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女巡礼一人旅! 仏像好きが行く四国八十八カ所 (8) 5番札所「地蔵寺」にて「五百羅漢」を見逃す
4番札所「大日寺」から5番札所「無尽山 地蔵寺(むじんざん じぞうじ)」では約2km。下りだし、さっきのあぜ道と違い舗装された歩きやすい道なのでいっしょになったお遍路のおじさんたちと世間話をしながらのんびり歩く。お遍路1巡目のおじさんに「若い女の子が1人で来て偉いね。お遍路に来たのには理由があるの?」と聞かれる。お遍路に来た理由って質問されるのだろうな~と思っていたら、やっぱり聞かれた。私自身も、お遍路に出る人は不治の病に冒されたり、家族の供養とか特別な理由があったりする人が多いものだと以前は思っていたし、理由を聞いてみたいと思わなくはない。
「弘法大師に興味があって、弘法大師の歩んだ道のりを自分で歩いてみたかったんです。それに、母の供養の気持ちもあって」と答えたら、「そうなんだ。どうりで、なんだかお経に心がこもっていた気がしたんだよ」と褒められた。私は般若心経(はんにゃしんぎょう)を読むのは今回が初めてだったのだが、父方の伯母さんがしょっちゅう私の家にお経を読みに来ていたので、何となくお経を読む独特なのリズムは体に染み付いていたのかもしれない。
「私は、名古屋から来ていてね。いつかお遍路に行きたいとお持っていたんだけど、仕事しているときはなかなか行けなくてさ。定年退職になったので、『区切り打ち』をしながらお遍路を回ろうと思ってやってきたんだ。今回は今日泊まった後、明日には帰るんだ」とおじさんは続ける。
すると、お遍路9巡目のおじさんが「でも、弘法大師に興味を持つなんて若いのに珍しいね」と言ってきたので「私、弘法大師だけでなくて、仏像も大好きで、仏像の本を出したりもしているんです」と答えると、おじさんたちはがぜん興味を持ってくれ、「本!? すごいね。自費出版なの? 」と聞かれた。「本を出している」というと、よく「自費出版? 」と聞かれることが多いが、正直、あんまりいい気持ちはしない。
「いえ、自費出版ではなくて、ちゃんと印税いただいているんですよ」「へぇ~、すごいね。なんて本?」「『仏像、大好き!』という本です」「帰ったら図書館で、探してみるよ」と言われた。できたら、図書館ではなくて本屋さんで買って欲しいのに。もちろん、そんなことは思っても言わなかったけれど。
「五百羅漢」で有名な地蔵寺
そうこう話しているうちに、5番札所の地蔵寺に到着した。仁王門を入ったところに樹齢800年と伝えられているイチョウの巨木がドドーンと植わっていて、遠くからでもよく見える。このイチョウの木は、「たらちね銀杏」と名付けられていて、なんと弘法大師のお手植えなんだそうだ。本当に弘法大師はあっちこっちで木を植えたり、井戸を彫ったという伝説が残っている。
無尽山 地蔵寺の仁王門
地蔵寺は、弘仁12(821)年に、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開基したお寺。お堂は、天正年間(1573~1592)の、長宗我部の兵火により全てを焼失してそれ以降に再建されたものだそうだ。かつては300の末寺があったというだけあって境内は広い。弘法大師自らが刻んだ本尊の勝軍地蔵菩薩は、後に浄函上人が彫った延命地蔵尊の胎内に納められたそうで、見る事はできない。
地蔵寺の看板小僧
弘法大師像
また、地蔵寺の本堂の裏側の石段を上ったところにある奥の院は木造の「五百羅漢」がいらっしゃる。創建は江戸時代の安永4(1775)年だが、大正年間に燃えて復興したもの。だから「五百羅漢」というが、ここの羅漢さんは約200体しかいらっしゃらないという。羅漢とは、阿羅漢(あらかん=悟りを得て、人々から尊敬を受ける人)の略だそうだ。私はまたしても、おじさんたちとしゃべっていたのと、宿にたどり着けるか焦っていたので、すっかり見物を忘れてしまっていた。後でパンフレットの写真で見たら、 カラフルな色が塗られた羅漢さんがズラリと並んでいたので、見なかったのが一層悔やまれた。本堂と大師堂にお参りして御朱印をもらったらお遍路9巡目のおじさんは言った。
