をつぐんだ。假谷事件では、被害者の体を持って車に押し込む実行役であり、遺体の焼却にも直接関わったため、少しは実感があるのかもしれない。それでも、謝罪はしなかった。 被害者参加制度を利用して裁判に参加した、假谷実さん(假谷事件被害者の長男)は、「謝罪についてはよく考えてから、ということだが、私どもはどれくらい待ったらよろしいんですか」と問うた。高橋被告の答えはこうだった。

「どれくらいっていうのは言えない。一生自分について回ることですので、一生考え続ける」

 事件からすでに20年。逮捕されてから3年近く経つ。考える時間はたっぷりあった。オウム信者が言う「考える」は、追及をかわしたり、事態を先送りしたりする方便に過ぎないことがしばしば。高橋被告の場合はどうだろうか……。

 地下鉄サリン事件遺族の高橋シズヱさんが、「人生で後悔していること」を尋ねた時の答えから、彼の今の状態はうかがえる。彼は、「前は後悔だらけだったような気がするんですが、いろいろ考えているうちに、(自分を)許せるようになった」と述べ、後悔するのは「怒りを持ったこと」「人が困っているのを助けてあげられなかったこと」など、事件とはまったく関係ないことばかりを上げた。

 シズヱさんは、「事件に関与したことは後悔にならないんですか」と呆れた。

 現実を直視できない。自分が被害を与えた相手の気持ちを考えられない。それは、彼の心が、今も現役信者のままだからだろう。

 教祖については「グル」と呼び、「向こうが(自分を)弟子と思っているから分からないですけど、(師弟関係を)解消したという話し合いはないし、その関係は一応続いていると自分では思っている」と述べた。

 逃走中とはいえ、彼は社会の中で生活していた。しかし、心を開いて語れる相手もない彼の心の呪縛は、緩むどころか、強固なバリアに覆われて、むしろ強化されているようにさえ見える。

 高橋被告と4回にわたって面接した、オウムなど破壊的カルトに詳しい社会心理学者の西田公昭立正大教授は、彼の中でオウムは濃縮し、「クリスタライズ(結晶化)している」と見る。「アレフに残った信者の状況も、同じようなものだろう」と西田教授。

 平田被告のように、自ら考えるようになった者もいる。元信者やカウンセラーの協力を得て、呪縛から解き放たれた者もいる。けれども、オウムのマインドコントロールからの解放は、そう簡単ではなく、会社を辞めるようにはいかない。

 西田教授はこうも指摘する。

「よくテレビにも出ているオウムの元幹部も、(教団や麻原に否定的な発言をしているからといって)マインドコントロールの問題は解決していないですね」

 そこが、カルトの怖さでもある。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)

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