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鉄道トリビア (172) ボンネット型特急車両の先頭部には●●●が入っていた

鉄道トリビア (172) ボンネット型特急車両の先頭部には●●●が入っていた 

 映画『旅の贈りもの 明日へ』が27日に全国公開される。ロケ地となった福井県では、本日より先行上映が始まった。同作品で登場する489系特急形電車の先頭車両は、ボンネットスタイルの懐かしい姿。ところで、あのボンネットの中身は何だろうか? 重要な機械が入っていたというけれど、現在は485系・489系に見られたボンネット型の特急形電車は少ない。その重要な機械は不要になってしまったのだろうか?

 489系特急形電車

 新幹線の車両は鼻の長い流線型だ。あれはスピードを出すために空力抵抗を考慮しての形状で、鼻の中には連結器が入っている。東北新幹線と山形新幹線・秋田新幹線の車両を連結するときに使っているし、通常は連結走行しない東海道・山陽・九州新幹線などの車両にも連結器が入っている。万が一立ち往生したとき、救援車両と連結するためだ。

ボンネットの中身は”うるさい機械”だった

 ならば485系・489系のボンネットの中に入っていたのも連結器か……と思ったが、実際にはボンネットの下にカバーがあり、その中に連結器が収まっている。では、ボンネットの中身は何かというと、コンプレッサー(空気圧縮機)や発電機などだったという。

 架線から電気を取り込む電車になぜ発電機が必要か、不思議に思うかもしれない。ボンネットに搭載されたのは「電動発電機」といって、電気で発電する機械である。「なぜ電気で電気を作るのか?」とややこしくなりそうだけど、「直流モーターを回して交流を発生させる機械」なので、「電力変換器」ともいえる。直流電化区間を走る電車であっても、車内の電灯や空調設備に交流電源が要る。そこで電動発電機が必要になるわけだ。

 コンプレッサーは圧縮空気を作るための装置だ。電車はブレーキ装置やドアの開閉に圧縮空気の圧力を使う。また、編成全体に圧縮空気のパイプを通し、パイプが切れたときに自動的にブレーキをかけるしくみに。コンプレッサーは重要な安全装置ともいえるだろう。

 ただし、電動発電機もコンプレッサーも騒音が難点。電動発電機はモーターそのものだから、「ウィーン」と大きな音を立てる。コンプレッサーも、「ポンポンポン……」と断続的な音を出す。自転車の自動空気ポンプを大きくしたような音で、古い通勤形電車も駅に停車中、「ポンポンポン……」と音を出していた。

 特急列車は客室の静音性にこだわった。だから初期の特急形電車では、うるさい機械は客室と分離し、運転台の前に置いた。これがボンネットスタイルの理由である。ボンネット型バスや、自動車の高級セダンと同じ考え方だった。日本初の電車特急「こだま」に使われた151系もボンネット型。それが485系・489系にも継承されたわけだ。

 では、なぜ最近の特急形電車にボンネット型がないのかというと、コンプレッサーも電動発電機も技術の進歩によって小型化・静音化され、車両の床下に格納できるようになったから。ボンネット型車両でも後期に製造されたものは、電動発電機が床下に設置されている。コンプレッサーの場合はドア開閉の電動化などにより、圧縮空気を使う機器そのものが減っていて、これも小型化の要因となっている。

 ボンネットが不要になったおかげで、特急形電車のデザインが自由になっただけでなく、先頭車に貫通扉を付け、連結時に通路としても利用できるようになった。

『旅の贈りもの』トリビア : 映画のために489系の引退を延ばした

 映画『旅の贈りもの 明日へ』では、主人公が少年時代に乗った列車として489系が登場する。当時、特急列車で旅行することは、少年にとってぜいたくだったはずだけど、文通相手の少女に会うために急ぐという心情に合った演出といえる。

 『旅の贈りもの ~明日へ~』
 離婚から25年、会社を定年退職した主人公・仁科孝佑は、独りで第2の人生を始めた。身辺を整理していると、少年時代に福井県の少女・美月と交わした絵手紙を見つける。当時、進路で父親と対立した孝佑は、家出して美月に会いに行った。その記憶を元に、孝佑は福井へ向かった。42年前に文通が途切れた理由を知るために……。出演は前川清、山田優、酒井和歌子ほか

