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南三陸と大津 絆これからも
◇両社協が友好協定 職員、断続的に派遣
- 震災で物が散乱した南三陸町社協の事務所(2011年3月27日、大津市社協提供)
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11日で発生から4年を迎える東日本大震災を受け、大津市社会福祉協議会(桐畑弘嗣会長)が、被災地・宮城県南三陸町の社協と友好協定を結び、支援と交流を進めている。活動を通じ、職員らはこれからも東北とつながり、ともに復興へ歩んでいくことを誓っている。(池内亜希)
- 被災地との絆を強めるため、県内で走っている乗用車(大津市で)
大漁旗を模したステッカーとキャラクター、そして「南三陸町&大津市社会福祉協議会」の文字。見た人が被災地を思うきっかけになるようにと、市社協は町社協から乗用車1台を借りて車体にステッカーを貼り、昨年4月から業務で使っている。事務所には東北の観光をPRするコーナーを設置。被災地に向かうボランティアバスの運行も続けている。
「被災直後だけでなく、立ち上がっていく南三陸をずっと応援したい」。市社協の山口浩次さん(52)は取り組みへの思いをそう語る。
山口さんは震災から間もない2011年3月27日、ボランティアセンターの運営支援で同町に入った。町内では津波で押し流されたがれきがそのまま残され、町社協の建物には窓から車が入り込み、物が散乱していた。その場所で職員数人が亡くなったことを聞いた。覚悟はしていたが、現状は想像を超えていた。
市社協から最初に派遣された山口さんは、連日集まる50人前後のボランティアの行き先を決める作業を主導。約1週間後、市内に戻った。
「若手の職員にもこの経験をさせなければ。実際に見なくては、何も分からない」。そう強調する山口さんに続き、市社協は11年9月まで職員延べ11人を断続的に派遣した。
12年8月からは、原田清文さん(33)が約半年間、派遣された。市社協は同9月、町社協と友好協定を締結。震災の風化を防ぎ、息の長い活動を続けたいとの思いからだった。
原田さんは町社協で事務作業を担当。震災から1年半がたち、職員の表情には明るさも見えたが、震災のニュースが流れると急に静まりかえった。町社協でも家族や家をなくしたスタッフは多い。被災者支援にあたる彼らも被災者であり、改めて悲しみの深さと復興への道のりの遠さを感じた。
余震の揺れ、津波警報、鳴り響くサイレン、高台に逃げる人々――。当時、被災地で経験したことは、今も頭から離れないという。
今月15日、同町で開かれるボランティア感謝の集いには、市社協の職員8人も参加する。「町は行くたびに姿を変え、復興は進んでいるが、今も課題は山積し、なくなることはない」と原田さんは言う。被災地では観光客の足が遠のき、人の流れはまだ戻っていない。
「ゴールは見えないかもしれないが、地域の活性化に向け、これからもこの縁を紡ぎ、支えていきたい」と決意を語る。
◇13年台風 大津が当事者に
災害の教訓を現場で生かすのは難しい。13年9月、大津市は台風18号の被害に遭い、市社協は初めて災害ボランティアセンターを設置した。東北の被災地支援で運営を経験した職員もいたが、「当事者となると全く違った」と口をそろえる。
運営に関わった植松美帆さん(29)は「どの地区に何人派遣するか。何が求められているかを把握することさえスムーズにいかなかった」と振り返り、震災後、南三陸町で活動した高山邦久さん(36)も「地域の人々と関係を密にしないと、何か起きた時に生かすことができないと学んだが、まだまだだった」と話す。
各自の対応力を高め、災害時に住民の不安や要望を把握しやすい環境作りに向け、模索は続く。
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- 被災地との絆を強めるため、県内で走っている乗用車(大津市で)
有森さんと浦富海岸走ろう
◇5月10日、マラソン大会
昨年、世界ジオパークに再認定された岩美町の浦富海岸周辺で5月10日、「第30回浦富海岸健康マラソン大会」が開催される。30回大会を記念して、バルセロナ五輪女子マラソン銀メダリスト・有森裕子さん(48)をゲストランナーに招待。主催する同町などが4月1日まで、計13種目とグループチャレンジの参加者を募集している。
