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「安倍談話」の有識者会議座長代理の変節から浮かぶ「圧力」の歴史――シリーズ【草の根保守の蠢動 第7回】
今年2015年は敗戦後70年。安倍政権は「戦後70年安倍談話」を出す予定で、2月には有識者会議を設置した。もっぱらの注目は、「70年談話『侵略』の一言が、どのように使われるか?」に集まっている。
これに関し、有識者会議の座長代理を務める北岡伸一・国際大学学長は、3月9日、「日本は侵略戦争をした。私は安倍首相に『日本が侵略した』と言ってほしい」と言明していた(http://www.sankei.com/politics/news/150309/plt1503090018-n1.html)。
にもかかわらず、北岡座長代理は、4月10日、『植民地支配と侵略』や『おわび』の踏襲にこだわる必要はないと、全く逆の考え示すに至った(http://mainichi.jp/select/news/m20150411k0000m010146000c.html)。
この間、わずか1か月。
確かに、3月の「日本が侵略したと言ってほしい」という北岡座長代理の見解に対しては、報道直後から各方面からの反発が表明されていた。中でもとりわけ機敏に反応したのは、やはり日本会議グループだろう。
日本会議の代表委員である長谷川三千子・埼玉大学名誉教授は、北岡座長代理の「侵略したと言ってほしい」見解が報道された直後の3月19日、産経新聞の「正論」欄に寄稿し、名指しで北岡伸一を強く批判している(http://www.sankei.com/column/news/150317/clm1503170001-n1.html)。
それにしても、いかに新聞をはじめとするメディアに北岡伸一の見解に対する批判記事があふれたとはいえ、わずか1か月で見解を180度変更するのはいかにも異様だ。
一体、北岡伸一になにがあったのか?
◆20年前の「戦後50年決議」にかけられた圧力
そもそも「終戦70年談話」が必要とされる背景には、これまで節目節目で、あの戦争に対する見解を首相談話や国会決議で発表してきたという慣習がある。
とりわけ大きな注目を集めたのは20年前の村山内閣時代の「戦後50年決議」だろう。
20年前の1995年は、敗戦後50周年、つまり半世紀の節目にあたった。半世紀の節目での国会決議や首相談話はそれまでのものより、記念的なものになるはずだ。
しかし、「敗戦後50年」という節目の年1995年は、もう一つの特徴があった。
社会党・村山富市総理大臣の存在だ。…