セリーヌ tシャツ パロディセリーヌ tシャツ コピーセリーヌ tシャツ コーデ 忍者ブログ

仕事で役立つ人気ビジネスアプリおすすめ!

ビジネスマン必見!おすすめのビジネス管理ツールアプリを、独自のランキングと口コミでピックアップ!縦横無尽に使いこなせば、仕事の効率アップ間違いなし!
[27478]  [27477]  [27476]  [27475]  [27474]  [27473]  [27472]  [27471]  [27470]  [27469]  [27468

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

<東日本大震災4年>2記者ルポ

 <東日本大震災4年>2記者ルポ

 東日本大震災の発生から4年を迎えた11日、県内でも犠牲者の冥福や復興を願う行事が各地で催された。しかし、日常生活の中では、遠くの被災地を思う時間も、実際に東北を訪れる人も少なくなっている。震災を風化させないために、記者2人が被災地を取材した。

      

  ◇校庭に放射性廃棄物 福島・富岡

  • 校庭には除染作業で出た放射性廃棄物の袋が大量に集められていた(富岡町立富岡第二小学校で)
  •   福島空港からレンタカーで約2時間、福島県富岡町に入った。11日も、東京電力福島第一原発の事故による放射線の除染作業が続けられていた。

      町の住宅街では、ヘルメットに防護マスク、手袋をした除染の作業員が目立った。児童がいない町立富岡第二小学校の校庭には、作業で出た放射性廃棄物の黒い袋が集められていた。人々が津波の犠牲者を悼んで手を合わせる慰霊碑の向こうに放射性廃棄物の処理施設がある。

      「こんな惨状を見ると複雑な気分になる」。処理施設を眺めながら、男性(58)がつぶやいた。

      男性は同県双葉町で生まれた。富岡町では原発の作業員として20年近く働き、震災が起きたときも第二原発(楢葉、富岡町)にいた。その後、同県いわき市に避難し、1年半前に体を壊して原発関連の仕事を辞めた。「町の風景を一変させた原発で、俺自身も働いていた。被害者とは言い切れないんだよなあ」。男性は町に戻る気はないという。

      JR富岡駅前で出会った原田綾子さん(34)は近くの慰霊碑に花を手向け、手を合わせた。久しぶりに町を訪ねたこの日は、桜の名所で知られる「夜の森」などに足を運んだという。「古里巡りの最後は、ここに来たかった。いろんな思いが詰まった場所だから」

      この町で育ち、悲しいことや悔しいことがあると駅の向こうの海を眺めた。今は避難先の同県三春町で夫と中学1年の長女、小学2年の長男と暮らしている。

      遠くの防災無線から「町内の立ち入りは、午後3時までです。必ず退出してください」と、アナウンスが断続的に響いた。原田さんは慰霊碑の前で、「正午にね、無線から町歌が流れてた。それだけは昔と変わらない。なんだか涙が出た」。

      富岡町は17年3月までに除染を終え、避難指示の解除を目指す。復興庁が町の3979世帯に実施したアンケートでは、49・4%が「戻らない」と決めており、「戻りたい」は11・9%。震災前に1万5830人いた町民のうち1747人が住民票をほかへ移した。ただ、「戻りたい」と答えなかった人のなかでも、半数以上は「町とのつながりを保ちたい」と希望している。

      「たとえ帰れなくても、いつまでもここは私の古里」。別れ際の原田さんの言葉が胸に残った。(坂木二郎)

         

      ◇新生活始められない 宮城・石巻

    • 約8メートル高く造成された土地に建てられた白い屋根のJR女川駅(宮城県女川町で)

        10日早朝に奈良市を出て、午後2時半過ぎに宮城県石巻市に到着した。真っ先にJR石巻駅近くの仮設商店街で谷地田(やちた)けい子さん(64)が営むパン屋さんを訪れた。

        震災前の店は津波で流されてきた漁船に壊され、2011年12月、同市が設けた仮設商店街で営業を再開した。昨年3月の取材でも、記者は谷地田さんにお世話になっていた。「よぐ来たねぇ」と1年ぶりの再会を喜んでくれたが、商店街の今後の話題になると急に表情が厳しくなった。

        市などの方針では、仮設商店街は12月に閉まる。もともと被災した商店主らの早期の事業再開と、駅近辺の活性化が目的で、店の賃料は免除されていた。

        以前の店があった場所には、再び津波に襲われるという怖さがある。周辺に新しく店が入れるような高い建物もなく、パンを買ってくれるような住民も戻っていない。

        一方、市は津波の心配が少ない内陸部に災害公営住宅を建設するなど、新市街地の整備を進めている。谷地田さんにも、内陸部に新しい店を構えるという選択肢はある。「公営住宅に本当に人が住むようになるのか。もう少し考えてからでないと新たなスタートは切れない」。仮設商店街の店の経営者たちは今、同様の悩みを抱えているという。

        女川町では、1年前にはなかった白い屋根の建物を見つけた。元の場所から約200メートル内陸に移動し、土地を約8メートルかさ上げして建設されたJR女川駅。震災で不通となっていたJR石巻線の浦宿―女川駅間も21日に再開予定で、同線は完全に復旧する。

        仮設住宅に住む60歳代の男性が駅を見つめ、「以前の景色が変わってしまったのは寂しいが、駅は復興が前に進んでいるシンボルでもある」と笑った。「多くの人が古里を去った。にぎわいが戻るきっかけになれば」と期待している。

        11日は、薬師寺(奈良市)の山田法胤(ほういん)管主が、児童と教職員計84人が死亡・行方不明になった石巻市立大川小で読経を行った。山田管主は線香を供え、祈りをささげる地元の人たちにふれ、「人の心の傷を癒やすのは簡単ではない。被災地で活動を続けることの大切さ、被災地以外の人に現状を知らせることの意義を改めて感じた」と語った。(有留貴博)

      PR
Submit Comment
name
title
color
mail
URL
comment
password   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
HN:
上原健二
性別:
非公開
P R
忍者ブログ [PR]
Template by repe