 しかし映画を撮影する際、すでに特急「雷鳥」は引退し、489系も定期運用を離れていた。映画制作会社が撮影を希望したときには廃車寸前だったという。しかし6年前に公開された前作『旅の贈りもの 0:00発』と同様、JR西日本は映画撮影を快諾。なんと映画のために、運用を離脱した489系の定期検査を実施し、車籍(車両の戸籍)を維持したという。

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鉄道トリビア (122) 「吊り革」は革製ではない。もう革製には戻れない

 鉄道トリビア (122) 「吊り革」は革製ではない。もう革製には戻れない

 

 JR西日本はこのほど、225系などで使用する新型の吊り手を、京阪神エリアの普通電車に使われる321系や207系にも順次導入すると発表した。

 新しい吊り手は、輪の内径が従来の85mmから100mmに広がり、太さも従来の15mmから20mmに。オレンジ色で目立つため、とっさのときにつかみやすくなり、安全性が増した。321系に関しては、新型吊り手の導入に合わせて出入口付近の吊り手を増設し、より多くの乗客が利用できるようにするという。

 JR西日本の321系や207系に導入される新型の「吊り手」(画像提供:JR西日本)

 ところで、首都圏の電車だと「吊り手」よりも「吊り革」と呼ぶことのほうが多い。「走行中は危険ですので、吊り革や手すりにおつかまりください」という車内放送もよく聞く。でも実際のところ、「吊り革」は革製ではない。輪の部分はプラスチックで、帯の部分はナイロン繊維を樹脂でコーティングしているそうだ。

 そうは言っても、「吊り革」と呼ばれるくらいだから、昔は革製だったはず。では、いつまで革製だったのだろうか? 筆者自身の記憶をたどっても定かではない。子供の頃から革製ではなかった気がする。

戦時中には姿を消していた!?

 いくつか文献を当たってみたが、はっきりしない。たしかに戦前の車両には、文字通り牛革製の「吊り革」が使われていたようだ。

 だが戦時中、物資不足の影響で牛革が消えてしまった。そこで代用品として荒縄などが使われていたらしい。日本では戦時中からポリ塩化ビニールの生産が始まっていたため、戦後になっても吊り革は牛革に戻ることなく、そのまま合成樹脂製へ移行したと考えられる。

 東京メトロ銀座線の新型車両1000系のモチーフにもなった旧1000形。当時では珍しい全鋼製で、乗客が快適に過ごせるよう随所に工夫が(画像提供:東京メトロ)

 ちなみに地下鉄の場合、1927(昭和2)年に東京地下鉄道が開業した当初から革製ではなかった。

 旧1000形では、「リコ式」と呼ばれる金属製の吊り手を採用していた。使用しないときはバネの力で網棚側に固定され、ぶらぶらしないので輪が網棚とぶつからず、静かな吊り手だと好評だったらしい。その一方で、乗客が使い終わった後に吊り手が跳ね上がり、他の客の頭に当たるなどの理由で、苦情も多かったという。

革製を使わなくなった背景に、あの鉄道事故が

 戦前の電車の吊り革に使用されたという牛革は、いまでは高級バッグにも使われている。ならば、新しく牛革製の吊り革を採用すれば、通勤電車も高級感が出てくるかも……、と思ったものの、残念ながらそうはいかない。

 吊り革はもう革製には戻れない。そのきっかけとなったのが、1956(昭和31)年、当時の運輸省が、電車の火災事故対策に関する通達を出したこと。

 その背景には、1951(昭和26)年の桜木町事故など鉄道火災事故が続いたことが挙げられる。桜木町事故は架線工事のミスで架線が垂れ下がり、電車の屋根に接触し、火花が引火して電車が全焼。死者100人以上の大惨事に。

 当時の電車は油性塗料を使用し、内装もベニヤ板など木製の部分が多く、車両自体が燃えやすかった。加えて、乗客がドアを開ける仕組みがなく、電車のつなぎ目に通路もなく、窓の開口部も小さかった。そのため乗客が脱出できず、多くの犠牲者を出す結果となってしまった。

 これらの事故と国からの通達を踏まえ、鉄道車両の素材は燃えにくいものへと移行していく。吊り革も例外ではなく、燃えにくく加工された合成樹脂が使われるようになった。大量生産でコストが下がったため、地下鉄だけではなく、すべての吊り革が同様の素材になっていった。

