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たまには夫婦でのんびり旅行を

たまには夫婦でのんびり旅行を  

 JTBは24日、夫婦での旅行に狙いを絞った国内旅行パッケージツアー、エースJTB「ご夫婦で行く北海道・九州 大人の秋旅」と「おとなの旅時間 大人のいい旅」を発売した。

 夫婦で楽しめる旅を提案

 「ご夫婦で行く北海道・九州 大人の秋旅」では、個人型プラン・添乗員同行型プランを用意することで、顧客のニーズに合わせた夫婦旅行を提供する。夫婦限定の個人型プランでは、旅先での移動手段として貸切タクシーを利用し、効率よく、自分なりの旅を楽しめる。例えば「ご夫婦の旅 いまふたたび九州へ 黒川・湯布院・別府タクシープラン3日間」ではタクシードライバーと相談しながら、阿蘇や別府観光など好きな場所を巡ることが可能だ。さらにドライバーが撮影した写真を、オリジナルアルバムとしてプレゼントする特典もあるという。出発日は10月1日~12月28日で、旅行代金は9万9,800円~16万1,800円(大人2名1室利用時と1名料金)。

 また添乗員同行型プランは、できるだけ多くの観光地を訪れたい夫婦向けの旅行企画。例えば「憧れのカシオペア号で行く ご夫婦の旅登別・小樽・層雲峡4日間」は、北海道有数の観光地である小樽市内や登別、旭山動物園などを、ガイドが丁寧に解説しながら巡るプランとなっている。さらにカシオペア号では、TV、洗面台・トイレなどが完備されたカシオペアツインを用意。悠々と車内の旅が楽しめる。出発日は10月2日~12月25日までの特定日で、旅行代金は12万5,000円~14万円(大人2名1室利用時の1名料金)。

 大人のこだわった旅行を紹介

 「おとなの旅時間 大人のいい旅」では、くつろぎ・体験・食事・湯にこだわった全24軒の宿泊施設を提案。そば打ちやガラス工芸が体験できたり、その宿自慢の料理が味わえたりと、特徴のある宿を厳選している。さらに毎月22日を「夫婦(22)の日」とし、10月・11月・1月・2月の各22日には特別料金を設定。中でも12月・3月の各22日は「お得土曜日」として通常よりおトクな料金で宿泊できるほか、夫婦利用の特典としてグラスワインのサービスや記念撮影のプレゼントなどがあるとしている。

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浦安ブライトンホテル、豪華新客室「THE 3 STYLE」の提供を開始

浦安ブライトンホテル、豪華新客室「THE 3 STYLE」の提供を開始 

 浦安ブライトンホテルは、ホテル開業以来使用してきた特別客室をリニューアルし、高級客室「THE 3 STYLE(ザ・スリースタイル)」として新たに提供を開始した。新客室は同ホテルアッパーフロアの21・20Fに位置する計2室となり、「大人2人のためのスペシャル空間」をテーマに優雅なホテルステイを提案していくとしている。

 21階の客室はバイオレットクリスタルを使用したシャンデリアを採用

 20階の客室はモダンな感覚を醸しだすユニバーサルダウンライトを採用

 両室とも広さは57平方メートルで、ダイニングエリア・リビングゾーン・ベッドステージの3つの空間が用意されている。特にベッドステージ空間では、ベッドが窓側に向けて配置されているので、夜景を楽しみながら眠ることができる。また、40インチ液晶テレビやDVDプレイヤーの設置、ウェルカムシャンパンやフラワーバスの無料サービスを提供するなど、プライベートな時間をさらに充実させる工夫が凝らされている。

 同社企画部担当は「20~30代のカップルだけでなく、中高年のご夫婦の方にも特別な日に利用していただけるような素敵な空間に仕上がっています」と語る。

 宿泊料金は通常10万円(2名宿泊の1室料金)のところ、ウェブサイトにて予約すると、特別提供価格の4万9,000円(同条件)で宿泊することができる。特別価格での提供期間は10月末までとしている。

2015/02/27 (Fri) Comment(0)

北海道を走り続けた名車、最後の旅路へ

北海道を走り続けた名車、最後の旅路へ  

 JR北海道旭川支社は、10月1日のダイヤ改正により引退することになった781系電車のラストランとして「さよなら781系電車で行く洞爺湖温泉の旅」ツアーを発売した。781系電車は、北海道専用の特急電車として「ライラック」「すずらん」などで活躍してきた。

 北海道の大地を駆け巡る781系電車(撮影者:伊藤小琴 氏)

