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[FT]中国を魅了したリー・クアンユー氏の「独裁」
広東省出身の曽祖父を持つリー・クアンユー氏は、シンガポール首相として初めて中国を訪問した際、中国側のホストに対して家族が抱いた印象について、こう語った。「私たちは中国人と彼らの慣習を異質に感じた」
病を患っていた毛沢東国家主席と手短に握手した1976年の最初の訪中後、訪問を重ねていくなか、英国で教育を受け、先日91歳で死去したリー氏は、中国および中国の指導体制について極めて鋭い理解を深めていった。
実際、常に米中双方の政府と良好な関係を維持したリー氏以上に、過去数十年間の中国の秘密主義の指導者とその政治体制をよく理解していると主張できる世界の指導者は恐らくいないだろう。
リー・クアンユー氏(左)を迎える習近平氏(2011年5月23日、北京)=AP/新華社
オーストラリアのフリンダース大学で国際関係学科の准教授を務めるマイケル・バー氏は「彼は誰よりも早く中国の台頭に気づいた」と言う。
リー氏は一連の訪中について詳細に記録した回顧録で、その市場志向の改革が今日の中国という経済大国を解き放った鄧小平のことを「中国と世界の運命を変えた偉大な指導者」と断言している。
だが、リー氏は決して賛美に迷い込まず、中国共産主義の官僚制度の限界と、北京の権力の中枢と地方の省の関係を理解する重要性について、明晰(めいせき)な現実主義をもって書いた。
リー氏が、周恩来首相の死後、先陣を切って中国を訪問した外国首脳の一人になり、多くの人に先んじて鄧小平と会うことになったのは、この理解があったからだ。この関係から、鄧小平はリー氏が赤道直下の小さな島に築いた経済的奇跡を見るために1978年にシンガポールを訪問することになった。
■中国共産党の究極の目標
鄧小平が1970年代終盤に伝統的な毛沢東主義を放棄して以来、中国の指導者たちは「管理された民主主義」ないし「慈悲深い独裁」というシンガポールモデルに魅了されてきた。多くの政府高官は長らく、そのような制度が共産党の究極の目標であるべきだと感じていた。
過去数十年間にわたり、共産党幹部の団体が毎年、視察旅行のためにシンガポールに飛んでおり、両国の商業的関係は常に緊密だった。