「吊り革」「吊り手」に代わる呼び名を考えてみた

 だからいま、「吊り革」という呼び名はふさわしくないかもしれない。最近は「吊り手」のほか、「吊り輪」とも呼ばれているようだ。

 あくまで個人的な意見だが、「吊り手」だと手がぶら下がっているような気がしないでもない。「吊り輪」にしても、都心の電車には"三角型"もあるし、体操競技の名前でもあるので、ぶら下がって遊ぶ者がいそうな印象もある。

 いっそのこと英語にしてみては? と思ったものの、吊り革を英訳すると「ストラップ」。日本だと、なんだか携帯電話のアクセサリーみたいになってしまう。ならば素材名を取って、「吊り樹脂」とか「つりプラ」とか……、それも変だな。

 やっぱり、「吊り革」「吊り手」「吊り輪」あたりで手を打つとするか(笑)。

鉄道トリビア (121) 終点なのに全列車が通過する駅がある

 鉄道トリビア (121) 終点なのに全列車が通過する駅がある

 

 鉄道路線の"終点"といえば、列車が到着した後、折り返しの列車となって戻っていくような駅をイメージする人が多いかもしれない。

 ところが、ある路線の"終点"にもかかわらず、全列車が通過してしまう駅がある。特急列車が通過するならともかく、その駅は一部の日を除き、普通列車さえ停まらない。誰も困らないのだろうか?

 ……もちろん困る。駅があれば、そこには利用者がいる。ただ、まとまった利用者が見込める日は限られるため、その日だけ臨時停車するわけだ。

 鹿島サッカースタジアム駅は橋上駅舎。訪問当日は鹿島まつりで臨時営業していた

 "終点"なのに全列車通過の風変わりな駅、それは鹿島サッカースタジアム駅。ここはJR鹿島線の終点であると同時に、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の終点でもある。隣接する茨城県立カシマサッカースタジアムで試合やイベントがある日のみ列車が停車し、他の日は普通列車も通過する。

 JR鹿島線の列車は、ほとんどが1つ手前の鹿島神宮駅で折り返していく。東京駅発の特急「あやめ」にも鹿島神宮行がある(佐原~鹿島神宮間は普通列車)。だから鹿島線の終点は鹿島神宮駅と思う人が多いだろう。だが実際には、鹿島サッカースタジアム駅までが鹿島線となっているのだ。

 路線の境界と列車の運行区間

 一方、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の列車は、起点となる水戸駅を出発した後、終点であるはずの鹿島サッカースタジアム駅を通過し、鹿島神宮駅まで乗り入れる。

 それでも運賃の計算上、鹿島サッカースタジアム駅までが鹿島臨海鉄道で、鹿島神宮駅に乗り入れる場合は鹿島臨海鉄道の料金にJRの料金を合算しなければならない。

 鹿島サッカースタジアム駅は鹿島臨海鉄道鹿島臨港線の起点でもある。この路線は現在、貨物専用の路線となっているため、原則として旅客列車は運行されない。鉄道の日のイベントなどで、ごくまれに特別列車が走る程度だ。

もともとは貨物専用の駅だった

 この駅はもともと、鹿島臨海鉄道鹿島臨港線の「北鹿島駅」として1970年に開業した。当時の鹿島臨港鉄道は鹿島地域の貨物専業鉄道として営業しており、この駅も貨物専用の駅だった。少し遅れて国鉄鹿島線も開業し、鹿島港から全国へ向けて貨物輸送が可能になった。

 鹿島臨港線では、かつて鹿島線に乗り入れ、鹿島神宮駅までの旅客列車が走った時期もあった。しかし北鹿島駅は貨物駅のままで旅客扱いは行わず、このときから「終点なのに全旅客列車が通過扱い」となっていた。実際にはスイッチバックのため停車していたものの、旅客扱いはせず、時刻表では通過扱いだった。この旅客列車は後に廃止された。

 大洗鹿島線は当初、国鉄鹿島線の延長路線(北鹿島線)として建設されていた。そのまま実現すれば、香取から水戸までがJR鹿島線となったかもしれない。ところが国鉄の累積赤字問題が深刻になり、国鉄としての開業が困難となったことから、鹿島臨海鉄道が引き受けることに。

