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東京メトロ半蔵門線と都営新宿線に隔たる九段下の壁、15日より撤去開始
東京都交通局と東京メトロはこのほど、九段下駅での都営新宿線と半蔵門線の乗換えを改善するための工事を、15日の終車後から開始すると発表した。
東京メトロ半蔵門線の08系車両
九段下駅の乗換え改善に向けた工事は15日から
九段下駅では同一階に都営新宿線と半蔵門線のホームが並んでいるものの、ホーム階(地下4階)とコンコース階(地下3階)に壁があり、両ホームを行き来するには改札を出る必要があった。
東京都交通局と東京メトロは11月2日に、サービス一体化に向けた取り組みとして九段下駅の壁の撤去を発表しており(詳細は本誌既報の通り)、12月15日の終車後から撤去工事に着手。まず都営新宿線ホームの新宿側、半蔵門線ホームの渋谷側から仮囲いを設置し、壁の撤去を行う。
今後は工事の進捗を見ながら新たな仮囲いを順次設置し、コンコース階の壁の撤去工事にも着手する。工事完了は2013年3月の予定。「工事期間中はホームの幅が一部狭くなるなど、ご迷惑をおかけしますが、ご理解とご協力のほど、よろしくお願いいたします」と呼びかけている。
JR九州の特急「A列車で行こう」期日限定で博多へ
JR九州はこのほど、熊本~三角間の特急「A列車で行こう」を鹿児島本線博多駅まで延長運転すると発表した。2012年1月7日より、期日限定で運転を開始する。
キハ185系2両編成で運転される「A列車で行こう」。期日限定で博多駅へ
「A列車で行こう」は、今年10月8日にデビューした特急列車で、現在は土曜・日曜・祝日を中心に運転され、熊本~三角間を1日2往復している。博多駅まで運転するのは2往復のうち1往復。
下り「A列車で行こう1号」は、博多駅を8時41分に発車。鳥栖駅、久留米駅、大牟田駅、玉名駅、熊本駅、宇土駅に停車し、三角駅には11時14分に到着。駅前の三角港より、天草への旅行に便利な定期航路「シークルーズ1号」に接続する。上り「A列車で行こう4号」は、三角港に14時42分に到着する「シークルーズ4号」に接続し、三角駅を14時52分に発車。博多駅には17時25分に着く。
延長運転が行われるのは、1月7~9日、2月11~12日、3月3~4日の計7日間。「この機会にぜひ、『A列車で行こう』と『シークルーズ』で天草への旅をお楽しみください」(JR九州)とのこと。
ルフトハンザ機内食「スターシェフ」、ザ・ペニンシュラ監修メニューを実食
成田・中部空港発着はザ・ペニンシュラが監修
有名シェフやホテルが上級クラスの機内食を監修するのは、今や航空サービスの定番になっているが、ルフトハンザ ドイツ航空は10年以上も「スターシェフ」プログラムを提供。このサービス分野では”老舗”的な航空会社だ。
その「スターシェフ」が今年11月から一新された。成田と中部空港発着は「ザ・ペニンシュラ東京」、関空発は「スイスホテル南海大阪」と提携。両ホテルの総料理長とシェフのチームが監修するメニューが機内で提供されている。
機内食監修をした「ザ・ペニンシュラ東京」アダム・マティス総料理長と児島輝幸和食料理長監修(写真左から2人目、3人目)
過日、都内で行われた試食会では、「ザ・ペニンシュラ東京」のアダム・マティス総料理長と児島輝幸和食料理長が監修する料理が紹介された。「蟹と菊菜を和えたお浸し」や「サーモン手毬寿司」など、味も盛り付けも細やかな前菜の後、魚料理は「サーモントラウトのポーチ」、肉料理は牛頬肉、仔羊、鴨肉が1つのプレートに盛られて提供され、一皿で多彩な味を楽しめた。
前菜。左上から時計回りに、「蟹と菊菜を和えたお浸し」「柿の白和え」「菊花かぶ」「車海老芝煮」「福沙玉子」「鴨ロース焼き」「サーモン手毬寿司」
魚料理は「サーモントラウトのポーチ ホウレン草 ニョッキのマスタード風味 ボアブドランソース」
肉料理。左から「牛頬肉のプレゼ ポテトとにんじんのドフィノワーズ アスパラガス スペイン風オニオンサルサ添え」、「仔羊のスロークックをシュークルートにのせて ガーリックソース」、「鴨脚のコンフィ レンズ豆とフレンチビーンズ」
デザート。左上から時計回りに「苺と柚子風味のゼリー」「ザ・ペニンシュラ マンゴーと豆乳のパンナコッタ」「チョコレートタルトとバナナディップ」「栗モンブラン チョコレートエスプレッソムース」「ザ・ペニンシュラ チョコレートムース」。中央が「ザ・ペニンシュラ チーズケーキのレッドベリー飾り」
そしてザ・ペニンシュラといえばスイーツだが、「マンゴーと豆乳のパンナコッタ」「チョコレートムース」など、どれも期待を裏切らないおいしさだった。
「スターシェフ」プログラムには、全体で世界各国から60名を超える一流シェフたちが参加している。ルフトハンザは総2階建てのエアバスA380型機を日本便に就航している数少ない航空会社の1つ。まさに大船に乗っているという表現がぴったりな同機のフライトで「スターシェフ」の料理を味わえば、至福のひと時が楽しめるに違いない。
ルフトハンザのエアバスA380型機。機内はやはり広い。成田 – フランクフルト線で体験できる
JR東日本、案内業務にタブレット端末を導入