 同ツアーの出発日は、10月27日のみの1泊2日。料金は旭川発着で2万8,000円~3万2,000円(大人2~4名1室利用時の1名料金)、子どもは大人の料金より一律5,000円引きとなる。最少催行人員は100名。宿泊は洞爺湖温泉となり、宿泊当日は洞爺湖ロングラン花火が催される予定だ(荒天中止)。

 同ツアーでは、新旭川駅や札幌駅などで運転停車をするほか、白石駅から方向転換するなど、通常走らない特別ルートで走行する。また希望すれば、指定席「Uシート」(2,000円の追加料金)を選択できるので、快適な旅を満喫できる。

 その他、参加者限定で懐かしい硬券タイプの記念乗車証と参加証専用ホルダーがプレゼントされる特典があるとしている。

2015/02/27 (Fri) 旅行 Comment(0)

メキシコ世界遺産巡りの旅 (6) バラガンにダカーロ……メキシコアートを知る

メキシコ世界遺産巡りの旅 (6) バラガンにダカーロ……メキシコアートを知る 

 いよいよ連載最終回となる今回は、メキシコのアートで締めくくろうと思う。文化遺産にも指定されているルイス・バラガン邸やメキシコを代表するアーティスト、フリーダ・カーロのアトリエなどを皆さんに見ていただきたい。

 街に建っている民家と壁面に張られたタイル。鮮やかな色合いが目を引き、普通に歩いていてもアートを感じさせてくれる

 私たちが最初に訪れたのは、ルイス・バラガン邸。メキシコの建築家で、建築を志すものにとっては憧れの巨匠といっても過言ではないルイス・バラガンが自ら設計した自宅兼アトリエである。まず玄関を通ると、外界の暑さから隔絶されたひんやりと優しい空間にいざなわれる。「この感じ、どこかでも味わった記憶が……」と思い出したのがおばあちゃん家の土間(笑)。土間に似た入ってすぐのちょっとしたスペースが外気を冷ましてくれる。

 ルイス・バラガン邸の外観と屋上部分

 そして目を引いたのが、明かり取りの窓。上部に小さく設けられ、そして黄色いガラスがはめ込まれていた。イエローフィルターは青い波長、つまり紫外線をカットし、人の肌をきれいに見せてくれる。「暖かい雰囲気の色合いだけど涼しげな光だなぁ」と感じるのは、こうした工夫によるものなのかと感心する。この黄色い光こそがバラガンの特徴のように私は思った。メキシコの朝日にそっくりなイエローの光は、ゲストルームの寝室や廊下にも使われていた。

 玄関を抜けると、ピンク色の壁と黒い階段が現れ、驚かされる。同じ家の中でも空間によって大きくイメージが違う。居間に入ると、中庭に面した部分に大きな窓が。先ほどの玄関とはまったく違う開放的な雰囲気が漂い、中庭にたくさんの緑があるからか、部屋の空気は冷房が入っていなくてもひんやりと冷たく居心地が良かった。

 バラガン邸から歩いて15分程の所にあるヒラルディ邸もバラガンの作品。ここは個人のお宅で、「アートスペースです」と警備員が24時間監視しているような施設ではないのだ。実際私が訪れた時にもここの主なのかおじいちゃんがランチ中だったし、2階では子供たちが寝ているし。巨匠が建てた家で、人々がごくごく普通の日常生活を送っていた。アートスポットを見学する! というより、知り合いのお宅に訪問するといった感覚だった。

 ヒラルディ邸の内部。SHARP「AQUOS」のCMに登場していたので、見覚えのある方もいるのでは?

 こちらもヒラルディ邸

 ルイス・バラガンの作品は世界文化遺産に指定されているものもあるが、バラガンの知名度は日本ではまだまだ低いのではないだろうか。しかし、日本を代表する建築家、安藤忠雄氏をはじめ、多くの建築家はバラガン建築のファンと聞く。下の写真はバラカンに強く影響を受けたメキシコの有名な建築家、リカルド・レゴレッタがオリンピック選手村用に建てたもの。現在はホテルになっている。大胆な色の組み合わせや光の取り込み方に、バラガンの影響を強く感じとることができる。

 今はホテルとして利用されているリカルド・レゴレッタの作品

 そして、メキシコと言えば忘れてはならないアーティストの一人にフリーダ・カーロがいる。メキシコでは、その悲劇的な人生を描いた映画が上映されたことから、アートにあまり詳しくない人々の記憶にも彼女の存在が刻み込まれているという。フリーダ・カーロとは、この連載の4回目にも登場した著名な画家、ディエゴ・リベラの妻。ここからは、フリーダの生涯を解説しつつ、2人のアトリエを紹介しようと思う。