 1985年の開業時から、大洗鹿島線の列車は鹿島神宮駅まで乗り入れたが、1つ手前の北鹿島駅はやはり貨物駅のまま。すべての旅客列車が通過した。

 駅の南側を見る。一番右の線路がJR東日本、左側は鹿島臨海鉄道

 駅名標の横に、時刻表用らしき看板(?)を見つけた

 1993年にカシマサッカースタジアムが完成し、その最寄り駅として北鹿島駅の旅客化が決定。翌年、鹿島サッカースタジアム駅に改称されて再出発した。

 とはいえ、まとまった旅客が見込めるのはスタジアムでのイベント開催時に限られるため、臨時駅扱いとなった。こうして一部の日を除き、「終点なのに全旅客列車が通過扱い」という状態がいまも続いているわけだ。

鉄道トリビア (117) 戦後の鉄道車両で大流行「金太郎塗り」のルーツは?

 鉄道トリビア (117) 戦後の鉄道車両で大流行「金太郎塗り」のルーツは?

 

 鉄道車両の塗装といえば、いまではすっかり「ステンレス無地」に「色帯」が定番となってしまった。しかし、かつては全塗装の車両や、全塗装に色帯を加えた車両、ツートンカラーの車両など、さまざまなバリエーションがあった。中でも戦後に大流行した塗装スタイルが「金太郎塗り」だ。

 鹿島鉄道(現在は廃止)のキハ432

 東京都電で走っていた6000系

 「金太郎塗り」とは、車体正面に施される、カーブの付いた「V」のような塗装をさす。車体正面の窓の下だけ塗り分ける場合もあるし、窓の上にも「V」の逆向きのような塗装を施す場合もある。いや、むしろ上下に施してトランプのダイヤのように見せる姿がルーツといえるだろう。

 「金太郎塗り」が最初に採用された車両は国鉄の80系電車だ。1949(昭和24)年に導入された長距離運行用の電車で、東海道本線の普通列車用に造られた。80系は新時代の電車をアピールするため、ダークグリーンとオレンジの鮮やかな塗装で誕生した。この塗り分けは、米国グレート・ノーザン鉄道の大陸横断列車「エンパイア・ビルダー」を参考にしているといわれており、80系ではダイヤモンド型の塗り分けがかなり大きくなっている。

 その塗装を見て付けられた愛称が「金太郎塗り」だった。80系に施された塗装が、絵本に登場する金太郎の前掛けに似ているからだ。

 ダイヤモンドと金太郎とはかけ離れた存在だが、ひょっとしたら、終戦から立ち直る過程の日本の人々にとって、金太郎のような「誰もが知っている強いヒーロー」への憧憬があったのかもしれない。あるいは、子供に絵本を与えられるような、平和な世の中が到来したことを喜ぶ機運があったかもしれない。

 80系は「湘南電車」と呼ばれるようになり、緑色とオレンジの塗装はその後、「湘南色」として今日まで続いていく。一方、「金太郎塗り」も大流行し、国鉄や私鉄の車両に多く採用された。

 しかし国鉄の赤字が問題になると、塗装は簡略化され、直線で塗り分けたツートンカラーや、全塗装にカッティングシートの帯を貼り付けるスタイルなどへと変化した。現在、首都圏ではステンレス車体の普及により、ステンレス無地(シルバー)にカッティングシートの色帯というのが主流となっている。

 ちなみに、「金太郎塗り」とはまったく別の、鉄道ファンにはなじみ深い「金太郎」もいる。JR貨物の電気機関車EH500形で、車体側面に金太郎のイラストが描かれた車両も。これは塗装に由来するものではなく、先に岡山機関区に配属された電気機関車EF210形が「ECO-POWER桃太郎」という愛称になったことから、これと対をなして「ECO-POWER金太郎」になったとのこと。

 いずれにしても、「金太郎塗り」もEH500形も、金太郎が日本のヒーローとして愛されているからこそ、名づけられた愛称といえるだろう。

鉄道トリビア (116) 乗れたらラッキー!? 東海道線にレア車両がいる

 鉄道トリビア (116) 乗れたらラッキー!? 東海道線にレア車両がいる

 