「私はこの近くの宿を予約したので、ここでお別れです」
「えっ、そうなんですか!?」
頼りになるおじさんがいなくなるので、私が心細そうな顔をしたら
「次の安楽寺まで、約5kmあるから、今度はバスに乗って行けばどうかな? すぐ先の県道に出ればバス停があるよ」
とアドバイスをもらい、そこでお別れした。そしてもう1人のおじさんと2人で、次の6番札所「安楽寺」を目指して歩き出した。
知らないと損する本格的アメリカ旅行術 (33) メジャー? マイナー? パシフィック・コースト・ハイウェイの見所
第30回のコラムで少しだけ触れた、パシフィック・コースト・ハイウェイ。通称PCH。これは主に海沿いを走るフリーウェイCA-1のことを指しますが、南北を貫くハイウェイUS – 101とも重なる部分(1つの道なのにCA-1とUS-101という2つの名前が付けられている部分)があるため、そのエリアではUS – 101の事も指しています。ガイドブックなどにはあまり載っていないので、聞いたことがある人は少ないかもしれませんが、この道沿いにはかなり面白いスポットがあるのです。そこで今回は、その見所をサンフランシスコからロサンゼルス方面に下りながらご紹介します。
野生のラッコに遭える17マイル・ドライブ
サンフランシスコの南、約100マイルのところにモントレーという街がある。この街はかつてカリフォルニア初の州都が置かれたところで、映画『エデンの東』の舞台となった都市だ。現在は芸術家の街として知られている。この街から南のカーメルまでは、モントレー半島の海沿いを走る「17マイル・ドライブ」と呼ばれる道が敷かれている。これは、有料のシーニック・ロード(景観のよい道路)で、周辺にはゴルフ場や別荘などが立ち並んでいる。通行料は車1台9ドル。野生の動物を見ることができることでも有名な場所だ。
中でも、水族館以外では絶対に見ることのできないと思われているラッコがいるのが特徴的だろう。私たちも、そのラッコ見たさに9ドル払って、その道路を通ってみたことがある。ビューポイントは20以上あり、ラッコ以外にも、野生のペリカンや鵜、アザラシ、アシカなどを見ることができる。私たちは、1つ1つのビューポイントで降りて、ラッコを探したのだがなかなかラッコに遭遇できず、半分あきらめかけていた時、やっとラッコに遭うことができた。私たちは南からドライブして来たので多分、北の方のビューポイントの1つだろう。夏なのにかなり寒かったにもかかわらず、たくさんの観光客がいて海からラッコの顔が出る度に歓声が上がっていた。
こんな海沿いをずっと走ります。海の風が気持ちいいです
ハースト・キャッスルとマドンナ・イン
17マイル・ドライブからどんどん南へ下って行くと、サン・シメオンという場所の山の中腹にハースト・キャッスルがある。ハースト・キャッスルとは、映画『市民ケーン(1941)』 のモデルになったとされている新聞王ウィリアム・ハースト氏の大豪邸で、豪華なプールや110以上もの部屋を有しており、そのため「ハースト・キャッスル」と呼ばれている。所要時間はサンフランシスコから約3時間、L.A.からも3時間ぐらいだ。山の下にビジターセンターがあり、そこから出発するツアーでお城に行く。私たちがここを訪れたのは8月中旬。午前中に到着したのだが、予約をしていなかったため、その日のツアーは終了だと言われ、結局お城の中に入ることはできなかった。その後行こう行こうと思いながら、未だに行けておらず、勝手に想像を膨らましている。なので、訪問の際は必ず予約をすること!
