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新しくなったユーロスターで行く! ロンドン・パリの旅 (1) パリ

新しくなったユーロスターで行く! ロンドン・パリの旅 (1) パリ  ユーロスターのどこが変わった?

 色部分がイギリス。ヨーロッパ大陸とは離れている

 イギリスとヨーロッパ大陸を結ぶ国際高速列車、ユーロスター(Eurostar)が2007年、新しく生まれ変わった。

 11月14日、ロンドン側の新ターミナル駅として、ロンドン市内北部のセント・パンクラス(St. Pancras)駅がリニューアルオープンした。ユーロスターの全業務が市内南部のウォータールー(Waterloo)駅からセント・パンクラス駅へ引き継がれ、よりスピードアップし、イギリスとヨーロッパ大陸が近くなったと話題だ。

 大リニューアルを終えたばかりのセント・パンクラス駅

 ユーロスターは、1994年にロンドンとフランスのパリ、リールおよびベルギーのブリュッセル間を結ぶ国際高速列車として誕生。以来、時速300kmのスピード、洗練されたフォルム、高級感の漂う車内インテリアなど、名実ともにヨーロッパを代表する高速列車として多くの利用客に親しまれてきている。

 ユーロスター 白と黄色のボディが目印

 新しくなったユーロスターの売りはなんといっても、各区間での大幅な時間短縮の実現だ。従来のウォータールー駅をターミナルとする路線の場合、フランス北部では最高時速300kmでの走行が可能だったが、英仏海峡トンネル走行時には減速する必要があった。しかし、セント・パンクラス – 英仏海峡トンネル間の約109kmに渡る新路線が開通したことで、この減速の必要がなくなり、ロンドン – パリ間ではこれまでよりも約20分短い最速2時間15分(従来は2時間35分)、ロンドン – ブリュッセル間では約30分短い、最速1時間51分(従来は1時間22分)で結べるようになった。また、使用する線路がユーロスターのみの走行となったため、これまでより正確な運行が可能になるという。

 ユーロスター記念碑。「ハイ・スピード1」の達成を記念して

『ハリー・ポッター』の撮影現場にもなったセント・パンクラス駅とは?

 セント・パンクラス駅。時計台が目印

 今回のリニューアルに伴ってもう1つ注目したいのは、セント・パンクラス駅のターミナルとしての魅力だ。映画『ハリー・ポッター』の撮影現場として使われ、一躍有名になったこの駅の歴史は意外にも古い。1868年にウィリアム・ヘンリー・バーロウによって設計され、もともとヴィクトリアン・ゴシック様式の駅舎として有名であったが、2001年から8億ポンド(約1,850億円)をかけて始まった改修工事により、大幅に増改築。この結果、威風堂々とした当時の歴史を感じさせる外観とは対照的に、駅構内には時代の流れに沿った斬新な施設が取り入れられることとなったという。リニューアルされた駅構内にはブラッセリー、ファーマーズ・マーケット(地元産の新鮮な食材を直接販売している市場)をはじめ、英国を代表する老舗フォイルズ、ニールズヤードなども軒を並べ、乗降前の食事やショッピングも楽しめる。そして、なんといっても、新名所として注目されているのは、ヨーロッパで最長(90m)の「シャンペン・バー」だ。ここは、ユーロスターの利用客以外も利用でき、約70種類のシャンペンを取り揃えているほか、軽食等も楽しめる。

 セント・パンクラス駅。リニューアル前のカウントダウン

 セント・パンクラス駅のシャンペンバー。約70種類のシャンペンを常備

 セント・パンクラス駅は、従来のウォータールー駅の交通網のよさをさらに上回る、ロンドン最大の乗換駅としても注目を浴びている。セント・パンクラス駅には6つの地下鉄線が乗り入れ、隣接するユーストン駅、キングス・クロス駅など4つのイギリス鉄道線への乗換えが可能。ユーストン駅からはイングランド北西部・北ウェールズ方面、キングス・クロス駅からはイングランド北東部、スコットランド東海岸方面への列車が発着しているため、単にユーロスターの発着駅としてだけではなく、イギリス各都市への旅行の中継駅としてもアクセスがぐんとよくなり、ますます便利になった。

