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<被爆死>「原爆ドームは墓」広島の79歳、勤務中の姉死亡
5日で完成から100年になった世界遺産・原爆ドームを、「墓」と呼ぶ人たちがいる。地場産品の振興拠点として開館して30年後の1945年8月6日。その日は月曜日で、「広島県産業奨励館」と呼ばれていた建物で多くの人が働いていた。戦況の激化とともに国や県の機関が事務所を置くようになり、館の元々の機能は停止していた。ここで何人が被爆死したのか。70年後の今も分かっていない。
【「原爆ドーム」になる前は遊び場でもあった】
桜が咲き誇る広島・平和記念公園。木村英雄さん(79)=広島市=は原爆ドームを見つめ「私にとっては、姉と、姉と一緒に亡くなった人たちのお墓なんです」と語った。
原爆投下時、産業奨励館は1階に県土木出張所など、2階には統制会社の支店や県警の保険課などがあった。1階と3階に入っていたのが、旧内務省中国四国土木出張所だ。木村さんの姉春江さん(当時17歳)は、出張所庶務課の電話交換室で働いていた。始業は8時。「今日は休むけえ、伝えといて」。当日朝、春江さんは同僚の女性からの電話を受けていた。女性が後年、木村さんの兄利夫さん(89)に話したという。
中国地方建設局(当時)が戦後40年を機にまとめた資料によると、出張所内外で15~61歳の52人が死亡した。当日は少なくとも13人が所内にいたとされる。内臓障害、重火傷、行方不明……。資料には被爆した職員の記録が刻まれている。春江さんの欄には「行方不明」とあり、備考欄には「8月6日8時20分死亡」との推定が記されていた。
「原爆ドームが残っていてよかった。ここに姉がいますから」。木村さんは手を合わせた。【高橋咲子】
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HN:
上原健二
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