そこから少し南にあるサン・ルイス・オビスポに、ユニークなモーテルがある。その名も「マドンナ・イン」。109室ある部屋、1つ1つにテーマがあり内装も違う。例えば、”マウンテン・キャビン”と名前が付けられた部屋は、壁に山の絵が描かれていて、中はロッジ風。”ヤッホー”と名前の付けられている部屋のベッドは、馬車風になっており、今にもカウボーイが「ヤッホー」と叫びながら出てきそうなのである。部屋は宿泊しなければ見ることはできないのだが、それ以外の人も入れる面白いレストランもある。それが、”ゴールド・ラッシュ・ステーキハウス”だ。何が面白いのかというと、内装が全てピンクだということ。さらにシャンデリアは金。なんだかゴージャスで、”マドンナ・イン”というこのホテルの名前にぴったりなのだ。
マドンナ・イン内のレストラン「ゴールド・ラッシュ・ステーキハウス」(モーテル室内ではありません)
デンマーク村・ソルヴァングとサンタバーバラ
サン・ルイス・オビスポからさらに南へと下り、サンタバーバラへ行く途中、少しだけ内陸に入ったところにソルヴァングというデンマークの街並みを再現した場所がある。この街は、1800年代後半に移民したデンマーク人たちが、自分の国を懐かしんで作った街。アンデルセン童話などに出てきそうな建物ばかりがある。街の中には、デンマークならではのデニッシュ屋さんや、アンティーク・ショップ、カフェやギフトショップなどがあり、ウィンドーショッピングだけでも楽しめる。とても小さな街なので、半日ぐらいの滞在で十分満喫できるため、ドライブの途中などにふらっと立ち寄るのがお勧めだ。また、ロサンゼルスから約2時間半なので、この手前のサンタバーバラと一緒に訪れるといいかも。
ソルヴァングの目印の風車です
ソルヴァングの町並みです
さて、先ほどから名前が出てきているサンタバーバラは、ソルヴァングより南へ30分行くところになる。とてもかわいい港町で、主なお店は町の中心を走るステート・ストリートに集中している。このストリートを歩けば、ショップ、レストラン、カフェ、映画館など何でも揃う。また、観光地として有名なのは、ステート・ストリートから車で約15分のところにあるフランシスコ修道会の伝道所・ミッション・サンタバーバラだ。これは、アメリカにたくさんある伝道所の中でも特に美しいと言われ、そのことから「クイーン・オブ・ミッションズ」とも呼ばれている。非常に分かりにくいところにあるので、地図を持って出かけよう。
クイーン・オブ・ミッションズとも呼ばれている「ミッション・サンタバーバラ」
それでは次回は、ロサンゼルスの見所をご紹介します。お楽しみに~。
(写真:フォトアーティスト飯富崇生)
芦刈いづみ&飯富崇生のミニコラム:ビリーも来るかも! カマリロ・プレミアム・アウトレットロサンゼルスの北、約1時間のところにカマリロ・プレミアム・アウトレットがある。ロサンゼルスから、サンタバーバラやソルヴァングに行くツアーに参加すると、このアウトレットもプランに組まれている場合が多い。ロサンゼルスから近いので自分達で車を借りて行くこともできるだろう。また最近テレビで見たのだが、このアウトレットは日本で大流行した『ビリーズ・ブートキャンプ』で知られているビリー隊長の家の近くらしい。番組でビリーの家を訪れたタレントさんが、このアウトレットに連れて行ってもらっていた。もしかしたら、ビリー隊長に会えるかも……。アウトレットでは、COACH(コーチ)やKennethCole(ケネス・コール)、Donna Karan(ダナ・キャラン)、Calvin Klein(カルバン・クライン)、BANANA REPUBLIC(バナナ・リパブリック)、ASICS(アシックス)、NIKE(ナイキ)などのカジュアルブランドが多く、値段もかなり安い。もうちょっと高級なPRADA(プラダ)やGUCCI(グッチ)などのアウトレットに行きたければ、ロサンゼルスの東、約3時間のところにあるデザート・ヒルズ・プレミアム・アウトレットがお勧めだ。
