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ホテル西洋 銀座、クリスマス宿泊プラン4種類を発表

ホテル西洋 銀座、クリスマス宿泊プラン4種類を発表 

 ホテル西洋 銀座は12月1日より、クリスマスにふさわしいロマンチックな空間を演出した4種類のクリスマス宿泊プランの提供を開始する。提供期間は2007年12月25日まで。

今回提供されるクリスマスプランは、以下の通り プラン名 内容 料金(2名利用時1室料金)

“The Head Butler” Once in a lifetime Christmas with Head Butler クリスマスイブ1日1組限定のプラン。ディナーの希望からクリスマスプレゼントのサポートまでヘッドバトラーの安達実氏が全てもてなす、フル・オーダーメイドの宿泊プラン22万円~(希望プランによって加算)ストロベリー・サンタ愛らしいストロベリーサンタのデザートやフルボトルシャンパンなどが楽しめるスイーツプラン・朝食付き4万9,000円~テイスティー・クリスマスノエル/ナターレ フランス料理「レペトワ」か、イタリア料理「アトーレ」でのクリスマスディナーと朝食が付いたプランノエル:8万2,000円~/ナターレ:7万5,000円~ホーミー・クリスマス1日2組限定のプラン。バトラーサービスによるフランス料理「レペトワ」クリスマスディナーが楽しめる8万7,000円~

 「”The Head Butler”Once in a lifetime Christmas with Head Butler」は滞在中全て、「ホーミー・クリスマス」ではディナー時にヘッドバトラー安達実氏が丁寧にもてなしてくれる

 注目の宿泊プランである「”The Head Butler”Once in a lifetime Christmas with Head Butler」は、クリスマスイブ1泊1組限定の完全なオーダーメイドプランで、ヘッドバトラーである安達実氏が宿泊客をもてなす。バトラーとは、宿泊客専属の客室係で、宿泊客が有意義な時間を過ごせるよう行き届いたサービスを行うスタッフ。ホテル滞在中のディナーの希望やプレゼント選びのサポート、ハイヤーによる自宅までの送迎まで、すべての要望に応えるとしている。客室はプレミアスイートを用意する。

 そのほか、「ストロベリー・サンタ」では、ストロベリーを可愛らしいサンタに見立てた「ストロベリー・サンタ」や、フルボトルシャンパンなどを部屋で楽しむことができる。また「テイスティー・クリスマスノエル」では、フランス料理「レペトワ」にて、子羊を使用したメイン料理などが堪能できるフレンチスペシャルコースを、「テイスティー・クリスマスナターレ」では、イタリア料理「アト―レ」にて、北イタリア料理を盛り込んだオリジナルクリスマスディナーを味わえるという。「いずれも豪華で、温かなもてなしを体験できるプランです」(広報担当)としている。

 サンタの形をしたストロバリーのデザートがとてもキュート

 プレミアスイートのベットルーム

 フランス料理「レペトワ」の料理

 イタリア料理「アト―レ」の料理

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東京から一時間の田舎暮らし! 「湘南番外地スローライフ」 (25) 実りの季節に山の恵みを堪能する

東京から一時間の田舎暮らし! 「湘南番外地スローライフ」 (25) 実りの季節に山の恵みを堪能する ブラジル原産の不思議なフルーツ

 食欲の秋、体重がますます増えてしまうキケンな季節は今まさに真っ盛り。いつも利用している二宮町や中井町、大井町などの農産物直売所へ行けば、「キヌヒカリ(神奈川県の奨励米)」をはじめとする地元産の新米が並び、落花生やサツマイモ、ズイキ、ムカゴ、カキ、早生ミカンなどがずらり顔を揃えている。最近では、夏野菜のズッキーニをビニールハウスで秋に栽培する農家も出てきて、ズッキーニのパスタやカポナータが大好きな我が家としてはうれしい限り。