JR東日本は6日、モバイル型の案内機器であるタブレット端末を主要駅に配備し、駅利用者への案内業務に活用することを発表した。首都圏の主要駅や地方の拠点駅に加え、外国人観光客がとくに多い鎌倉駅や日光駅にも導入される。
外国人観光客の多い鎌倉駅にも、案内業務用としてタブレット端末が導入されることに
タブレット端末はおもに駅構内で案内業務を行うサービスマネージャーが携帯する。採用されたのはシャープのメディアタブレット「GALAPAGOS」で、片手で持ち歩けるサイズと携帯性、表示内容の見やすさ、同端末に内蔵された高速通信機能などが評価されたという。
タブレット端末の活用により、電子化された資料を速やかに提示でき、その場でインターネットに接続して、運行状況や乗換・運賃案内などリアルタイムの情報を提供できるようになる。翻訳や筆談、地図といったアプリケーションを活用し、外国人観光客への案内にも役立てられる。
今後、サービスマネージャーを配置した首都圏の主要駅と地方の拠点駅(計43駅)に112台、鎌倉駅と日光駅に1台ずつ配備する予定。来年1月より順次使用開始するとのこと。
昭和の残像 鉄道懐古写真 (37) 北陸に残った最後の非電化ナロー尾小屋鉄道を訪ねるも…
北陸地方を走る富山地方鉄道を舞台に、鉄道にまつわる人々のドラマを描いた映画『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』が現在、全国公開されています。
昭和の時代、富山地鉄のほかにも、北陸地方には多くの中小私鉄が存在していました。北陸本線を動脈とたとえるなら、まるで毛細血管のように私鉄の路線が延びていたのです。
中でも人気だったのが尾小屋鉄道。今回はその尾小屋鉄道の写真を紹介しますが……、残念ながらすべて廃線翌日の様子です。
廃線の情報を知り、撮影の計画を立てたのですが、なんとか都合をつけられたのは廃線翌日のみ。なぜなら尾小屋鉄道の営業最終日は、筆者の中学校の卒業式と重なっていたからです。泣く泣く卒業式当日の夜、上野発の急行列車「越前」に飛び乗りました。
尾小屋鉄道は、石川県の小松駅(北陸本線)に隣接する新小松駅から、尾小屋駅までを結んでいた全長16.8㎞の鉄道です。もともと尾小屋鉱山の鉱山鉄道として開業しましたが、鉱山の閉山やモータリゼーションの波に飲まれ、廃線となってしまいました。
尾小屋鉄道が人気だった理由、それはズバリ、日本で最後まで残った非電化の軽便鉄道だったこと。軽便鉄道とは、一般的な列車と比べて線路の幅が狭く、小型の車両を用いる鉄道を指します。尾小屋鉄道の軌間(レールの間隔)は762mmで、25.5cmの靴にしてたった3足分!
そんな狭いレールの上を小さな車両が走り、沿線には鉱山鉄道ならではの風景が繰り広げられていました。そこには、忘れ去られた昔日の軽便鉄道の情景が残っていたのです。
じつは、いまでも現役時代の尾小屋鉄道を映画・ドラマ作品で見ることができます。
たとえば、寅さんシリーズ第9作の映画『男はつらいよ 柴又慕情』のオープニングや、TBS系列で放映されたドラマ『キイハンター』など。『キイハンター』では、「荒野の列車大襲撃作戦」「蒸気機関車大渓谷の決戦」の2回連続で尾小屋鉄道が取り上げられ、貴重なSL牽引列車を舞台に、千葉真一が派手なアクションで大暴れしています。
尾小屋鉄道の廃線から34年、現在は小松市にある「いしかわ子ども交流センター小松館」で、尾小屋鉄道の車両の一部が動態保存され、定期的に運転されているそうです。
ところで、「中小の私鉄路線が毛細血管のように伸びていた」と冒頭で記しましたが、当時は小松駅からもうひとつ、私鉄の路線が延びていました。小松駅から鵜川遊泉寺駅までを結んだ北陸鉄道小松線(全長5.9km)です。こちらもフィルムに収めていたので、簡単に紹介します。
北陸鉄道小松線もまた、沿線に目立った観光地がなかったことが影響し、モータリゼーションの進行で利用者が大幅に減少してしまい、25年前に廃線となりました。
今回紹介した「鉄道懐古写真」
写真11977(昭和52)年
3月20日廃線翌日の新小松駅。役目を終えた車両たちがひっそりとたたずんでいた。
横を走るのは北陸本線の貨物列車写真2荷物用のデッキに、営業最終日の装飾がつけられたままのキハ2。新小松駅にて写真3新小松駅にたたずむ戦前生まれ(1937年製)のキハ1。
ガソリンカーとして登場したが、後にディーゼルカーに改造された写真4キハ1の車内。軽便鉄道ならではの狭さだった写真5尾小屋鉄道では客車も活躍していた。先頭はホハフ3写真6新小松駅の一角にあった「鉄道尾小屋線さよなら会」会場。
紅白幕が張られた大きなテントで、何が行われたのだろうか…? 写真7蒸気機関車も引っ張り出され、留置されていた写真8ホハフの横を、L特急「加越」が走りぬけていった写真9車庫を兼ねていた北陸鉄道小松線小松駅。日中は、
写真中央のホームに停車中の車両が、約60分ごとに運行されていた写真10小松線に配置された車両は5両のみ。写真9・10の2枚にすべての車両が
写っていた(写真9に4両、写真10に1両、計5両)
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う”撮り鉄”に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った