 セント・パンクラス駅は、今後も2012年のロンドン五輪開催に向けて発展していく予定だ。2008年に新たなレストランの開店、2009年には駅構内に5つ星のホテルをオープンするといった計画も着実に進んでいる。ますます魅力的になっていくセント・パンクラス駅に今後も注目したい。

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西武鉄道の新型車両「30000系」、内外装が決定

西武鉄道の新型車両「30000系」、内外装が決定  

 西武鉄道は5日、2008年4月から運行を営業運転を開始する新型車両「30000系」の内外装が決定したことを発表した。30000系は「Smile Train(スマイル トレイン)~人にやさしく、みんなの笑顔をつくりだす車両~」という開発コンセプトに基づき、アルミダブルスキン構造による安全面、機器の2重化による可用性、省エネルギーやリサイクルを考慮した環境性能を向上させている。

 特に内装は社内女性社員の意見を採り入れたとのことで、”たまご”をモチーフとした斬新なデザインとなった。釣り手や貫通扉の衝突防止表記や袖仕切りなどにオリジナルデザインのたまご型を採用した他、荷物棚や手摺りも曲線的なデザインとした。ドーム型の天井は開放感を高め、優先席は背ずり部分にハート柄を採用して優しさをイメージさせているという。窓ガラスは紫外線や赤外線を遮断するガラスを使用しているが、色の濃いガラスではなく、明るいのグリーンのガラスを採用した。これは車内を明るくしたいという女性社員の要望で、日射しが強いときのためにロールスクリーンも設置している。また、釣り手や握り棒を抗菌加工とし、車内環境に配慮している。

 釣り手やドアと座席の仕切りなどにたまご型を採用した。座席はひとり分の幅を明確にし、定員で着席できるよう促す

 優先席はハートマーク柄。2座席ならぶと笑顔を連想させる

 ”たまご”というモチーフについて西武グループ広報部は、「西武グループの”新生”をイメージして”たまご”を選びました。また、西武グループの新スローガンである”でかける人を、ほほえむ人へ。”もテーマとしており、少し離れて優先席を見るとハートマークが目のように見え、ほほえんだ顔になるようにデザインしています」と説明した。

 先頭車付近の車いすスペース。窓の下のハッチには通勤電車初の固定用ロープが収納されている。その下は車いす用ヒーター吹き出し口

 30000系は、新生西武鉄道の象徴となる車両として120両が山口県の日立製作所笠戸工場に発注された。2008年の1月に第1編成が引き渡され、習熟運転を実施した後、2008年4月に新宿線で営業開始する予定だという。2008年は新宿線に8両編成2本、池袋線に8両編成1本が導入され、4月にはデビューイベントも予定されているとのことだ。

知らないと損する本格的アメリカ旅行術 (30) 絶対に外せないフィッシャーマンズ・ワーフとアルカトラズ島

知らないと損する本格的アメリカ旅行術 (30) 絶対に外せないフィッシャーマンズ・ワーフとアルカトラズ島 

 L.A.からサンフランシスコへ続く道は2つあります。内陸を通るフリーウェイI-5と、海沿いを通るパシフィックコーストハイウェイと呼ばれる道。I-5は、畑、果樹園、農場などを見ながら田舎道をずっと走っていき、パシフィックコーストハイウェイは、海沿いの道を潮風に当たりながら、”That’s California”という感じの道を走っていく。個人的には、後者の方が好きですが、時間がこっちの方がかかります(前者5時間。後者7時間)。あなたはどちらを選びますか? さて、今回のサンフランシスコ編はフィッシャーマンズ・ワーフを中心にお伝えします。