アクセス情報最寄の国際空港:17マイル・ドライブはサンフランシスコ国際空港。 日本からの直行便あり。約10時間。サンフランシスコからUS-101→CA-156→CA-1→CA-68で約2時間。その他のエリアはロサンゼルス国際空港。日本からの直行便あり。約10時間。車の場合:カマリロ・プレミアム・アウトレットまでは、ロサンゼルスからUS-101を北へ約1時間。サンタバーバラまでは、カマリロ・プレミアム・アウトレットからUS-101をさらに北へ約45分。ソルヴァングまでは、サンタバーバラからUS-101→US-246で約30分。マドンナ・インまでは、サンタバーバラからUS-101で北へ約1時間半。ハースト・キャッスルまでは、マドンナ・インからCA-1で北へ約30分。
周辺観光地サンフランシスコ・セコイア国立公園・キングスキャニオン国立公園・デスバレー、ロサンゼルスなど
JAL、国際線機内エンターテインメントチャンネル数を130へ拡大
日本航空(以下、JAL)では12月1日より、国際線機内エンターテインメントシステム「MAGIC-III」のチャンネル数を、従来の57チャンネルから130チャンネルへ大幅拡大する。
「MAGIC-III」は、オンデマンド方式を採用し、映画や音楽、ゲームなどをいつでも好きな時に楽しむことができるシステム。現在、ボーイング777-200ER型機・777-300ER型機・767-300ER型機のエグゼクティブクラス、エコノミークラス全席に搭載されており、ヨーロッパや中国、東南アジア方面の便を中心にサービス提供がされている。
オンデマンド方式を採用する「MAGIC-III」
今回のチャンネル数拡大により、映画・ビデオ分野では話題のハリウッド映画や邦画などの番組数増やし、21チャンネルから50チャンネルへ拡充する。韓国・中国・インド・ヨーロッパ作品なども常時提供することで、番組を充実させていくという。
また、オーディオ分野では25チャンネルから50へ増加させる。最新のヒット曲からクラシックから注目のアジアンミュージック、子ども向けの歌まで、幅広い年代に受け入れられるように多彩なジャンルを用意する。さらに、ゲーム分野ではプログラム数を11から30へ。ドナルドダックやグーフィーといった親しみやすいキャラクターが、アルファベットや絵柄のゲームを展開する「ディズニーのなかまたち」や、話題のパズルゲーム「SU DOKU」、英語やフランス語など22カ国の会話・言語を学習できる「ベルリッツワードトラベラー」などを提供する。
シートでゆったりと、好きな時に好きなチャンネルを楽しめる
座席ごとに、専用画面が用意されている
各番組の詳細は、JALウェブサイト内より11月下旬頃から確認できるとしている。
東京から一時間の田舎暮らし! 「湘南番外地スローライフ」 (30) 関東一早い小田原のだるま市で師走を感じる
地元では”飯泉観音”として親しまれる古刹
冬場は富士山や箱根連山がクッキリと見える酒匂川(さかわがわ)の飯泉橋にほど近い、小田原市飯泉にある勝福寺(しょうふくじ)。真言宗東寺派の寺院で、奈良時代中期の天平勝宝5年(753年)創建という長い歴史を誇り、坂東三十三観音(神奈川、埼玉、東京、群馬、栃木、茨城、千葉に点在する全33カ所の観音霊場)の第5番礼所にあたる。
樹齢700年以上の大イチョウと仁王門が目印の勝福寺
あの「日本三大仇討ち」のひとつとされる「曽我兄弟の仇討ち」の曽我十郎祐成、五郎時致兄弟は、富士の裾野で父親の敵である工藤祐経を討つ前に、この勝福寺へ日参。朱塗りの仁王門内にそびえる仁王像から、仇討ちに成功するための力を授かったと伝えられている。
