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学校再開へ邦人女性奔走=エボラ拡大西アフリカ3カ国-ユニセフの青木佐代子さん
取材に応じる国連児童基金(ユニセフ)日本人職員の青木佐代子さん=2日、東京都港区のユニセフハウス
ギニア、リベリア、シエラレオネの西アフリカ3カ国で、エボラ出血熱感染拡大に伴い全土で閉鎖された学校の再開に取り組んできた国連児童基金(ユニセフ)の日本人職員、青木佐代子さん(43)が一時帰国し、体験を語った。「登校しても感染する子は一人も出さない」。子供たちを迎える万全の体制を整えるため奔走した。
カリブ海のドミニカ共和国のユニセフ事務所で副代表を務める青木さんに昨年10月、「SOS」と書かれた電子メールが届き、西アフリカ入りを打診された。かつてコンゴ民主共和国(旧ザイール)の紛争地に駐在したことがあり、フランス語ができて教育政策に強い経歴が買われた。
青木さんが拠点にしたのはセネガルにあるユニセフの西・中部アフリカ事務所。同11月に首都ダカール入りしたが「そこにいたのは全体の3割程度」で、感染3カ国との往来が今年3月の日本帰国まで続いた。
3カ国では昨年9月以降、新学期になっても学校を開けなくなった。青木さんは(1)校門での体温測定(2)校内での手洗い(3)医療機関との連絡体制-の3点に重点を置き、各国のチームと連携して全土共通の体制を整備。地域社会に「学校は安全」と理解してもらう啓発に力を入れた。その結果、ギニアは1月、リベリアは2月に再開にこぎ着け、シエラレオネも間もなく再開する。
現地では「学校の体温計でうつる」「スイカを食べると感染する」といったデマにも遭遇した。一方で「割と普通な感じ」で市民の暮らしは続いていて拍子抜けも。現地滞在中の約5カ月間に患者と出会うことはなかったという。
その代わり、アフリカから一歩外へ出た時の「偏見や差別」は身をもって感じた。年末にドミニカへ一時帰国した際は、連日の体温測定を当局から監視された。知人から冗談半分に「エボラだから触らないで」と言われても、最後は「それ、あんまり面白くない」と笑う気にもなれなかった。
現地入りを終え、こうした偏見も含めエボラ被害と日々静かに闘っているのは国連や医療・保健関係者にも増して「子供や先生、親一人ひとりだった」との思いを強くしている。夏ごろと予想されるエボラ出血熱の完全終息を願ってやまない。
NPT次期議長が被爆地訪問=爆心地で献花-長崎
原爆落下中心碑に献花したフェルキ核拡散防止条約(NPT)再検討会議次期議長=4日午前、長崎市
27日から米ニューヨークで核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開催されるのに先立ち、同会議次期議長のアルジェリア外交官タウス・フェルキ氏は4日、長崎市の原爆落下中心碑の前に献花し、犠牲者に哀悼の意を表した。
フェルキ氏は長崎原爆資料館を視察後、館内で田上富久市長と面談。田上市長は、NPT再検討会議の開催前に次期議長が被爆地を訪問したことに謝意を伝えた上で、「今回の訪問が会議の運営にプラスの効果になることを祈っている」と話した。
フェルキ氏は「核兵器の削減というわれわれが直面している課題が実感できた。日本政府と協力し、会議の成功につなげたい」と述べた。
「軍支えた民間人も慰霊を」=両陛下パラオ訪問で-「友の会」会長田中さん・沖縄
戦後、パラオから沖縄に引き揚げ、「パラオ友の会」会長を務める田中順一さん=3月18日、那覇市