種目は、10キロが▽男子40歳以上▽同39歳以下▽女子。
5キロが▽男子40歳以上▽同39歳以下▽女子。
3キロが▽男子60歳以上▽同59歳以下(中学生以上)▽女子(同)▽小学生男子▽同女子▽ファミリー▽ウォーキング。
この13種目のほか、10キロを走るランナー5人の合計タイムを競うグループチャレンジがある。
いずれも、町立岩美北小学校をスタート。▽3キロは、浦富海水浴場沿いを走って田後坂の手前▽5キロは、田後港を横目に田後コミュニティセンター下り口▽10キロは、城原海岸や鴨ヶ磯海岸を見下ろす絶景を楽しみながら網代――でそれぞれ折り返し、同小に戻る。
ファミリー、ウォーキングの部を除く、各部の6位まで(グループチャレンジは3位まで)を表彰する。
特別賞として、70歳以上の参加者に「高齢者賞」、4人以上の家族で事前申し込みした参加者に「健康家族賞」などもある。参加者全員に、オリジナルTシャツや記念品など贈呈する。
参加料は10キロ、5キロ、3キロの各部が一般2000円、高校生以下1500円。ファミリー、ウォーキングの部は1人500円。
同町内の旅館や民宿への宿泊者には、中学生以上2000円、小学生以下1000円の宿泊補助も受けられる。問い合わせは大会事務局(0857・73・1302)。
◇5月9日にランニング教室
5月9日午後3時から、岩美北小グラウンドで、有森裕子さんがランニング教室(約1時間半)を開催する。
小中高生と町内宿泊者が対象で、定員100人。別途、事前申し込みが必要。問い合わせは大会事務局。
震災がれきで海岸堤防 福島・いわき新工法 東日本大震災4年
4年前に起きた東日本大震災では、多くの海岸堤防や防波堤が大きな被害を受け、津波を防ぎきれなかった。その教訓から、強度が高く、想定を超す津波が来ても壊れにくい堤防や防波堤の建設、研究が進められている。
(浜中伸之)
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福島県いわき市の夏井地区海岸に、全長約1キロの真新しい海岸堤防が延びる。高さは7・2メートル、幅は最大で18メートル。見た目はふつうの堤防だが、福島県いわき建設事務所の猪狩(いがり)洋・河川海岸係長は「実は、震災で生じたがれきを使って造ったのです」という。
- 東日本大震災で出たがれきを利用して造った海岸堤防(2月20日、福島県いわき市で)=浜中伸之撮影
震災時、この場所に堤防はなかったが、隣接した場所にあった堤防は、7・6メートルの津波で大破した。
国土交通省によると、震災では、青森県から茨城県までの29の港湾で、海岸堤防や防波堤などの防災施設が被災し、被害総額は約4000億円に上った。
国の中央防災会議は震災の半年後、こうした防災施設は「最大級の津波でも一気に倒壊せず粘り強く耐え、避難できる時間をできるだけ確保できるように強化すべきだ」と提言した。
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夏井地区海岸の堤防新設に当たって、福島県は提言を踏まえ、粘り強さを発揮できる様々な工夫を取り入れた。
従来の堤防は、盛った土の表面をコンクリートで覆う工法が一般的だ。震災では、津波でコンクリートが割れて土が流出し、堤防が即座に崩壊する被害が多発した。
そこで、震災がれき約4万立方メートル(ドラム缶約20万本分)をセメントと混ぜ合わせ、ブルドーザーで踏み固めながら海岸に積み上げて造った。
がれきによる工法は、ダム建設で使われているが、ダムほどの強度は必要ないと思われがちだった海岸堤防では国内初の試みだ。工事を担当した大手ゼネコン鹿島の神戸(かんべ)隆幸・土木工務部課長は「土より固く、流れ出しにくい。がれきの有効利用と建設費の削減にもつながる」と利点を語る。
がれきで造った本体の表面は、本体の10倍という強度を持つコンクリート(厚さ50センチ)で覆い、海岸にいる人が避難する時に駆け上れるように、階段状に仕上げた。
新堤防は約11億円をかけて、2013年11月に完成した。堤防の前にコンクリートブロックを置いたり、背後には防潮林を植えたりと、二重三重の強化策を講じている。
南海トラフ巨大地震で大津波が押し寄せると想定されている浜松市でも、がれきを使った同様の工法で海岸堤防の建設が進められている。
◇海中でも津波止める