 フリーダの絵は彼女の人生そのものであり、彼女のその境遇を知らなければ決して理解できない絵だといえるのではないだろうか。1925年、偶然乗ったバスが路面電車と衝突。ステンレスの手すりが彼女の腹部を貫き、脊髄と骨盤はそれぞれ3カ所、右足は11カ所の骨折、その他にも肋骨や鎖骨が折れるという状態に。以降、数十回にも及ぶ手術を受け、コルセットをつけた生活を送ることになってしまう。晩年には体の自由が利かなくなるのだが、そんな状態でも横になりながら自らの人生の苦痛を絵筆に込め、絵を描き続けた。

 フリーダ・カーロの生家

 このあまりにも壮絶な人生を他人が想像するのは容易ではないが、フリーダの作品の中に登場する彼女自身は、傷だらけで弱りきった現実の身体とは違う。メキシコの民族衣装を身にまとい、誇り高く生きぬいた強い女性を感じさせる。彼女の遺品が置かれている部屋でコルセットや彼女が使ったであろう小さなベットを見ると、胸が締め付けられるような気持ちになった。

 下の写真はディエゴ・リベラと彼女が住んでいたアトリエ兼住居。ここでは多くの作品が生み出され、またたくさんの画家や文化人がアトリエを訪れて交流を図っていたという。まさにここは当時、メキシコ文化の拠点だったといっても過言ではないのだろうか。

 ディエゴ・リベラとフリーダ・カーロのアトリエ兼住居

 全6回と駆け足ではあるが、メキシコの遺跡や歴史的建築物を中心に紹介してきた。私は考古学者でもないし、アートに特別詳しいというわけではない。しかしその分、観光の際には難しいことを考えずに、ありのままを受け入れることができたせいか、非常に楽しく、また興味深い経験ができた。皆さんはなかなかメキシコに行く機会はないと思うので、この連載を見返しつつ、少しでもメキシコの空気を感じていってもらいたい。

2015/02/27 (Fri) 旅行 Comment(0)

東京から一時間の田舎暮らし! 「湘南番外地スローライフ」 (15) 日本初の海水浴場といわれる大磯ビーチについて知る

東京から一時間の田舎暮らし! 「湘南番外地スローライフ」 (15) 日本初の海水浴場といわれる大磯ビーチについて知る 大磯ビーチは何と122年の歴史を誇る

 関東地方もそろそろ梅雨明け、いよいよ本格的な海水浴シーズンがやってこようとしている今日この頃。我が二宮町にも海水浴場はあるが、残念ながら遠浅ではないので、電車に乗って、わざわざ泳ぎに来るようなレジャー客は少ない。かつて、どこかの情報誌に「地元度99%の超隠れ家ビーチ」なんて書かれたこともあるが、いくらなんでも隠れすぎだ。

 そんなわけで、湘南番外地で泳ぎたいという人には、隣の大磯町にある海水浴場を薦めている。子供連れでも気軽に水遊びが楽しめる遠浅で、シャワーや更衣室などの設備の整った海の家もずらり。東京からはるばる日帰りで遊びに来る若者や家族連れも多く、こちらは地元度50%くらいだろうか。

 大磯海水浴場の沖合からの眺め。西湘バイパスの向こうに湘南平や鉄塔が見える

 この賑やかなビーチ、一般に大磯海水浴場という名で知られているが、地元ではもともとの海岸名から北浜とも呼ばれている。すぐ西隣にある大磯港を挟んで、照ヶ崎というもうひとつの海岸があり、大磯という町名はここから生まれたのかと思わせるような磯が広がっている。

 ご存知の方が多いのか少ないのかわからないが、大磯海水浴場は日本で最初の海水浴場といわれている。陸軍の初代軍医総監を務めた松本順によって、大磯に海水浴場がオープンしたのは明治18年(1885年)のこと。その当時はまだ大磯港も存在していなかったため、北浜海岸と照ヶ崎海岸は繋がってひとつの海岸線を成していたわけだが、松本が海水浴場に選んだのは、北浜ではなく照ヶ崎の方だった。つまり厳密に言えば、現在の大磯海水浴場ではなく、照ヶ崎海岸こそが、日本初の海水浴場ということになる。

 空いていて磯遊びもできるので、照ヶ崎にしか行かない地元ファン多数

ひとりの男の夢が結実した海

 さて、この国内初といわれる海水浴場の誕生には、実は嘉永6年(1853年)にやってきたペリー提督率いる黒船艦隊が関係している。

 黒船の来航に驚いた江戸幕府がすぐさま友好国オランダに蒸気船を発注したことをきっかけに、オランダから長崎へ海軍伝習隊がやってきた。そのメンバーの中に医師がいることを知った松本順は、長崎へ足を運び、その医師から西洋の最新医学を学んだ。