 そんな農産物の中に、ひっそりと隠れている珍しいフルーツが、緑色の小さな果実フェイジョア。原産地はブラジルやウルグアイ、パラグアイなど南米大陸の南部エリア。現在ではニュージーランドやオーストラリア、米カリフォルニアなどで広く栽培され、日本でも栽培農家がじわじわ増えているが、まだまだ市場に出回るほどの生産量ではないようだ。

 フェイジョアは触ってやや柔らかく、甘い香りが立ってきたら食べ頃

 神奈川県西部では、主に大井町(足柄上郡)で数年前から作られていて、10月下旬から11月上旬にかけての一時期、こうした直売所に出荷される。食べ方は至ってシンプル。包丁で半分にカットしてから小さなスプーンで中身をすくい出すだけだ。

 フェイジョアは別名パイナップルグァバというらしいが、その南国チックな香りと酸味、ねっとりした甘さは、たしかにパイナップルやグアバのようでもあり、何となくバナナやパッションフルーツのようでもあり、少しジャリジャリした食感は洋なしにも似ている。何とも不思議な味わいなので、もしどこかで見かけることがあったら、ぜひお試しあれ。

キンモクセイが咲くころにとれるきのこ

 もうひとつ、直売所で入手できる秋の恵みをご紹介。秦野市の田原ふるさと公園にある直売所では、丹沢で採れる足長きのこ(地元での通称)が手に入る。とは言っても、天然モノなので入荷するかどうかはわからず、すべては買い手の”きのこ運”次第だ。

 秦野のきのこ採り名人によると「キンモクセイの花が咲くと、足長きのこが採れはじめる」という自然界の法則があるという。より正確に言えば「キンモクセイの花が咲いた後、雨がたっぷり降った日の翌日から採れはじめる」。

 だから、足長きのこが毎年たくさん出てくる場所を知っている名人は、キンモクセイが咲いた後、ひたすら雨を待つ。しかし、逆に雨が降り過ぎてもいけないそうで、3日降り続けると足長きのこは腐ってしまうという。何ともデリケートなきのこなのだ。

 足長きのこを調理する際には、必ずナスと一緒に炒めるのが地元流。最も一般的な食べ方は、なすと炒めた足長きのこを具にした温かい汁そばだ。きのこの香りを楽しむには、このそばがベストとか。今シーズンの足長きのこは、すでに10月中旬から採れているが、このところ雨が少ないので、11月に入ってもしばらくは採れ続けるかもしれない。

 秦野の田原ふるさと公園にある直売所で売られていた足長きのこ

 田原ふるさと公園内のそば処「東雲」では、秋限定の足長きのこそばが楽しめる

食べはじめると止まらなくなるクルミ

 さて、せっかくの実りの季節なので、買ってばかりではなく、自分の力でもなにか調達したくなった。今年は栗か? それとも銀杏か? いろいろ考えた末に狙いを定めたのは、いつも歩いている散策コース沿いにあるオニクルミの木。川縁に生えた大きな木には、夏の終わりごろからクルミの丸い実がびっしりついている。収穫期はこの実の熟す10月から11月にかけてだ。

 オニクルミの木は、たいてい川に面した斜面などにあり、川の上空を覆うように枝を広げている。おそらく川に落ちた実がドンブラコと下流の川辺に流れついて発芽し、それを繰り返して増えていくための知恵なのだろう。それゆえ、オニクルミを採るのはなかなか至難の業だ。高枝切りばさみもないので、斜面から精一杯手を伸ばして、採れるものはすべて採りまくった。ときどきバランスを崩して、自分がドンブラコしてしまいそうになりながら。

 オニクルミ採りはすでに体験済みなので、持ち帰ってからの作業は慣れたもの。皮をきれいに取り除いてから殻を乾かす。それをフライパンで軽く炒ると、殻に数ミリの隙間ができるので、そこにマイナスドライバーを差し込む。すると殻はくす玉のごとくふたつに割れて、クルミの実が出てくる。それをそのままつまむと松の実にも通じる香ばしい濃厚な風味に、うっとり。割ったそばから娘が食べてしまうので、何だかせわしないけど楽しい。バジルと合わせてジェノベーゼ風にして、パスタと絡めたりリゾットに加えたりしてもおいしそうだ。

