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鉄道トリビア (104) 山手線には1カ所だけ踏切がある
山手線といえば東京の大動脈。朝のラッシュ時には内回り、外回りとも1時間あたり24本の電車が走る。運行間隔はわずか2分30秒だ。これだけ運行頻度が高いと、踏切は役に立たない。内回りと外回りで交互に列車がやってくれば閉じっぱなしになってしまう。実際、山手線に乗っても高架区間が多く踏切はまったくない……、と思ったら、なんと、1カ所だけ踏切があった。
駒込駅から田端方向を見る
先頭車から眺めて踏切を確認!
山手線に1カ所だけある踏切は駒込駅~田端駅間にある。名称は「第二中里踏切」。第二があるなら第一もあるはずだと思ったら、すでに廃止されてしまったようだ。山手線の歴史を調べてみると、2005年までは目白駅~池袋駅間にも踏切があったという。その踏切が廃止されてしまったため、現在はこの「第二中里踏切」だけになってしまった。
この踏切の道路は両方向通行できる。しかし中央の車線が作られないほど幅員が狭い。小さな踏切だから、電車の車窓からは一瞬で通りすぎてしまう。近隣に配慮したためか、警報音も小さいので、電車に乗っていても気づきにくい。普段この区間で電車に乗っていても知らない人が多いかもしれない。
山手線は、正式には品川駅から新宿駅を経て田端駅までだが、実際は東京の都心をめぐる環状線として運行されている。このうち、東側の東京駅付近は建設当時から高架線だ。すでに道路が張り巡らされ、路面電車も横切っていたからだ。西側は山手線の線名の由来となった「山の手」こと武蔵野台地の東端で、高い土地が指のように平地部にせり出している。起伏が多い地域で、土地を削り取った「切り通し」が多い。かつてトンネルがあったという説もあるが、現在はない。こうした事情ゆえ、もともと踏切が少ない路線だったという。
ここが「第二中里踏切」
山手線の建設当時、「山の手」は人口も少なく道路も少なかった。その後、人口の増加とともに踏切が作られたり、電車の運行頻度が上がると撤去されたり、地下道を通したり……、といった工事が行われたようだ。そんな歴史の中で、なぜかこの「第二中里踏切」だけが残っている。
この踏切は1925(大正14)年に作られた。きっかけは山手線の複線化だった。この踏切の少し北側は丘になっており、切り通しを渡る橋が掛けられていた。しかし、複線化と山手貨物線との交差する都合で切り通しをすべて掘削した。このため橋が掛けられなくなって、新たに駒込駅寄りに踏切を設置した。これが「第二中里踏切」だという。
距離を示す「19K616M」は品川駅からの距離。なぜなら山手線の正式な起点は品川駅だから
この踏切を解消するため、道路を地下に建設しようとしても、こんどは隣の山手貨物線(湘南新宿ライン)に踏切を作らなければならない。道路を高架にしようにも、線路の両側の土地が足りない。そもそもここを通る車の量は少なく、幹線道路の抜け道にもなりにくいルートだ。田端駅寄りに道路橋もある。かといって廃止にするわけにもいかない。近所に滝野川第七小学校があり、重要な通学路らしい。だから踏切のまま残されているようだ。
山手線に、ぽつんと残された踏切ひとつ。「第二中里踏切」は、付近の人々にとって重要な"線路と道路の交差点"となっている。