 JR東日本の東海道線の普通列車は、ときどきレアな電車が走っている。いつも東海道線で東京・横浜方面へ通勤するアナタ、「あれ、いつもと同じ電車に乗ったつもりだけど、なんだか雰囲気が違うな」と、軽い違和感を覚えた経験はないだろうか。それは決して気のせいではないかもしれない。じつはその電車、横須賀線用の車両かもしれないのだ。

 E231系電車

 211系電車

 東海道線の普通列車には、おもに2種類の電車が使われている。E231系と211系だ。211系は国鉄時代末期から製造された形式で、JR東日本、JR東海などに継承された。E231系はJR東日本が開発した車両で、東海道線だけではなく、中央・総武線、山手線、常磐線など広く使われている。ちなみに型式名の最初の「E」は、JR東日本の「East」に由来する。

 外観は異なるが、211系もE231系も車両の編成はほぼ同じ。10両編成と5両編成があり、10両編成の中間に2階建てグリーン車がある。E231系の普通車はロングシートがメインで、先頭車など一部車両がセミクロスシートに。211系もロングシート車が増えたが、セミクロスシートの車両も健在だ。どちらの車両も、「湘南色」と呼ばれるオレンジとグリーンの帯を巻いている。いまや東海道線のみならず、湘南新宿ラインや宇都宮線、高崎線のトレードマークとなった。

 東海道線では、この2種類の電車に乗る機会が多いだろう。しかしオレンジとグリーンの帯を巻いているにもかかわらず、211系でも、E231系でもない電車が少しだけ走っている。

 たとえば、もともと横須賀線用に製造されたE217系だ。普段と同じオレンジとグリーンの帯の電車に乗ったけど、ちょっと雰囲気が違う……、そう感じたら、それはきっとE217系に乗ったせいかもしれない。

 東海道線仕様のE217系

 横須賀線のE217系

湘南色のE217系、きっかけは「湘南新宿ライン」

 E217系は、横須賀・総武快速線の113系電車を置き換えるために作られた形式だ。特徴は前面運転台中央にある貫通扉。横須賀・総武快速線は品川~錦糸町間で地下トンネル区間があるため、緊急時の非常脱出口として扉が設置された(後に、デザインは変えずに貫通扉を廃止したタイプも登場)。

 この貫通扉のおかげで、E217系は長らく横須賀・総武快速線の専用電車として認知されていた。しかし2006年に転機が訪れる。E217系のうち、15両編成3本が東海道線に「転勤」となった。その理由は湘南新宿ラインの増発だった。

 湘南新宿ラインは、新宿を経由して宇都宮・高崎方面から東海道線、横須賀線を直通する列車として設定され、開業当初はさまざまな形式が使われていた。その後、増発にともない普通列車と快速列車の車両型式をE231系に統一した。横須賀線の一部区間にもE231系が乗り入れたことで、E217系は余った。一方、東海道線はE231系の一部が湘南新宿ラインに移ってしまったため、車両不足になった。

 そこで、E217系を東海道線に移籍させて調整したというわけだ。E217系は11両編成と4両編成の組み合わせで15両編成となっていたが、東海道線に移籍する際、10両編成と5両編成に組み替えられた。

 東海道線に移ったE217系は、後に2編成が横須賀線に戻された。いまや東海道線のE217系はたった1編成の"レア車両"となっている。窓や座席の配置が211系やE231系と微妙に異なるため、正面を見なくても違いに気づく利用者がいるかもしれない。

 東海道線のE233系(写真左)と、京浜東北線のE233系(同右)。前面のデザインはほぼ共通だが、東海道線用の車両はグリーン車を連結し、普通車の一部がセミクロスシートになっている

 東海道線の"レア車両"といえばもうひとつ、E233系も存在する。

 E233系は京浜東北線や中央線快速などに導入された車両で、E231系の改良版ともいえる存在。東海道線には現在2編成が投入されている。こちらはE217系のような「転勤」ではなく、初めから東海道線用に製造された。

 東海道線のE233系は今後も増備されていくようだ。E233系が増えれば、国鉄時代からの211系が置き換えられていく可能性もある。ひょっとしたら、将来、211系を珍しいと思うときが来るのかもしれない。

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上原健二
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