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<書評>日本が中韓と“和解”するための秘策とは?『アデナウアー・現代ドイツを創った政治家』板橋拓己著
第2次世界大戦の敗北により、人心・国土とも荒廃したドイツ。その復興を担ったのが、73歳で首相になり14年間も務めたアデナウアーだ。常に自国のナショナリズムを疑問視し、仏英をはじめとする西側諸国やユダヤ人と「和解」した。「国父」と呼ばれる保守政治家の生涯が丹念に綴られている。
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20世紀前半、ヨーロッパでは戦乱が絶えなかったが、第2次世界大戦後、長期にわたって平和が実現した。これは西独初代首相であるアデナウアーの「米英仏との西側連合への参加」の選択に依る所が大きかった、と著者は評価する。
「当初は敗戦国として主権を奪われていた西ドイツは、アデナウアーの首相在任中に、『経済の奇跡』を起こし、『繁栄』を享受するまでに至り、さらに国際社会にも復帰することができた。…きわめて乱暴に言えば、戦後日本における吉田茂、鳩山一郎、岸信介、池田勇人らの役回りをすべて担ったような存在なのである」と、アデナウアーは日本の首相4人分の仕事をしたと記す。
「重要なのは、アデナウアー時代の西ドイツが選択した国是、すなわち内政における自由民主主義体制と、外交における西側路線は、1990年以降の統一ドイツにも引き継がれたことである」と強調。「アデナウアーは、物質主義と権力崇拝の蔓延が行きつく果てとして、ナチズムとスターリニズムを同一の範疇に位置づけた。こうした敵に対し、アデナウアーが守ろうとするのが、個人の尊厳と自由である。『個人の人格は、実存および序列において国家に先行する』。国家とは、民族などにではなく、個人に奉仕すべきものなのである」とも書いている。アデナウアーのこの基本理念を、世の政治家たちは熟読玩味する必要があろう。
1951年9月27日、アデナウアーは連邦議会で、のちに『歴史的』と形容される演説を西ドイツ首相として行った。『ドイツ民族の名において』犯された『言語を絶する犯罪』を認め、反ユダヤ主義的煽動に対しては刑事訴追で厳しく闘うという保証と、ユダヤ人に対する『道徳的・物質的な補償』を約束した。この演説こそが「ドイツの国際的な信用回復への重要な一歩となった」という。
著者はアデナウワーを「ドイツの戦後補償レジュームを整えた人物であり、ドイツの戦後“過去の克服”の出発点に位置する人物」と見なす。ドイツの「過去の克服」は日本にとってのモデルと見なされるが、その際の「モデルドイツ」はブラント政権以降のドイツ連邦共和国とされることが多い。…