 パシフィックコーストハイウェイの途中です。こんな風景を見ながら進みます

やっぱりここ! フィッシャーマンズ・ワーフ

 サンフランシスコの有名観光地の1つにフィッシャーマンズ・ワーフがある。前回ご紹介したユニオン・スクエアからケーブルカー、パウエル・ハイド線で終点まで。完全に観光地化しており、道沿いにはおみやげ物屋さんが立ち並んでいる。そんなお店も見つつ、フィッシャーマンズ・ワーフの中心Pier(ピア)39にやってくると、たくさんのアザラシが出迎えてくれる。木造のPierとそこに立ち並ぶかわいいお店が特徴的だ。

 フィッシャーマンズ・ワーフ。この看板有名ですよね
 (C)サンフランシスコ観光局

 サンフランシスコはカニで有名なので、Pier39の周辺にはカニを出すレストランや出店がたくさんある。値段はピンからキリまでなので、安い方が良ければ出店で、ちょっとおしゃれなところで食べたければレストランで考えるといいだろう。ちなみに、私たちがお勧めなのは、Pier39の中にある「Crab House」だ。結構高いがここのキラークラブは絶品。オリーブオイルとガーリック、そしてブラックペッパーの味付けが最高なのだ。他の所に比べて倍以上の値段がするが、サンフランシスコに行ったら必ず食べたくなってしまう。鉄板に乗って出てくる熱々のカニが、たまらなくおいしい。

 フィッシャーマンズ・ワーフの数ブロック南側(ユニオン・スクエア側)に、ロンバード・ストリートがある。この道はハイド・ストリートから次のリーベンワース・ストリートまでの間が、ジグザグになっていることで有名だ。徒歩の場合はサイドにある階段で上り下りするのだが、車ではそのジグザグの道を通らなければいけない。花壇が設置されており、お花の時期はとても綺麗だ。

 私たちもこの道を車で下ったことがある(下りのみの一方通行)が、運転は非常に怖く、前方、後方ともに注意しなければいけない状態だった。サンフランシスコは坂の街なので、とにかく運転が大変なのだが、この道はその最上級編だったと言えるだろう。しかも、私たちが通った時は運悪く、前の車が車庫入れを始めてしまった。なんとその道のサイドに建っている家の住人だったのだ。急な坂道で下向きの状態のまま停止。数分待たされただけだったが、非常に怖かった。

 ロンバード・ストリート。急坂のチャレンジャーでいつも渋滞

 ロンバード・ストリート。徒歩の場合は、サイドの階段を

予約必至のアルカトラズ島

 映画『ザ・ロック(1996)』で有名なアルカトラズ島。かつては刑務所として使われており、シカゴのマフィアのボス、アル・カポネも収容されていた。現在は、その刑務所の建物が観光地として一般公開されている。アルカトラズ島には、Pier33から出ているツアーに参加しなければいけない。私たちは8月に一度、予約なしでアルカトラズ島へ行こうとしたら数日待ちと言われ、断念したことがある。休みの時期はネットで予約をしていった方がいいだろう。

 船から見たアルカトラズ島

 アルカトラズ島へはPier33からフェリーで訪れることができる。ツアーと言っても自由行動なのでそこからは、それぞれ徒歩で坂を上がかつての連邦刑務所の建物に入る。建物の入り口でオーディオガイドを渡され、それで説明を聞きながら刑務所内を回ることになる。多国語に対応しているので、日本語も選択できる。そのガイドは刑務所に収容されていた衆人が所内で起こった出来事を語る、という形で進んでいくのだが、物語風になっているのでとても楽しい。

 刑務所の中。映画で見たことありますよね~

 次回は、サンフランシスコから日帰りでも行ける、世界遺産指定のヨセミテ国立公園をご紹介します。お楽しみに~。

 (写真:フォトアーティスト飯富崇生)

芦刈いづみと飯富崇生のミニコラム:サンフランシスコが舞台のテレビ&映画映画『ザ・ロック』がアルカトラズ島で撮られたのは有名な話だ。他にも、アルカトラズ島と言えば、『アルカトラズ島からの脱出(1979)』や『告発(1995)』がある。この他にもサンフランシスコが舞台の映画やテレビ番組は多い。例えば、NHKで再放送が繰り返されているテレビドラマ『フルハウス』や、映画『ゲーム(1997)』、『ダーティハリー』シリーズなんかもそうだ。サンフランシスコに行く前に、これらの映画を見てから行くとよりいっそう楽しめるかも。

