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鉄道トリビア (102) 大手私鉄の車内にあって阪急電鉄にはないもの、それは何!?
鉄道会社には設立から今日まで続いている文化や考え方がある。例えば優先席は多くの鉄道会社で採用されているが、横浜市営地下鉄は全席が優先席となっている。女性専用席の有無や位置も鉄道会社によって異なる。携帯電話の使用については各社とも、「優先席付近では携帯電話の電源を切って」と呼びかけているが、阪急電鉄の場合は「携帯電話電源オフ車両」を設定している。もちろんその他の車両もマナーモードで、通話は遠慮してほしいとしている。
阪急電鉄京都線の9300系電車。この京都側先頭車は「携帯電話電源オフ車両」
そんな阪急電鉄だが、他の大手私鉄の車内には必ずある「あるもの」がないという。それは一体なんだろうか。筆者などは「あるもの」のおかげで退屈しないし、世の中の話題も把握できる。知り合いと電車に乗ったとき、ふと会話が途切れてしまっても「あるもの」のおかげで話のタネが見つかったりする。便利で楽しいアイテムだが……。さて、あなたは気づいただろうか。
こちらは5300系の車内。阪急には他社では見かけるアレがない?
理由を阪急電鉄に聞いてみた他の大手私鉄には大抵あって、「阪急電車」にはない「あるもの」とは? それは「週刊誌の中吊り広告」だ。どんな電車にもあると思っているから、実は阪急電車にもあると思っていた。しかし実際に乗ってみると、確かになかった。書籍の広告はあるのだが。他には不動産、金融関係など、おなじみ業種や商品の広告が並んでいる。
阪急電鉄の車内。たしかに週刊誌の広告はない
毎週、いくつも発行される週刊誌。その広告は収入の面でも大きいはず。出版社にとっても広大な路線網を持ち、大都市と住宅街を貫く阪急沿線の人々に週刊誌を買ってもらいたいはず。では、どうして阪急電車には週刊誌の広告がないのだろう。阪急電鉄に聞いたみたところ、こういう返事だった。
「電車の中は公共の場所と考えております。週刊誌の広告にはごくまれに公共の場所にふさわしくない内容が含まれる場合があります。広告はお金をいただいて掲載させていただくものなので、当社としては内容の1つひとつをチェックいたしかねます。そこで、もとより週刊誌の広告はすべてご遠慮いただいております」
週刊誌にはスキャンダラスな内容もある。だが、コンピューター情報誌やゲーム雑誌など、専門的な内容でスキャンダルとは無縁の週刊誌だってあるというのに……。なんと潔いことだろうか。
ちなみに、車内の中吊り広告というアイデアは阪急電鉄の創業者、小林一三だったといわれている。商売はする。ただし儲けを第一にしない。阪急電鉄の広告に対する考え方は、そんな小林氏の精神に根ざしているかもしれない。
手の届く贅沢
777-300ER型機は、大型でジャンボ機(747型機)並みの座席キャパシティを持つ。機内が広ければ、それだけで開放感も出てくる。写真提供:トルコ航空
ワンランク上の商品やサービスに「プレミアム」の名が冠されるのが流行りだが、航空機の座席にはプレミアムエコノミーというクラスがある。もともとは、エコノミークラスより座席の幅や前後の間隔を少し広くした程度の差しかなかった。ところが、ここ数年でプレミアムエコノミーを設置する航空会社が増え、他社と差をつけるべく、各社サービスを競うようになっている。中には、サービスレベルの低い航空会社のビジネスクラスと比べると明らかにランクが高いプレミアムエコノミーも誕生している。
そうした中、トルコ国内をはじめ、ヨーロッパ、中東、アフリカへも乗り継げるトルコ航空が今年4月から成田 - イスタンブール線に最新鋭機ボーイング777-300ERを投入した。同時に、「コンフォートクラス」という名のプレミアムエコノミーに相当するクラスを設置。そのサービスを、さっそく体験してきた。