 ふたつに割れた殻の中から出現したクルミの実。その造形美に思わず見とれてしまう

 その数日後。山の達人Kさんが、深い山中で採ってきたという貴重なさるなしと山ぼうしをお裾分けしてくれた。どちらも食べるのははじめて。緑色のさるなしは、皮をむくとさらに美しい緑色をしていて、佇まいも味もキウイみたいだと思っていたら、本当にキウイの原種と言われているらしい。一方、見た目はベリーかサクランボのような山ぼうしは、イチジクにも似た甘い実が詰まっていた。

 どちらも滋味にあふれ、心にじんわり染みるようなおいしさ。来年こそは秋の山を歩き、もっとディープなスローライフを体験しなければ、としみじみ思った。

 果実の断面もキウイそっくりのさるなし、左奥の赤い実が山ぼうし

2015/02/27 (Fri) Comment(0)

出張中に行ける勝手気ままな私的世界遺産の旅 (1) タイはアユタヤよりも「スコータイ遺跡」が絶対オススメ! (前編)

出張中に行ける勝手気ままな私的世界遺産の旅 (1) タイはアユタヤよりも「スコータイ遺跡」が絶対オススメ! (前編) 

 私は世界遺産(あるいはそれに匹敵する遺産)が好きで、時間があれば世界遺産を巡る旅に出かけている。この連載では、旅行に行く時間が取れない人のために出張など短期間の滞在でも世界遺産を堪能できるプランを紹介していきたい(ただし、筆者は出張中に行ったりはしてませんのであしからず)。

アユタヤ遺跡だけじゃつまらない! スコータイ遺跡を見に行こう

 日本からタイ、バンコクまでは飛行機で6時間ちょっと。便数が多いこともあり、また各旅行会社から低価格ツアーも組まれているので、日本から多くの人がバンコクを訪れる。そのバンコクから車で1時間少しのところにあるアユタヤ遺跡は、世界遺産に指定されており、バンコクから近いせいか多くの観光客が訪れる定番スポットだ。だが、遺跡巡りが好きなら、もう1カ所、是非とも訪れて欲しい街がある。バンコクから飛行機で1時間ほど、タイ中部にあるもう1つの世界遺産、スコータイ遺跡である。

 日本から格安ツアーも多数あり、人気の観光都市がタイの首都バンコク

 ここで少しタイの歴史について、解説しよう。タイは西暦1200年頃まで、少数民族が分かれて暮らし、それらを北部は中国・雲南省からの移民、中南部はカンボジアのアンコール王朝が支配していたといわれている。1200年頃になって、北部の街、チェンマイを中心とした部族からタイ初めての統一国家スコータイ王朝が誕生。その王朝が置かれたのが、タイ北部の山岳地帯へと入る入り口にあたるスコータイという場所だ。60年あまり続いたスコータイ王朝は、その主権をアユタヤ王朝に移すまで、多くの文化を生み出した。その後、アユタヤ王朝は400年ほど続き、ビルマ侵攻などを経験しながら、現在のチャクリー王朝へと続く。

 バンコクから車で1時間ちょっとと近いこともあり、タイ旅行では定番の観光地が、世界遺産のアユタヤ遺跡

 タイ王朝の起源ともいえるスコータイは、タイ文字の発祥地であり、さらにはアジアのさまざまな宗教を取り込んで発展したタイ仏教は、その後アジア宗教史に大きな功績を残している。タイは宗教の自由が憲法で保障されているが、世界の中でも唯一、「王室は仏教徒」と憲法で決められているほどの敬けんな仏教徒の国である。こうした歴史を紐解いてみると、タイ王朝発祥の地であり、タイ仏教の発祥の地ともいえるスコータイの重要性が理解できるのではないだろうか。