アクセス情報最寄りの国際空港:サンフランシスコ国際空港 日本からの直行便あり。10時間。周辺観光地ヨセミテ国立公園・セコイア国立公園・キングスキャニオン国立公園・モントレー・カーメル・レイクタホなど

日本の「端」を巡る旅 (4) 沖縄–最南・最西端の鉄道今昔物語

日本の「端」を巡る旅 (4) 沖縄--最南・最西端の鉄道今昔物語 

 「沖縄」と「鉄道」。本土の多くの人にとって、イメージ的にあまり結びつかないものだろう。それ以前に「沖縄に鉄道があるの」という声すら聞こえてきそうだ。実際、僕が初めて沖縄を訪れた20世紀の終わり頃、沖縄には鉄道がなかった。当時、日本の鉄道の最西端は長崎県で最南端は鹿児島県、つまり、ともに九州だった。

 しかし今では、沖縄県にも鉄道がある。2003年夏、モノレールが那覇市に開業した。これに伴い、”日本の端の鉄道”をめぐる事態は一変。日本の南西端に位置する沖縄県のことだから、当然のごとく、その路線の中に最西端と最南端の駅を含むこととなった。

沖縄県民待望の鉄道誕生

 戦後、鉄道がなかった沖縄では、公共交通機関といえばバスであり、交通手段も自動車に限られていた(※)。当然、交通渋滞はひどかったから、那覇市内の短い区間とはいえ、モノレールの開通は沖縄の人々にとって待望のものだったといえる。

 沖縄都市モノレール「ゆいレール」は、2003年8月10日に開業した。営業距離は12.9kmで、駅数は15。1本のレールを車両がまたぐ、いわゆる跨座式のモノレールである。区間は那覇空港から世界遺産首里城のお膝元・首里まで。那覇市の中心部を右に左にくねりつつ走っている。

 2両連結で走る沖縄都市モノレール「ゆいレール」。沖縄独特の相互扶助の概念である”ゆいまーる”をもとに名付けられた(旭橋駅で撮影)

 南側の始発駅・那覇空港駅がこの路線のいちばん西にあたり、つまりは日本最西端の駅となる。同時に最南端駅でもあるんじゃないかと思うかもしれないが、それはまた別にある。那覇空港駅を出たあと、ゆいレールはいったん南へ下がる。そこで、那覇空港駅の次の赤嶺駅が日本最南端の駅となっている。最西端駅と最南端駅が並んでいるという、端っこフリークにしてみれば実にゼイタクな場所だといえる。

 空港のターミナルビルから通路で直結している那覇空港駅。改札の右脇には「日本最西端駅」の記念碑が建っている。しかし写真を撮ったりする人は限られ、多くの観光客は素通りしていく

 こちらは那覇空港駅からゆいレールに乗ってすぐ隣、日本最南端の赤嶺駅。駅から出て南側のロータリーに「日本最南端の駅」の記念碑がある。台座には北緯26度11分36秒とその位置が刻まれている

 那覇空港駅のホームの先端で、レールは途絶える。その向こうには東シナ海が見える。こういうところに、妙に最果て感を覚えたりもする

(※)厳密にいうなら1975~76年の沖縄海洋博において、会場内に長さ1.4kmの新交通システムが期間限定で設けられたこともあったが、常設の鉄道となると戦後一貫して沖縄には存在していなかった。

ゆいレール誕生時のエピソード

 国際通りから竜宮通り社交街という細い路地を入ったところに、僕が那覇へ行くとかならず寄る店のひとつ「山羊料理さかえ」がある。20年30年と通い続けている地元の常連さんと、本土からやってくる観光客、ビジネス客たちが、カウンターで肩を並べて楽しくしゃべりながら、”島” (泡盛のこと。沖縄ではこう呼ぶ)を呑み、ヒージャー(山羊)汁やヒージャーの刺身、その他もろもろの沖縄料理を食う。行くたびに新鮮な楽しさを感じさせてくれる店だ。