 そのときに読んだ医学本がきっかけで、松本は健康を増進し、体力を向上させるという海水浴の効能を知った。ぜひ自分の国でも海水浴による健康づくりを行ってみたい……そう思った松本は、軍医総監を退官した明治12年(1879年)から、海水浴に適した海辺を探して全国を旅した。

 そして5年後、ようやく出合ったのが、大磯の照ヶ崎だった。地元の人々に海水浴の効能を説明し、説得し、明治18年(1885年)に海水浴場を開いた。松本の考える理想的な海水浴場とは、海水や空気がきれいなだけではなく、波が大きいことも重要な条件だったという。荒くて力強い波が続々と体に当たるような海ほど、健康増進効果がアップする、という考え方なのだろう。

 ちなみに当時は、あくまでも海水”浴”であり、泳いだり水遊びをしたりするのではなく、体力や体調に合わせて1日に数回、各10~20分ほど海中で塩水に浸かるのが目的だった。明治時代の海水浴風景を描いた絵を見ると、海中に何本も棒が立てられ、海水浴客たちはその棒にしがみついている。楽しそうな表情をしている人は見当たらず、どちらかといえば苦行か修行のようでもある。

 そんな海水浴の人気に火がついたのは、2年後の明治20年(1887年)。大磯海水浴場に洋風の大型旅館「梼龍館」が開業すると、松本は知り合いの歌舞伎役者や新聞記者など約300人を招待した。また大磯海水浴場の良さについて説いた海水浴のハウツー本を出版し、宣伝を行った。同じ年に延伸開業した東海道線の旧横浜駅~国府津駅間に大磯駅が設けられたのも、松本の尽力があったからこそ、と言われている。そのおかげで、海水浴客の数は爆発的に増加し、大磯の名は全国に知れ渡った。

興味深い情報ぎっしりの資料館へ

 以上のような日本最古と言われている海水浴場にまつわる数々の事実を、ぼくは大磯町郷土資料館で、改めてじっくりと学んできた。県立大磯城山公園の敷地内にあるこの資料館は、今までにも何度か足を運んでいる。今回訪れたのは、海水浴場関連の資料がたくさん展示されていたことを思い出したからだった。

 旧三井財閥別荘跡地に広がる県立大磯城山公園の大磯郷土資料館

 大磯で歌舞伎役者たちが海水浴をする場面を描いた浮世絵風の絵画。イタゴと呼ばれるボディボードの元祖のような波乗り用の板。茶屋(現在の海の家)の名前が入った布で覆われたコルク製の浮き輪。各茶屋が雇っていたジイヤ(客の安全に気を配ったり雑用をこなしたりする役割の人)や、横縞模様の洋服のような水着を着た女性の写真。などなど、いかにも大磯らしい品々が並ぶ常設展示室は、潮の香りがいっぱいだ。

 そして運良く、というか、このコラムで大磯海水浴場を紹介する気配が伝わったのかと思ってしまうほど驚いたのだが、何と企画展示室では、松本が明治40年(1907年)にこの地で亡くなってからちょうど100年を迎えることにちなんで、企画展「大磯の蘭疇 – 松本順と大磯海水浴場」を開催していた。

 松本が幕末から明治にかけて、いかに重要な役割を果たしたのか。大磯に来てから、海水浴場づくりに情熱を注いだのか。企画展を見ていくと、希少な資料の数々が、それこそ照ヶ崎の打ち寄せる波のごとく、次々と語りかけてくる。明治から昭和にかけて大磯という町が栄えたのも、政財界人や文化人の別荘が数多く集まったのも、すべて海水浴場があったからこそ、ということもよくわかった。

 企画展「大磯の蘭疇 – 松本順と大磯海水浴場」は9月2日まで開催

 歌舞伎役者招待の絵は、團十郎、菊之助などそれぞれの名前入り

 大磯では毎年7月上旬(2007年は7月1日)に、海開きの式典が行われている。場所は、北浜の海水浴場。海水浴の安全や晴天を祈った後で、御輿が浜から海中まで練り歩くのだが、この式典の前に参列者たちは、照ヶ崎へ行って、「松本先生謝恩碑」に黙祷を捧げるのが、昔からの習わしだ。この町の人々の心に、今も恩人は生きつづけている。

  照ヶ崎に立つ「松本先生謝恩碑」。下にあるのは「海水浴場発祥の地」記念碑

2015/02/27 (Fri) 旅行 Comment(0)
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上原健二
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