陸から離れた海中で津波を食い止める防波堤も、強度を上げる工夫が模索されている。京都大防災研究所や港湾空港技術研究所などは、津波が来ると、波の力で自動的に立ち上がる防波堤の研究開発を進めている。
湾の出入り口に当たる沖合に設置するため、普段は船が航行できるよう海底に沈める。防波堤の本体は、コンクリートより強く、加工もしやすい鉄板を使う。
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海底に土台を造り、円弧の形をした鉄板を、丸い面が下になるように置く。津波が押し寄せると、その衝撃で鉄板が垂直に立ち上がる仕組みだ。土台と鉄板は、金属製のワイヤを編み込んだ合成ゴムの丈夫なベルトでつなぐ。コンピューターや模型での実験で、東日本大震災級の津波にも耐えられることを確認した。
研究チームの東(あずま)良慶(りょうけい)・京大防災研助教(水工学)は「湾の出入り口を完全に閉じることができれば、防波堤を越える津波が来ても、その威力は大きく減らせる」と話す。
和歌山県沖では国土交通省が、鋼管78本が海中から浮上するという大がかりな防波堤を建設していたが、最大級の南海トラフ巨大地震に備えるには費用が膨大になることがわかり、2月に建設を断念した。
鉄板を使う新たな手法は仕組みが簡単なためコストをかなり抑えられるといい、採用を検討している自治体もある。
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- 東日本大震災で出たがれきを利用して造った海岸堤防(2月20日、福島県いわき市で)=浜中伸之撮影
平安中期窯から須恵器と瓦発見/亀岡
大阪大考古学研究室は9日、亀岡市篠地区で10世紀末から11世紀初頭の窯が二つ見つかったと発表した。内部からは須恵器と瓦も発見。同地区は7世紀頃から須恵器、11世紀頃からは瓦の生産が盛んだったことから、同研究室は「須恵器と瓦を両方つくっていた時代の窯。生産の移行過程を知る貴重な資料」としている。
同研究室によると、平安時代中期の窯で、須恵器と瓦が一緒に見つかったのは初めてという。
二つの窯に残っていた灰を分析した結果、使用されていた時期が違うことが判明。古い窯(幅約2・1メートル、奥行き約2・6メートル)からは須恵器が、もう一方の窯(幅約1・5メートル、奥行き約2・1メートル)からは瓦が多く見つかっているという。
同研究室の高橋照彦教授は「須恵器や瓦の一大産地だった地区が、需要の変化に合わせて工夫を重ねていたことがうかがえる」と話した。
建築材乾燥に薪ボイラー 高山の工務店、導入へ
建築用材を人工的に乾燥させる際、木にやさしい「低温乾燥」を用いてきた高山市江名子町の井上工務店(井上正博社長)が、熱源を灯油ボイラーから薪(まき)ボイラーに転換する実証実験に取り組み、「地域資源の活用やコスト低減が達成できた」として、本格導入することになった。林業関係者の関心も高く、木質バイオマス活用が広がりそうだ。(千田龍彦)
木材を建材として使うには、割れや反りなどの狂いが生じないよう十分に乾燥させる必要がある。木にとっては天然乾燥がいいものの、時間がかかるため、強制乾燥炉で熱風を吹き付けるなどして短時間に含水率を15~10%まで下げる方法も、広く導入されている。
これに対し、同社では、コンテナを改造し、温水の流れるパイプを巡らせた乾燥炉を導入。木材を露天に1年間積み上げて天然乾燥したうえで、この炉で乾燥させる。炉内温度は約36度と通常の乾燥炉の半分以下のため、10日ほどかかるが、「人肌に近い低温乾燥は施設も安上がりなうえ、木材の持つツヤや香りを引き出すことができ、柱や板材としても付加価値がつく」という。
今回はNPO法人・地域再生機構(岐阜市)と提携し、環境省の補助事業を活用。温水の熱源をリースの小型薪ボイラーに切り替えて、化石燃料(灯油)の削減量や24時間運用の可否、発生熱量などを調べた。
その結果、薪を投入する人手のない夜間でも、蓄熱タンクを使うことで朝まで必要な温度を確保できた。燃料の薪は伐採から製材、建築までに出る端材や廃材の活用で十分にまかなえた。この成果を踏まえ、同社企画研究室の井上博成さんは、「乾燥度や品質も期待通り。薪ボイラーを購入し、本格導入に踏み切る」と話している。
実証実験を担当した地域再生機構の森大顕(ひろあき)理事は、「薪ボイラーの有用性が証明された。木材資源を無駄なく使うことで、二酸化炭素削減やコスト低減にもつながり、林業を支えてきた地域の中小の製材工場が生き残るモデルにもなる」としている。