ちなみにこの曽我兄弟が育ったのは、勝福寺の東方に広がる梅園で有名な曽我の里。現在でも曽我一族の遺骨は、JR御殿場線下曽我駅からほど近い城前寺に祀られているそうだ。
さて勝福寺に話を戻すと、本尊である十一面観音像は、高さ二尺八寸(約85cm)の素木(しらき)造り。仏像は漆箔仕上げや彩色仕上げが多く、こうしたシンプルな素木造りのものは、極めて珍しいという。
この十一面観音像、どこにも写真が出ていないと思ったら、ふだんはまったく公開されておらず、ご開帳は何と33年ごと。一度も本尊を目にしないまま亡くなってしまった住職も過去にいたというから、まさに秘仏だ。
最後のご開帳が行われたのは昭和56年(1981年)だったので、次は2014年か。すぐではないが、そう遠くもない。今から楽しみにしておこう。
400年以上つづいている師走の市
そんな勝福寺を舞台に毎年12月17・18日に開催されているのが、飯泉観音だるま市。そのはじまりは室町時代末期から安土桃山時代初期にかけての永禄年間(1558~1570年)と考えられている。
勝福寺の観音堂は神奈川県の重要文化財にも指定されている
このだるま市は、関東地方で最も早いだるま市として有名だ。ちなみに関東最後のだるま市は、川崎市麻生区にある麻生不動(またの名を木賊不動)にて、毎年1月28日に開催。旧暦ではちょうど1年の最後にあたることから、”納めだるま市”とも呼ばれているそうだ。
勝福寺では12月17日の午後になると、少しずつ境内にだるまや正月用品を扱う店が並びはじめる。だるま市は18日の午前中も開催されているが、一番盛り上がるのは17日の夜。境内ばかりか、まわりの道路にまで食べ物やおもちゃの露店があふれ、21時を過ぎてもだるまを買い求める人々が後を絶たない。
七転八起、不撓不屈のシンボルとされる張り子だるまのモデルは、6世紀ごろに中国の嵩山(すうざん)にある少林寺で「面壁九年(壁に向かって9年間座禅をして悟りを開いた行為)」を成し遂げた達磨大師。南インドの王国で第3王子として生まれた後、中国へ渡って禅宗の開祖として活躍した人物だ。なるほど、達磨大師を描いた絵はどれも顔が濃いと思っていたが、あれはインド出身だったからなのか、と納得する人も多いのではないだろうか。
日本における張り子だるま発祥の地は、群馬県高崎市と言われている。少林山達磨寺の和尚が、天候不良で農作物が収穫できなくなり、天明の大飢饉(1782~1788年)で苦しんでいる農民たちを救済するために、副業として張り子だるまの製法を伝授したのがはじまりだとか。
後に東京の多摩地域を経由して神奈川県の平塚へ伝わり”相州だるま”が生まれたのは明治時代のこと。一時は平塚のほかに小田原や厚木などでも作られていたそうだが、現在では平塚に4軒のだるま屋が残っているのみだという。
ヨヨヨイヨイという声があちこちから
だるま市を訪れたのは今回がはじめてだったので、境内に一郭にずらりと並んだだるま店をゆっくりとのぞきながら歩いてみた。だるまには大小さまざまなサイズがあり、一応、共通の値段表が存在するが、そこからどのくらい割引するかはそれぞれの店次第のようだ。ざっと見る限り、2,000円~4,000円くらいのだるまが、よく売れているように思えた。
夜遅くまで家族連れで賑わう境内は12月とは思えない熱気
家で1年間飾っただるまは、だるま市の時に寺の”納め所”で供養してもらう
はじめてだるまを買うときは小さいものを選び、もし願いごとが叶ったら、翌年は大きなだるまにする、というのが正しいだるま道(?)。勝福寺のだるま市では、購入しただるまを観音堂へ持っていけば、お坊さんが開眼をしてくれる(ただし寸志が必要)。この時、だるまの左目に描く文字は、「ま」と読む梵字で、縁起の良い「のぼる太陽」を意味する。1年後に「沈む月」を表す梵字「た」を右目に描き入れることで、願いが完結するという考え方もあるそうだ。