一目瞭然で普通のエコノミーとはレベルが違うと分かるコンフォートクラスの座席。横に2-3-2の座席配列で窓側は2席のみ。圧迫感も少ない
一目瞭然のゆとりスペースと座席機内に入ると、コンフォートクラスはビジネスクラスとエコノミークラスの間のまったく独立したスペースに設置されていた。落ち着いたダークブラウンのシートが目に入り、それだけでゆったりとした気分にさせてくれる。
シートピッチ(座席の前後間隔)は116cm。業界平均より20cm弱も広い。肘掛もゆったり
シートに座ると、どっしりとしていて安定感がある。ヘッドレストは頭の高さに合わせて調節でき、レッグレストとフットレストも装備。読書灯や電源コンセント、USBケーブルもあり、TVモニターは肘掛から出す、自在に画面の向きを変えられるタイプだった。
テーブルは書類置きに早変わり。読みかけの本を置くにもよく、こういう工夫はやはりうれしいものだ
電源コンセントやUSBポートは全席に完備。自分のiPodに入れているコンテンツも楽しめる。2011年末までにはインターネット接続、携帯電話サービス、衛星TV放映も始まる予定
そして、シートピッチは予想以上に広く、また座席幅にも余裕を感じた。同行した女性記者が「背の高くない日本人女性なら胡坐をかける」と言っていたが、実際に横幅は49cmあり、これはビジネスクラス並みの水準である。途中でテーブルを出して読書灯を点け、調べ物をしたり、ネットブックを取り出して原稿を書いたりしたが、窮屈に思えることもなく用事を終えた。出張にもおすすめのようである。
TVモニターは肘掛から取り出すパーソナタイプで、画面の角度を自由に調整できて見やすい。リモコンだけでなくタッチパネルでの操作もできる。もちろんオンデマンド
アメニティキットには、歯磨きや櫛、耳栓、アイマスクの他、リップクリームやモイスチャーも。写真提供:トルコ航空
少し前のビジネスに最先端サービスをプラス今回、トルコ航空のコンフォートクラスは初めて利用したわけだが、なぜかすでに体験ずみのような気がしてならなかった。これはどうしてか、と考えてみると、その答えは単純だった。コンフォートクラスでは、少し前(フラットシートが一般化する前)のビジネスクラスと同等のサービスが受けられたからである。ただ、オンデマンドのエンターテインメントやiPodに入れた音楽や動画の再生できるなど、最先端のサービスが導入されているので、そういう意味では当時より進んだサービスを受けられることを付け加えておこう。
さて、このコンフォートクラスの最大の特徴の1つは、独自に開発された機内食である。トルコ料理は世界三大料理の1つに数えられ、そんなお国柄から食事にはこだわりを持っているという。実際に出された食事を味わいながら、紹介してみよう。
キャビンアテンダントとフライング・シェフ。トルコ航空の機内食を担当するDO&CO(ドコ社)のシェフが搭乗
駅北エリアに新しい街「結いの丘 まきのはら」今秋誕生へ
UR都市機構はこのほど、北総鉄道北総線・印西牧の原駅(千葉県)北エリアの名称を、「結いの丘 まきのはら」に決定したと発表した。
印西牧の原駅の周辺には、大規模なショッピングモールが並ぶ
印西牧の原駅は千葉ニュータウンエリアに位置し、北総鉄道北総線と、昨年7月に開業した成田スカイアクセスが線路を共用している。
同駅に隣接する千葉ニュータウン中央駅と印旛日本医大駅には、都心と成田空港を直結するアクセス特急が停車しており、これに乗り継ぐことで、都心まで約1時間、成田空港へも30分程度でアクセスできる。また、同駅始発で都心や羽田空港方面へ直通する電車も多数設定されている。
印西牧の原駅の時刻表(写真左)。半数近くの電車に、同駅始発を示す「▲」印が。朝7時台には10本の電車が設定され、改札口付近は通勤・通学客でにぎわう(同右)
成田スカイアクセスと線路を共用する北総線。「スカイライナー」は通過するものの、北総鉄道や京成電鉄、都営地下鉄など、同路線を行き来する電車はバラエティ豊かだ
駅北エリアの愛称に決まった「結いの丘 まきのはら」のロゴ
