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アラブ連盟、連合軍設立案に合意 外相級会合
【カイロ共同】アラブ連盟は26日、エジプト東部シャルムエルシェイクで開いた外相級会合で、「アラブ連合軍」を設立する決議案に合意した。アラビ事務局長が会合後の記者会見で明らかにした。28、29両日の定例首脳会議で正式に承認される見通し。
緊迫するイエメン情勢を踏まえ、設立の動きが加速した。アラビ氏は「アラブ諸国の名の下に部隊が結成されるのは初めてだ」と指摘し「アラブ諸国が直面するあらゆる脅威に迅速に介入することが任務となる」と説明した。
北朝鮮が「韓国人スパイ2人を逮捕」と発表、韓国・国家情報院は「そのような情報は得ていない」―米メディア
2015年3月26日、米CNNは、北朝鮮が、韓国人2人をスパイ活動を働いた容疑で逮捕したと報じた。
【その他の写真】
CNNの報道によると、北朝鮮は26日、韓国政府の情報機関、国家情報院のスパイであるキム・グクキ氏とチェ・チュンギル氏を逮捕したことを明らかにした。2人には「テロ行為」や大量の偽札を持ち込んだ容疑がかけられているという。北朝鮮の当局者は、キム氏が容疑を認めていると述べた。韓国の国家情報院の担当者はCNNの取材に対して、「我々の組織のメンバーが北朝鮮で逮捕されたという情報は得ていない」と語っている。(翻訳・編集/蘆田)
韓国の小中学校で修学旅行減少、セウォル号沈没事故で保護者が安全に懸念
昨年4月、韓国で起きた旅客船セウォル号の転覆事故の影響で、今年の春、同国では小中学生の修学旅行が減る見通しだ。セウォル号の事故では修学旅行の高校生が多く犠牲になっており、保護者らが旅行中の安全に懸念を抱いていることが背景にある。韓国メディアの報道として、中国新聞網が26日伝えた。
ソウル市教育庁が26日公表した資料によると、韓国の1331カ所の小中学校のうち、これまでに修学旅行の計画を提出したのは46校のみで、131校は修学旅行を実施しないと表明している。
ソウルのある中学教師は、「アンケートの内容を見ると保護者は子供が修学旅行に行くことに同意はするが、安全には大きな懸念を持っていることが分かる」と話す。子供に就学旅行に行ってほしくないという保護者もいるという。
(編集翻訳 恩田有紀)
壁に落書きは子どもの天性?それとも教育の失敗?=日中の親の違った態度に意見さまざま―中国ネット
2015年3月26日、中国のネット上に掲載された「壁に子どもが落書きをした際の日中の親の対応の違い」のスレッドにさまざまなコメントが寄せられている。
【その他の写真】
スレッド主は「家の壁に子どもが落書きをしたなら、日本では『絵を描く才能がある証拠』と子ども天性を信じて励ます人もいるだろうが、中国ならこっぴどく怒られるはずだ」と自身の考えを語った。
これに対し、ほかのネットユーザーからは、「スレ主の主張は極端。子どものわがままを正さないとろくな人間に成長しない。壁は落書きをしてよい場所ではない。壁に落書きするなんて行儀が悪すぎる」「日本の壁紙は簡単に交換できるかもしれないが、中国の壁はペンキを塗りなおさないといけないため手間がかかる。親の態度に違いが出ても不思議ではない」「中国の農村部では確かにそうかもしれないが、文化的な素養が高い都市部の親なら日本に劣らない教育水準だと思う」「中国の教育が失敗していることは疑いようのない事実」とさまざまな意見が寄せられた。(翻訳・編集/内山)
多くの中国人を驚かせ、羨ましがらせる日本の子どもの習慣―中国メディア
捜狐網は25日、「なぜ日本の教育は『人』の教育と言われるのか?」というタイトルの文章を掲載した。以下がその内容だ。
8日間の日本訪問で理解できたものはほんの一部だろうが、日本社会には総じて「穏やかで安定して、秩序がある」という印象を持った。みんながそれぞれの持ち場で職務を全うしようとするとともに、道中ではしばしば「集団教育」という言葉を耳にした。
日本では集団が強調される。各個人は自分の本分を守り、自分のことをしっかりやり、「極力他人に面倒をかけない」という文化の核を持っている。それは、生活習慣の養成を非常に重視するという教育面に表わされており、昼食を食べ終わると子どもたちはお盆の中をきれいにし、速やかに片づけるのだ。これも、日本を見学した中国人が驚き、羨ましいと感じる点である。
子どもたちのこのような自律性は、集団主義社会の中に隠れている社会規範の作用によるものである。教育者たちがどうやって子どもたちの自律性や生活習慣を育てるのかがとても興味を引く。日本では、生活習慣における些細なことに、人としての態度が表わされる。掃除はただきれいにするだけではなく、人としての行動でもあり、食事も単に食べるということにとどまらず、「食育」と呼ばれる要素が含まれるのだ。生活における小さなこと1つ1つが、すべて教育のきっかけになっている。なぜなら、小さなこと1つ1つがみんな一種の「道」であり、深い探究や修練が必要だからである。
(編集翻訳 城山俊樹)