 そのスコータイは、バンコク・スワンナプーム国際空港からバンコク航空で1時間ほどのところにある。タイ国際航空がバンコク・ドンムアン空港からスコータイの近隣、ピッサヌローク空港まで飛んでいるのでそれを利用してもいいだろう。また北部の古都、チェンマイから車で5、6時間程度となっており、チェンマイから途中の街を巡りながら、車でスコータイを目指す観光客も多い。もっとも、バンコクからの空路なら日帰り観光も可能なので、バンコク・スワンナプーム国際空港からのアクセスが時間のない人にはオススメだ。

 ちなみに筆者は、バンコクから1泊2日で、フライト代、2日間の専用車+日本語ガイド、1泊のホテル代を含めて、1万1,000バーツ(4万円弱ぐらい)という、少し時間に余裕があるツアーを利用した。

 タイ北部の古都、チェンマイは標高300mで、1,000m級の山脈に囲まれている。少数民族を巡るツアーや象に乗ってハイキングできるツアーなども組まれており、欧米人観光客が多数訪れる

いよいよスコータイへ足を踏み入れる

 朝7時、アジア有数の巨大空港であるバンコク・スワンナプーム国際空港を飛び立った定員100名程度のバンコク・エアウェイズ機は、1時間ほどで1日に4便しか発着しない小さな小さなスコータイ空港へと到着した。ちなみに、この日の乗客は40名ほど。空港も迎えの車やバスが数台止まっているだけで、タクシーはいない。あらかじめガイドを手配しておいて正解だったらしい。でなければ、いきなりこんな田舎で文字どおり路頭に迷うところだった。

 アジア有数の巨大空港には不釣り合いな定員100名ほどの小さな飛行機でスコータイへ。なお、タイの国内線は、現在の国際空港であるスワンナプーム空港と、以前のハブ空港のバンコク・ドンムアン空港の2つの空港から出ているので要注意

 無事にガイドと合流してまず向かった先は、シーサッチャナライ歴史公園。スコータイ空港から車で40分ほどのこの公園は、日本の開発援助などで歴史公園として整備されている。遺跡の周りは発掘され、芝生などが植えられているが、森の中にたたずむ遺跡は見事! の一言。すっかり観光向きに整備されたアユタヤ遺跡あたりとは違って、自然の中に残る遺跡群はすごい迫力がある。

 シーサッチャナライ歴史公園内でもひと際大きなワット・チャン・ローム。ちなみに、ワットはタイ語で「寺」の意味

 ワット・チャン・ロームの土台部分の象。タイで遺跡では象をよく見かけるが、鼻が短いところが特徴的

 シーサッチャナライ歴史公園は、自然が残る森の中にある。なお、残っている遺跡はすべて仏教に関連した建造物。当時もっとも影響力を持ち、経済的にも余裕があったのが仏教施設。その他の建築物は木造だったため、仏教施設だけが今も姿をとどめているようだ

  きれいに修繕されたワット・シーラッタナマハータート。もともとはアンコール時代に建てられたクメール様式の寺院らしいが、アユタヤ時代に修復されたらしく中央の建造物はアユタヤ様式

 また、シーサッチャナライは陶器の産地としても有名だ。ただし、土産物屋の店先に並ぶのは、ほとんどすべてが模造品。もし本物の出土品を見たければ、土産物屋の店主などに頼んでみよう。たいていの土産物店では、奥の倉庫に本物の出土品を持っている。ただし、値段は非常に高い。しかも、出土品を無許可で国外に持ち出すことは、違法である。税関で没収されるのが関の山なので、見るだけにしておくのが無難だろう。

 このあたりは、スコータイ王朝時代からの陶器の産地。戦国~江戸時代にかけて日本にも輸入されて、茶人などにもてはやされたらしい

 シーサッチャナライで遺跡や陶器を鑑賞した後、ローカルなレストランでタイ料理を楽しんで、次の目的地、ピッサヌロークへ移動。ピッサヌロークはこのあたりではもっとも発展した都市で、外国人向けのホテルなどもいくつかある。そして、ピッサヌロークの一番の見どころは、「ワット・プラ・スィー・ラッタナ・マハタート」という長い名前のお寺だ。