同駅北エリアは今秋のまちびらきを予定している。これまで、UR都市機構が幹事となって「WONDER GREEN PROJECT まちづくりかいぎしつ」を立ち上げ、低炭素でエコな「子どもと環境に優しいまち」を目指して検討会が行われてきたという。
新しく愛称に決定した「結いの丘まきのはら」には、人々の結びつきを示す「結い」を用い、住民たちが手を取り合いながら「子どもと環境に優しいまち」を育てていく、との思いが込められている。ロゴマークは自然の緑の葉と、そこに住む鳥たちのコミュニティーをイメージしてデザインされた。
愛称決定にともない開催された「印西牧の原 駅北エリア まちづくり構想発表会」では、UR都市機構千葉ニュータウン事業本部部長、佐々木公陽氏らが出席。同エリアについて、「掘割状になった北総線と、線路を囲む国道464号線を中心に、沿道には商業施設が集積している地域です」と説明した。
「印西牧の原 駅北エリア まちづくり構想発表会」では、UR都市機構の佐々木公陽氏(写真右)が登壇し、「結いの丘 まきのはら」の概要を説明した
東日本大震災の発生により、住宅の安全性も議論されているが、「(同エリアのある)下総台地には大きな断層もなく、非常に硬い洪積層で形成された洪積台地となっています。そのため、"震災リスク"が少ない街でもあります」と佐々木氏。今後、総戸数約2,000戸のニュータウンが形成される計画で、景観に配慮して電線を地中化し、新たに保育園や小学校も設置される。
さらに佐々木氏は、「エコで低炭素な街を意識し、自転車や徒歩で快適に移動できる基盤として、歩行者自転車専用道路『グリーンネットワーク』をつくっています」と述べた。住宅街の道路には、「みちひろば」と呼ばれる広場空間も設けられる。都市災害の防止や良好な景観を保ちつつ、地域のコミュニティーづくりにも配慮した街を目指すとのことだ。
鉄道トリビア (101) 7路線が集まる神戸の三宮駅、実は1駅も三宮町になく、各駅が違う町にある
兵庫県神戸市の三宮といえば、神戸市で最も栄える繁華街のひとつだ。鉄道路線は「JR西日本東海道本線」「阪急電鉄神戸本線」「神戸高速鉄道」「阪神電鉄本線」「神戸市営地下鉄山手線」「神戸市営地下鉄海岸線」「神戸新交通ポートライナー」の7路線が集まっている。「阪急電鉄神戸本線」と「神戸高速鉄道」は共通の駅のため駅の数は6つになる。そして、これらの駅はすべて違う町名である。そして三宮町にはひとつも駅がない。
神戸新交通(ポートライナー)の三宮駅の所在地は神戸市中央区「雲井通」
神戸市営地下鉄山手線の三宮駅の所在地は神戸市中央区「北長狭通」
阪神電鉄の三宮駅の所在地は神戸市中央区「小野柄通」
三宮駅は地下鉄や私鉄は「三宮駅」と表記される。一方、JRは「三ノ宮」駅と表記し「ノ」が入る。JRだけ「三ノ宮」とした理由は、官営鉄道の駅として開業したとき、地元の人以外にも「さんのみや」と正しく読んでもらうためという説が有力という。他に、三宮は地名だが、三ノ宮筋という名の通りがあり、官営鉄道の駅名は通りの名に由来したという説もあるとのことだ。
三ノ宮駅と同様の例として、西宮(兵庫県)の「西ノ宮駅」、一関(岩手県)の「一ノ関駅」がある。このうち、西ノ宮駅は西宮市の要望の要望により2007年に西宮駅に改名した。しかし三ノ宮駅はJRとその他の路線を区別するために役立っているせいか、三ノ宮駅のままになっている。
三ノ宮駅に話を戻すと、官営鉄道の開業当初は現在の元町駅の近くに設置されたという。この付近に三宮神社があり、三ノ宮筋もあった。しかし、昭和時代に神戸市が現在の場所を商業の中心地として開発する計画を立てた。そこで、街の中心として三ノ宮駅を移転。所在地は「神戸市中央区布引町」である。つまり、三ノ宮駅の所在地が「三宮町」たった時期はない。