天皇、皇后両陛下は8~9日、戦後70年に当たり、戦没者慰霊などのためパラオを訪問される。戦前、日本の統治下にあったパラオには、多くの日本人が移住した。中でも多かったのが沖縄出身者だ。戦後、日本に引き揚げた沖縄出身者による「パラオ友の会」会長として慰霊を続ける田中順一さん(81)=那覇市=は「日本の国土を守った将兵の英霊と同時に、その軍隊を支えた民間人のみ霊も供養してほしい」と思いを語った。
田中さんは1940年、父親に呼ばれ、パラオのコロール島へ渡った。44年春から米軍の空襲が激しくなり、密林に覆われたパラオ本島へ疎開した。
11歳だった田中さんは、高台で敵の飛行機を見張る役目だったが、「いつもエンジンを止めて空から音もせずにスーッと現れた」。敵機に追い回されたり、機銃掃射を浴びてアダンの巨木の陰に飛び込んだりする毎日だった。
疎開生活では、食糧を軍に供出したため1日の食事は多くてサツマイモ二つ。カタツムリを芋の葉と一緒に炒め、「とにかく口に入るものは何でも食べた」。しかし、栄養失調で亡くなる兵隊や幼い子どもが相次ぎ、遺体にはネズミが群がった。「今考えたらぞっとするが、かじられて目玉のない子どもを埋めるのが仕事だった」と振り返る。
旧海軍墓地にある「沖縄の塔」=2月26日、パラオのコロール
83年、沖縄出身の引き揚げ者による「沖縄パラオ会」が結成された。会員数は当初、1000人を超え、年50~60人の慰霊団をパラオに派遣。田中さんは3代目の会長を務めた。
パラオ会は2007年、会員の減少や高齢化で解散したが、「何とかつながりは残さないといけない」との思いから、十数人の有志で「パラオ友の会」を設立。現地に2~3年に1度足を運び、慰霊碑の清掃を続ける。「コロールでは、沖縄の塔が一番きちんと手入れされていると現地の人が言ってくれる。沖縄はウヤファーフジ(先祖)崇拝だから」と胸を張る。
「両陛下の訪問を機に、戦争のない平和な日が続き、日本とパラオが共に繁栄してほしい」と田中さん。両陛下と同日程でのパラオ訪問は、宿泊場所が確保できず断念したが、米軍が上陸した9月に合わせ、現地に赴くつもりだ。
文化交流「心の絆」=歌舞伎と京劇、合同公演-北京
歌舞伎と京劇の公演を終え、そろって観客の拍手に応える日中の俳優ら=2日夜、北京市内の劇場
【北京時事】中国の唐家セン中日友好協会会長(元国務委員)は3日、北京で自民党の中曽根弘文元外相と懇談した。唐氏は北京で日本の歌舞伎と中国の古典演劇「京劇」の合同公演が実現したことを評価。「芸術文化交流は心と心を結ぶ絆。良好な国家間の関係構築に最も役割を果たした」と述べ、日中関係改善のため文化面の交流が重要との考えを強調した。
今年の抗日戦勝70周年については「(日中関係にとって)試練の年だが、関係改善の大きなチャンスにもなる」と指摘した。今回の公演に際し、安倍晋三首相は開催を祝い友好を期待するメッセージを中曽根氏に託した。
公演は2、3の両日開かれ、日本からは歌舞伎俳優の尾上菊之助さんが「春興鏡獅子」に出演。観客から盛んな拍手を受けた。
日中平和友好条約が結ばれた翌年の1979年、菊之助さんの祖父の尾上梅幸さんも中国を訪れ、同じ演目を披露した。歌舞伎と京劇の合同公演は初めてといい、自民党の歌舞伎振興議員連盟の会長を務める中曽根氏らも鑑賞した。
長谷寺と岡寺に油まかれる
奈良県明日香村の岡寺で、国重要文化財の仁王門など計7棟に油のような液体がまかれた跡が見つかり、寺が4日、橿原署に届けた。同県桜井市の長谷寺でも同日、国宝の本堂などに油のような液体がまかれた跡が見つかった。奈良県警は同一犯による悪質ないたずらとみて、文化財保護法違反などの疑いで捜査している。
橿原署によると、岡寺では木造の仁王門の正面下部や仁王像の台座などに、水をはじく油のような液体がまかれていた。本堂や楼門といった、別の建物の扉や壁でも見つかった。