 店は、おかみさんの生島さつえさんと、娘さんのなおみさんの二人で営んでいる。ヒージャーもさることながら、店で最大の”名物”はこのお二人。さつえさんとなおみさんに会うため、一年に何度もここへ通う本土のファンも数多い。かく言う僕もその一人だが。昔ながらの”これぞ沖縄!”というあったかい、かつ愉快なおもてなし体験ができるので、ぜひ一度、カウンターに座ってみていただきたい。「さかえ」については、また別の機会にでも詳しくお話しできたらと思っている。

 その「さかえ」のカウンターで、なおみさんや地元の常連さんたちから、ゆいレール開業当時の愉快なエピソードをいくつも聞いた。いわく「片道切符を買って終点まで行ってまた戻ってきて……って何度も何度も乗ってみたさー」「おじいさんが、降りる駅で(バスのように)ブザーを押そうと探してたねぇ」「自動改札で隣の改札機に切符を入れてしまって、隣の人が困ってしまったさー」。沖縄には、島からほとんど出たことがないという人もまだまだ多い。そういった人々にとって、ゆいレールはまさしく生まれて初めての鉄道であった。そんな背景を物語ってくれる、ほほ笑ましいエピソードでもある。

 この取材で訪れたのはちょうど那覇マラソンの時期だった。「さかえ」のなおみさんも朝早くから、国際通り沿いで手製の旗を振って応援。先頭から最終ランナーが通過するまで30分以上の間、ずっと「がんばれー」「ちばりよー(沖縄でいう”がんばれ”)」と声を出しつづけていた。スゴイ

沖縄を走っていた軽便鉄道

 ゆいレールは、(常設のものとして)戦後初めて沖縄に生まれた鉄道である。しかし、これが沖縄の歴史で初めて誕生した鉄道というわけではない。戦前、沖縄県には何本もの鉄道が走っていた。たとえば産業用の鉄道としては、南大東島をはじめさまざまな島に、サトウキビ運搬用の鉄道が敷かれていた。

 そして戦前の沖縄には、旅客用の鉄道も存在していた。その代表が、大正から終戦直前の昭和20年(1945)春まで運行を続けていた沖縄県営鉄道である。一般的な鉄道とは異なる規格で造られた「軽便鉄道」のひとつで、軽便は正しくは「けいべん」だが、沖縄の人は「ケービン」と呼んで親しんでいた。沖縄県営鉄道は那覇を始発駅とし、北は嘉手納(現在、米軍基地で知られるあの嘉手納)、東は太平洋側の与那原(よなばる)、南は糸満まで、旅客用としては3路線を有していた。

 もうだいぶん以前のことになるが、前述の「さかえ」で、とある地元の人から軽便鉄道の話を聞いた。なんでもその方の家族だか知り合いだかが、実際に那覇から嘉手納まで乗ったことがあるという。それまで軽便鉄道について聞いたことはあったけれど、一気に興味が深まったのはその時からだ。

 沖縄県営鉄道以外にも、戦前の本島中南部には鉄道路線がいくつか張り巡らされていたが、どれもこれも戦争その他の事情により終戦までには姿を消してしまった。今となっては路線図などの記録が明確に残っておらず、当時の線路筋を推測でしか辿れない部分も多いと聞く。しかし現在でも、あの激しい沖縄戦や戦後の復興の波をくぐり抜け、当時の面影を偲ぶことができる場所は見つけられる。

 軽便鉄道とは何の関係もないのだが、桜の名所としても知られる市民の憩いの場・与儀公園には、”デゴイチ”の愛称で親しまれた蒸気機関車「D51」が保存されている。もちろんこれは沖縄で走っていたものではなく、沖縄の本土復帰を記念して九州から贈られたものだ

「ケービン」の面影を求めて

 ゆいレールで空港を出ると、旭橋駅の手前で右下に三角形の広い敷地が見えてくる。ここは沖縄本島のバス路線が集結する那覇バスターミナルだが、この地こそ、かつて沖縄県営鉄道の始発駅・那覇駅があった場所だ。