官営鉄道の移転後した駅付近には、阪神電鉄の駅もあった。当時の駅名は「神戸駅」で、その後、同社がさらに神戸寄りに新しい神戸駅を作ったため「三宮駅」に改名した。所在地は「神戸市中央区小野柄通」だ。阪神電鉄は官営鉄道の三ノ宮駅ができた後、もう一度神戸駅に改名し、また三宮駅に戻している。そして、ほぼ同じ時期に(阪神急行電鉄)の神戸駅が開業、しかしこの駅も後に三宮駅と改名する。所在地は「神戸市中央区加納町」である。
神戸新交通ポートアイランド線の三宮駅は「神戸市中央区雲井通」。神戸市営地下鉄山手線の三宮駅は「神戸市中央区北長狭通」。少し南に離れた神戸市営地下鉄海岸線の「三宮・花時計前」駅は「神戸市中央区磯上通」である。
地図を見ると「神戸市中央区三宮町」も確かに存在する。しかし、駅の所在地はどれも三宮町ではなく、全てわずかに離れていて、なんとも惜しいところである。そして、それぞれの駅の所在地がすべて違う町名という状況も興味深い。ちなみに東京の新宿駅は、JRが「新宿区新宿」で、東京都交通局大江戸線が「渋谷区代々木」。京王、小田急、東京メトロは「新宿区西新宿」となっている。
三宮駅と三宮町
鉄道トリビア (98) ラッシュ時の川崎駅、東海道本線の普通列車が通過していた時期がある
平日の朝といえば、列車が最も混雑する時間帯だ。最近は増発や列車の長編成化、新路線の整備などの効果で緩和されている……とはいえ、乗車率200%の区間はまだまだ多い。ホームには乗りきれない乗客が溢れ、1本でも列車を走らせて乗客を捌きたいところだ。しかし、1970年代まで、川崎駅では東海道本線の列車を通過させていたという。
川崎駅を東海道本線の普通列車が通過していた?
JRの川崎駅といえば、東海道本線、京浜東北線、南武線が接続する大ターミナルだ。1日平均の乗車客数は18万人強で、JR東日本の駅では12位。神奈川県内にあるJRの駅では横浜に次ぐ2位だ。そんなに乗客の多い駅を東海道本線の普通列車が通過していたなんて、今では信じられない話である。その証拠を見てみよう。iPhoneアプリ『時刻表復刻版 1968年10月号』(1,500円)で確認できる。
なんと、始発から午前9時頃まで、東海道線の普通列車はすべて川崎駅だけを通過していた。これはちょっと酷くないか……なんて思ってしまうが、これによって川崎駅利用者は都心へ行けない……ということはなくて、京浜東北線の電車は停車していたし、当時は東海道本線の線路を共用していた横須賀線の電車も川崎駅に停車していた。
京浜東北線も横須賀線の大船 - 東京間も、線路の所属は東海道本線だから、正確には「東海道本線の一部の列車が通過していた」という扱いだった。路線別の時刻表を見ると通過の印ばかりで奇妙だが、実態は「快速列車が通過する」程度の話であった。東海道線と並行して京浜急行も走っていたのだが、それでも当時川崎駅を利用していた人は不便を感じていたことだろう。
混雑しすぎるから通過した……1980年に解消それにしても、なぜ東海道本線の普通列車は川崎駅だけを通過したのだろう。当時の川崎駅は乗降客が少なかったのだろうか。いや、実はまったく逆で、川崎駅の利用者が多すぎたから通過させたという。
当時も今も、東海道本線は京浜東北線に対して快速列車的な位置づけだ。だからほとんどの駅で東海道線に乗ろうとする人が多かった。そんな状態で、乗降客数が桁違いに多い川崎駅の利用者が東海道線に集中すると、乗降のための停車時間が長くなってしまい、ダイヤが大幅に遅れてしまう。そこで、わざと川崎駅を通過し、比較的空いている横須賀線の電車や京浜東北線の乗車へと促したというわけだ。
この「東海道本線普通列車の川崎駅通過」は、1980年10月のダイヤ改正で解消された。東海道線の混雑を根本から解消するために、国鉄が横須賀線の電車を品川から鶴見付近まで貨物線を経由させて、「新横須賀線」として運行を始めたからである。東海道本線と横須賀線の供用が解消されたため、横須賀線が走った時間に東海道本線の列車を増発できた。そこで全列車が川崎駅に停車するようになった。
1970年代までの川崎駅の普通列車通過は、通勤客の増加と列車ダイヤの維持を両立させるための苦肉の策だったというわけだ。