 ここにある黄金の仏像は、タイでもっともきれいな仏像といわれている。そのため現地の仏教徒が毎日数多く訪れる有名なお寺。お寺を見学したら、周りにある市場でブラブラと買い物も楽しめる。

 こうしてピッサヌローク観光を楽しんだら、今回の宿泊先であるパイリン・ホテル・スコータイへ。このホテルは、スコータイでもっともグレードの高いホテルで、日本の天皇陛下も滞在したことがあるという由緒正しいホテル……という触れ込みだったのだが……。他にいいホテルがあるような地区ではないので、きっと天皇陛下もここに泊まるしかなかったのだろう。さすがにタイの田舎街、静かな夜が更けていきました。あ~、よく寝た。

 ピッサヌロークのワット・プラ・スィー・ラッタナ・マハタートにある仏像は「タイでもっとも美しい仏像」といわれており、多数の人が参拝に訪れている

 ホテルの前の道はこんな感じ。周りには超ローカルな食堂がポツンポツンとある程度。よほどお腹に自信がある人以外は、ホテル内のレストランを利用したほうがいい。もっとも、味は……。まあ、タイで食べ物に迷ったら「空芯菜」を頼んでみよう。炒め物なので安全だし、これならとりあえず、失敗はない

 今回はここまで。次回はいよいよスコータイ歴史公園を訪れる。

2015/02/27 (Fri) 旅行 Comment(0)

新横浜駅直上の「ホテルアソシア新横浜」、オープンは2008年春

新横浜駅直上の「ホテルアソシア新横浜」、オープンは2008年春 

  ホテルロゴマーク

 ジェイアール東海ホテルズはこのほど、建設中の新横浜中央ビル(新横浜駅直上)内に宿泊特化型ホテル「ホテルアソシア新横浜」を2008年4月1日にオープンすることを発表した。

 JR東海のホテルチェーン「アソシアホテルズ&リゾーツ」では、東海地区にてホテルアソシア高山リゾートや名古屋マリオットアソシアホテルなど、5つのホテルを展開。6番目となる同ホテルが首都圏初出店となり、「高品質な宿泊特化型ホテル」を目指すとしている。

 同ホテルはフロント・ロビーを10階に構え、新横浜駅2階から直通エレベーターでロビーへ直接アクセスできる利便性の高さが特徴。さらに自動チェックイン機を設置することで、よりスピーディーな到着・出発を可能にしていく。

 ホテルアソシア新横浜10階ロビー完成イメージ

 客室は13階~19階までの全203室が用意され、インターネットパソコンやビデオ・オン・デマンドを完備している。宿泊者専用ラウンジでは、宿泊料金のみで利用できる朝食サービスや、コーヒー・ソフトドリンクなどを無料で提供するとしている。宿泊予約は11月1日より電話にて受け付ける。

 客室完成イメージ

2015/02/27 (Fri) 旅行 Comment(0)

女巡礼一人旅! 仏像好きが行く四国八十八カ所 (2) お遍路をする理由

女巡礼一人旅! 仏像好きが行く四国八十八カ所 (2) お遍路をする理由  

 仏像を見て歩いていると、あちこちで「弘法大師 空海作」と言われる仏像や空海が建立したと言われるお寺に出会った。また、空海が杖をついて水が沸き出てきた井戸というような伝説が数多く残っているのを知った。仏像を見て歩いているうちに、そういう色々な空海の伝説に出会い、しだいに空海に興味が沸いてきた。今回は私が「私が弘法大師・空海に魅かれる理由」について話したいと思う。なぜ、空海? と思われるかもしれないが、お遍路と空海はかなり密接に関わっているのである。

