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おやじさん弔いたい…「大勝軒」に常連客ら続々
「つけ麺」の生みの親で、ラーメン店「東池袋大勝軒」創業者の山岸一雄さんが1日、亡くなった。
100人以上の弟子を育て、のれん分けした店が全国に広がる「ラーメンの神様」。温厚な人柄で、厨房(ちゅうぼう)を離れた後も店先で客を迎え続けた。東京都豊島区南池袋の本店には、山岸さんをしのぶ常連客らが次々と訪れている。
3日正午頃。強風が吹く中、本店の外では20~30人の客が列をつくっていた。山岸さんの訃報後、普段の倍以上の客が訪れ、手紙や花も届いているという。
「いつも笑顔のおやじさんにひかれて通ったファンは多い。弔いの気持ちを込めて食べたい」。30年以上前からのファンで、同区西巣鴨のアルバイト高石克政さん(67)は語る。
高石さんは今でも、妻に先立たれた山岸さんが悲しみのあまり、店をたたもうとした時のことを忘れない。1986年のことだ。
休業を知らせる貼り紙の余白には、再開を願う客のメッセージがびっしり書き込まれた。高石さんも「おやじさんのつけ麺をもう一度食べたい」とつづった。妻の死から半年後、山岸さんは「生きる気力を失っていた。でも、お客さんの熱意に打たれた」と店を再開。高石さんは「本当に客を一番に思う人だった。再開してくれた時はうれしかった」と振り返る。
2007年、周辺の再開発により旧本店の閉店が決まると、山岸さんは第一線から退いた。その翌年、一番弟子の飯野敏彦さん(46)が現在の本店をオープンさせた。山岸さんはほぼ毎日、店の外で椅子に座り、客一人ひとりに笑顔で礼を言い続けた。
近くの会社経営関谷二葉さん(41)は3日、家族5人で訪れ、今も店先に置かれたままの椅子を見つめた。「にこにこして、『ひざが痛いけど、みんなにおいしいつけ麺を食べさせなくちゃねぇ』と言って座っていた姿が忘れられない」と涙ぐんだ。
山岸さんは3年ほど前から入退院を繰り返し、心不全のため、1日に病院で亡くなった。80歳だった。前夜まで見舞った飯野さんによると、亡くなる数日前、もうろうとしながらも「いらっしゃい、いらっしゃい」「ありがとうございました」と、店に出ている時のようにつぶやいていたという。
山岸さんの通夜は7日午後6時、告別式は8日午前10時から、いずれも文京区大塚の護国寺桂昌殿で営まれる。一般の参列も可能。(笹本貴子)