 本土の人間でも、那覇バスターミナルを知っている人は多いだろう。旭橋駅から見下ろせるあの三角形の敷地は、バスターミナルのために造られた区画ではなく、軽便の那覇駅の時代からそうだったらしい

 那覇駅を出た沖縄県営鉄道は、現在の国道329号付近を南東から南南東に向かって進み、ゆいレールの壺川駅近くにあった古波蔵(こはぐら)駅で北へ向かう嘉手納線、東進する与那原線に分岐。与那原線はさらにその先の国場(こくば)駅で、南へ向かう糸満線と分岐していた。

 この付近には当時線路が通っていた細い路地や、線路のカーブに沿って造られた建物など、いくつもの面影を探すことができる。そのひとつ、住宅地造成中に偶然発見された軽便鉄道の線路が残されているという壺川東公園を訪ねてみた。

 公園内に入ると、まず目に付くのが古い線路と、その上にちょこんと乗った機関車。これは軽便鉄道のものではなく、南大東島で稼働していたサトウキビ運搬鉄道のものだそうだ。そしてそのすぐ脇に軽便鉄道のレールが……あるはずなのだが、ない。探しても見つからない。

 壺川東公園にある、かつて南大東島でサトウキビ運搬に使われていた機関車とその軌道。このすぐ脇に、軽便鉄道のレールもほんのわずかながら残されていたのだが……現在は、軽便鉄道の由来を記した碑が静かに建つだけ

 数年前に撮られた写真には軽便のレールも写っていたので、そのあとなくなったということだろう。那覇市の公園管理室に聞いてみると、やはり「何年か前まではあったけれど今はもうない」とのことだった。歴史の貴重な証人が、こんなにあっさりと失われてもいいものなのかと呆気にとられつつ、その場を去ったのであった。

 気を取り直して、那覇の街角ショットを3枚。上の洗濯物のように吊るされているものはイラブー(ウミヘビ)の燻製。左下はその青さが本土の人間の目を引くイラブチャー(ブダイ)で、刺身が最高にうまい。右下は知る人ぞ知る微妙な那覇名物(?)、農連中央市場の近くにある自動販売機

 次回は、日本でいちばん早い初日の出の体験記をお届けします。

ニュージーランドが六本木にやってくる

ニュージーランドが六本木にやってくる  

 ニュージーランド大使館、ニュージーランド政府観光局、ニュージーランド貿易経済促進庁は17日~25日まで六本木ヒルズ(港区六本木)にてフェスティバルイベント「NEW ZEALAND PARADISE WEEK 2007」を開催する。うち、17・18日は六本木ヒルズアリーナにてニュージーランド料理やワインを味わえるブースや、ファッションショーをはじめ様々なイベントが催される。入場は無料。飲食提供時間は17日が11時~20時30分、18日が11時~18時としている。19日以降は六本木トラベルカフェにてニュージーランド関連企業によるイベントを予定している。

 会場イメージ

 David Wall

 同フェスティバルは、文化、食、ライフスタイルなど、ニュージーランドの「今」を紹介する目的として行われる。17・18日には、ラム肉を使ったバーベキューといったニュージーランドならではの料理や、旅行会社によるセミナーなどが催されるほか、同フェスティバルのために来日したアーティスト等のライブイベント、ニュージーランド発ブランドのファッションショーも設けられている。

 「日常の喧騒を忘れて、東京の真ん中に突如出現する”ニュージーランドの森”へぜひお越しください。きっと今まで体験したことのないニュージーランドを体感できるはずです」(ニュージーランド政府観光局)。

 そのほか、ショッピングブースでは、ニュージーランド産の蜂蜜、化粧品など試供したり、購入することができる。ニュージーランドを身近に感じる良い機会となることだろう。

 料理イメージ
 Lake Taupo Lodge

 フェスティバルで初めて披露される石鹸「マヌカハニー」(サンプルのみ)

HN:
上原健二
性別:
非公開
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