あたりが暗くなるに従って境内には参拝者があふれ出し、あちこちから威勢の良い声が聞こえてきた。だるまの売買が成立した時に行う「家内安全、商売繁盛、ヨヨヨイ、ヨヨヨイ、ヨヨヨイヨイ!」という昔ながらの手締めの声だ。火打ち石のはかない火花が、真冬の線香花火のように見える。
毎年だるま市へ足を運んでいる知り合いは、この「ヨヨヨイヨイ!」の声を聞くと、いつもしみじみと思うそうだ。「ああもうすぐ正月なんだなあ」と。
平塚の荒井だるま屋は創業約140年、当主の荒井星冠さんは4代目
荒井だるま屋のオリジナル干支だるま、2008年はかわいい「ねずみだるま」
成熟したトラベルのカタチ
近畿日本ツーリスト(以下、KNT)は、著名なエディトリアルディレクター石川次郎氏がプロデュースし、現地に詳しいナビゲーターが独自の切り口で紹介する海外旅行企画「編集者・石川次郎がプロデュースする シリーズ『知る旅』」を18日より販売開始する。
同企画について行われた記者会見で、KNT常務取締役の智良典氏は「石川次郎氏は古くから海外旅行と縁が深く、さまざまな企画に立ち会ってこられた。ファミリー向け、OL向け等のマーケットセグメントを意識した企画が多い中、今回はそれらを捨て去り、全く違ったコンセプトで企画していただいた」とKNTとして同商品が新しい取組みであることを強調。旅行マーケットに大きな一石を投じる企画であると自信を示した。
KNT常務取締役智良典氏
つづいて石川氏が商品開発の経緯・目的を説明した。「僕は『亜細亜見聞録』というテレビ番組で、こだわりにあふれた旅の紹介をしています。番組では、僕を案内してくれるナビゲーター、テーマに沿った専門家たちが登場します。旅というのはただ行けばよいのではなくて、グローバルな常識や知識を得るための重要なステージ。旅行を提供するほうもその点を考える必要があります。そこで、ナビゲーター付きの旅行を企画しました」。
エディトリアルディレクター石川次郎氏
今回発売されるツアー企画は、ベトナム料理研究家の伊藤忍氏とともにベトナムの「食」を堪能する「『知る旅』伊藤忍と行くベトナムめしを極める8日間」と、美容ライター上田祥子氏と”モメチョッタ(カラダによい) “な韓国料理とエステを体験する「『知る旅』上田祥子と行く韓国でカラダを中から変えてしまう4日間」の2商品。前者は6泊8日の日程でベトナムの北部、中部、南部それぞれの特徴的な料理を体験し、日本ではあまり知られていないベトナム料理の奥深さ、ひいてはベトナム文化について知ろうという試みで、後者は3泊4日でカラダによい韓国料理とエステを体験し、体の内外ともに健康できれいになるというものだ。
フードコーディネーター伊藤忍氏
美容ライター上田祥子氏
日程および料金に関し、前者は3月14日発が39万9,900円、5月2日発が45万3,900円、7月4日発が37万9,900円。後者は、3月14日、28日、7月4日発が39万9,900円、5月9日、28日発が38万9,900円、7月25日発が40万5,900円 (いずれも成田発着、2・3名1室利用時の1名料金) 。募集人員はそれぞれ16名としている。
また、両ツアーが16名までの限定としていることについて「たくさんの参加人数を求めるのではなく、いい商品を提案していきたいというコンセプトのためこのようなカタチになりました」(KNT広報担当)とのこと。この点について石川氏も「円卓を囲んで、話ができるくらいの人数が一番(旅行は)楽しい」と同調した。今後、登場予定のナビゲーターとして、ホテルジャーナリストのせきねきょうこ氏、骨董に詳しい島津法樹氏を予定しているという。