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「戦争は愚の骨頂」=激戦生き延び、平和に思い―ペリリュー生還兵の永井さん
「戦争は人間にとって愚の骨頂。これだけはなくしたい」。太平洋戦争の激戦地となったパラオのペリリュー島から生還した元陸軍軍曹の永井敬司さん(93)=茨城県茨城町=は、自らの戦争体験を基に、平和への強い思いを語る。
永井さんは18歳で志願兵として入隊。満州でソ連との国境警備などの任務に就いた後、南方への移動を命じられ、1944年4月にペリリュー島に到着した。「緑が濃くて、海がきれい。まるっきり平和な小さな島でした」。数カ月後に始まる米軍の艦砲射撃と爆撃でジャングルが跡形もなくなるとは、当時は想像もできなかった。
9月15日早朝、永井さんの所属する第2大隊正面の通称オレンジ・ビーチに米軍が上陸を開始し、激しい戦闘が繰り広げられた。大隊本部付だった永井さんが翌日、大隊長とともに銃弾の雨をかいくぐって海岸まで駆け付けると、付近にはおびただしい数の遺体が横たわっていた。
堤防に隠れ、わずか数十メートルまで迫った米兵に銃と手りゅう弾で応戦したが、圧倒的な兵力を前に、やがて洞窟陣地への後退を余儀なくされた。米軍上陸後は「99%やられっぱなし」。火炎放射器や爆薬で洞窟の中を焼き尽くされ、戦友たちが次々に死んでいった。
その後は島内に張り巡らした洞窟や湿地を転々として過ごした。「日本が負けることはない」と固く信じ、終戦を知らないまま、47年4月まで潜伏生活を続けた。
「『太平洋の防波堤になれ』という命令はつらいものでした。生き延びるのが一番つらい。海岸に一挙に突っ込んで死んだ方がずっと楽だった」と永井さんは振り返る。
「日本の上層部は勉強が足りず、世界の情勢を知らなかった。無謀な戦争だった」と今は強く思う。天皇、皇后両陛下が慰霊のためにペリリュー島を訪問されることについては「本当にありがたいことで、英霊も喜ぶと思う。尊い犠牲になった人たちはおそらく平和を望んでいる」と感慨深げに語った。