空海のスーパーヒーローな生涯

 空海は、774年(宝亀5年)四国の香川県善通寺市に産まれた。幼名は、真魚(まお)。伯父さんに論語、孝経などを学ぶ。15歳で奈良に上京し、18歳で大学に入学した。しかし、大学で学ぶ儒教の教えは自分の求めるものではないとし、大学を辞めてしまう。その後、仏教の山岳修行をするようになったとされている。19歳のとき、現在の高知県室戸岬にある洞窟(御蔵洞)で修行していた際、口に明星(金星)が飛び込んできたことで、悟りを開いたと言われている。そのときに、真魚が目にしていたものは海と空だけであったので、それ以後、”空海”と名乗るようになった。

 804年、空海が31歳の年に最澄とともに遣唐使として唐に渡る。32歳で中国密教の最高峰である青龍寺の恵果阿闍梨から密教の奥義を全て伝授され、”南無大師遍照金剛”の称号が与えられた。当時の中国・日本で伝法阿闍梨位の灌頂(正当な後継者となる儀式)を受けたのは、空海一人だけ。つまり、中国人を差し置いて真言密教の正当な継承者となったわけだ。いきなり日本からやってきた留学生が跡継ぎになってしまうなんて、普通だったら考えられない。それができてしまったということが、空海は本当にすごい。当然空海は、中国語もマスターしていたらしい。天才だわ!

 33歳、20年の留学予定を2年で切り上げて日本に帰国。帰国した空海は数年間、九州太宰府に留まることとなる。そして、34歳で大阪の慎尾山施福寺に移り、36歳で京都の高雄山寺(のちの神護寺)に移る。またその当時、空海より先に帰国していた最澄が持ち帰った密教が万全なものではなかったので、空海の持ち帰ったお経を何度か借りた。何度もお経を貸していた空海だが、最澄が空海に密教において特に重要なお経を貸してと言ってきたときは、貸さなかったそうだ。完璧なスーパーヒーローでなく、そういう空海の人間臭いところもたまらないのよねぇ~。

 最澄は空海から灌頂をを受け、空海の弟子となった。そして3年間、空海の元で修行するように言われるが、最澄は天台宗の開祖であり、多忙のため3カ月で比叡山に戻ってしまう。そのかわりに、と最澄は自分の弟子を置いていくが、その弟子は後に空海の弟子になってしまう。最澄の弟子が寝返るなんて、空海はよほど魅力的な人物だったに違いない。

 そして43歳、嵯峨天皇より高野山を賜る。そこに真言宗の総本山である金剛峯寺を開いた。50歳で平安京の東寺(とうじ)を与えられ、ここを教王護国寺(きょうおうごこくじ)と名づけて密教の中心道場とした。この東寺に学校を作るなど社会事業も行った。その後も空海は僧としての活動のほか、中国で学んできた土木技術で治水工事の指揮をしたり、中国仕込みの漢方を使った医術を施したり、「弘法筆を選ばず」ということわざを生むほど達筆と言われていたり、文字習得の基本とされた「いろはうた」を作った(否定説もあるが)と言われていたりと、多くの伝説が残っている。まさに密教の後継のみならず、土木・建築・医術など幅広い分野で才能を発揮したスーパーヒーローなのだ。ああ、ステキ!

 承和2年(835年)3月21日に、空海は61歳に入定された(入定とは、生死の境を超えて永遠の禅定行にはいること)。朝廷が特に偉大であった僧に死後送る諡号(しごう)の”大師”の名が、空海が入定して約80年後に与えられた。その諡号が、”弘法大師”なのだ(ちなみに最澄は”伝教大師”)。と、こうした一連の空海の功労を知るにつれ、すっかり空海は私の中でスーパーヒーロ-となった。

 その結果、空海が歩いたと言われる四国八十八カ所を巡るのお遍路に是非行きたい! スーパーヒーローの道程を歩きたい! と思うようになったというわけだ。次回は、実際に買い揃えたお遍路グッズを紹介します。

2015/02/27 (Fri) 旅行 Comment(0)
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上原健二
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