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岐阜・恩田社長、難病のALS発症を告白 社長業は継続の意向 (1/3ページ) - サッカー - SANSPO.COM(サンスポ)
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J2岐阜の恩田聖敬(さとし)社長(36)が30日、岐阜市内で記者会見し、筋肉を動かす神経が侵され全身が動かなくなる難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症していることを自ら公表した。業務は引き続き行う意向。会見に同席した元日本代表MFのラモス瑠偉監督(57)は多くの勝利を贈り、病魔に対し恩田氏と共闘していくことを誓った。
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J2岐阜の恩田社長がALSを発症していることを公表した。会見に先立ち、クラブの公式HPに自身の心境をつづった。
「効果的な治療法はない難病で、運が悪かったとしか表現しようがない病気といわれていますが、私の境遇は、決して運が悪いわけではない。『わたし』のままでいられるならば、今まで通り社長業を続けられる限りは続けて、『ぎふ』のために働きたい」
ALSは昨年から世界各地で行われている「アイス・バケツ・チャレンジ」の活動で広く知られるようになった難病。岐阜県出身の恩田氏は、昨年4月に当時Jリーグ史上最年少の35歳で社長になったが、就任前に体調に変化を感じ、夏前に診断結果を伝えられた。既に走ることはできず、両手の握力も5キロ以下という。仕事を終えた夜にリハビリを行い、病魔の進行と闘っている。
それでも会見では「私の夢はFC岐阜が県民にとって、なくてはならない存在になること。引き続き岐阜県を元気にしていけるよう努めたい。社会とつながっているから前を向いてできる」と変わらぬ熱意を口にした。
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同じく昨年就任したラモス監督にも衝撃的な事実だった。8月には元日本代表FW三浦知良(J2横浜FC)の指名で、アイス・バケツ・チャレンジを行っていたが、恩田氏から病状を告げられたのは約1週間前だったという。
昨季は前年から順位を4つ上げ、17位で終えた。「前向きな姿勢に感動しているし、社長に負けない強い気持ちで戦って多くの勝利を贈りたい」とラモス監督。恩田氏とともに闘う覚悟を言葉に込めた。
恩田 聖敬(おんだ・さとし)
1978(昭和53)年5月10日生まれ、36歳。岐阜・山県市出身。岐阜北高から京大工学部に進学。卒業後、同工学研究科・航空宇宙工学専攻を修了し、アミューズメント施設会社に就職。その後、Jトラスト子会社の常務取締役などを歴任。昨年、J2岐阜の代表取締役社長に就任。当時のJ1、J2で最年少となる35歳での就任だった。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)
脳や末しょう神経からの命令を筋肉に伝える運動ニューロンが侵され、手足を動かすことや呼吸が困難となる難病。年間で人口10万人当たり1~2人が発症するとされ、極めて進行が速く、有効な治療法は現在確立されていない。ALSの研究支援のため、バケツに入った氷水を頭からかぶるか寄付をする慈善運動「アイス・バケツ・チャレンジ」が昨年から広まった。サッカー界ではC・ロナウドや三浦知良ら多くの選手が行った。