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<世界フィギュア>宮原「真央ちゃんの後と思って」動じず銀

 <世界フィギュア>宮原「真央ちゃんの後と思って」動じず銀

 ◇女子フリー(28日・上海)
 
  「3位になれるかも」。自己ベストの得点が示されると、宮原知子(大阪・関大高)は思った。後に4人が滑ったがトゥクタミシェワにしか抜かれず、結果は銀メダル。「2位になれるとは思わなかった。うれしかった」と静かに喜んだ。
 
  中盤の3回転ルッツで着氷が乱れて片手をついた。しかし、後半にダブルアクセル(2回転半)−3回転トーループの連続ジャンプに2回挑み、どちらも決めて挽回した。理想は演技冒頭にルッツ−トーループの連続3回転を入れることだが、無理して理想を追わず「基礎点も高いし、確実に得点できる」と考えた構成で、持ち味の安定感を発揮。先月の4大陸選手権前に痛めた右足の甲と、すねの不安も振り払った。
 
  フリーの滑走順は、地元中国の李子君の直後。出番が来た時はリンクを埋めるように大量のぬいぐるみが投げ込まれ、場内は大歓声が響いた。それでも宮原は、わずかに緊張しただけで落ち着いていた。滑走順が決まった時、浜田コーチから「真央ちゃんの後と思って」と助言を受けていたのだ。一昨季の全日本選手権で日本のエースの直後に滑った記憶を思い出し、動じることなく演じきった。
 
  4歳の時、家族で住んでいた米国・ヒューストンでスケートを始めた。最初の発表会では、母親に付き添われて泣きながらリンクの中央まで行ったが、恥ずかしさのあまり一緒に戻ってしまい、結局出場できなかった。そんな少女が26日に17歳になり、世界の表彰台に立った。メダルを贈られた姿は、以前より堂々としているように見えた。【福田智沙】

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