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新しい世界遺産もう見た?
エイチ・アイ・エス(以下、HIS)は、「ゆとり」と「利便性」をコンセプトとした海外旅行プラン「旅風(たびかぜ)」シリーズの第2弾として、「旅風~オーストラリアの世界遺産~」を9日より発売する。
「旅風」シリーズは、年配の参加者を対象に「ゆとり」と「利便性」をコンセプトにした旅行商品を展開。「年齢のゆとり(55歳以上の人、または合計年齢110歳以上の夫婦)」「心のゆとり(旅行期間に誕生日を迎える)」「スケジュールのゆとり(出発90日以上前までに手配が完了)」のいずれかの「ゆとり」を満たすと、旅行代金の割引や成田空港片道宅配サービスなど「利便性」の良いサービスを受けられるという。
同企画で、オーストラリアの世界遺産を巡るコースは全25コース。オーストラリアの世界遺産として有名な「エアーズロック」や「グレートバリアリーフ」から、2007年6月28日に世界遺産登録された「オペラハウス」まで、国内にある全17カ所の世界遺産のうち12カ所を組み込んだコースを提供する。
25コースのうち最安値のコースは「シドニー5日間」で10万6,000円より販売する。また、26日間で9つの世界遺産を巡るコース「世界遺産をひとまわり ダイナミックオーストラリア感動大陸26日間」は、129万~144万円(2名1室利用時の1名料金)となっている。
ザ・ペニンシュラ香港宿泊プラン、朝食はオープン前のエルメスで
近畿日本ツーリストは25日、富裕層をターゲットにした旅行商品を販売する同社店舗「ラグゼ銀座マロニエ」から、「ザ・ペニンシュラ香港の贅沢な週末 ~ウェルネスパッケージ3日間~」を発売する。
豊かなライフスタイルに注目した「ザ・ペニンシュラ香港の贅沢な週末~ウェルネスパッケージ3日間~」
ウェルネスパッケージとは、ザ・ペニンシュラ香港が設定している「豊かなライフスタイルの価値を見出すこと」をテーマにした2泊3日のプログラム。プログラム内容は、同ホテルが提唱する食のウェルネス「ナチュラリー・ペニンシュラ」で食事をしながら栄養学を学ぶほか、オープン前のエルメス店舗で高級バッグに囲まれた朝食やエルメスアンバサダーによるスカーフアレンジ講座、スパでのトリートメントなど、贅沢で優雅な内容となっている。空港からホテルまでの送迎はロールスロイス車にて行う。
さらに参加者には、9月1日に千代田区有楽町にてオープンする「ザ・ペニンシュラ東京」で利用可能な「アフタヌーンティー」、または「飲茶ランチ」チケットをプレゼントするとしている。
出発日は9月21日、10月5日、11月2・23日、12月7・21日の全6日で、いずれも成田空港発着(ビジネスクラス利用)。料金は44万8,000円(2名1室利用時の1名料金)となる。
即位1500周年記念! 継体天皇の謎に迫る考古学探訪ツアーを発表
考古学ファンにはたまらないツアー内容だ
近畿日本ツーリストはこのほど、考古学探訪ツアー「継体(けいたい)天皇の謎に迫る。」を発売した。2007年が継体天皇即位1500周年となることを記念し、未だに詳細が謎に包まれている継体天皇の軌跡をたどるツアーとなっている。
西暦507年に越の国(北陸一帯の地域)から迎え入れ、なぜか即位後20年間も大和入りしなかったと言われている継体天皇。現在でも専門家の間では天皇出自や在位中の出来事などについて諸説が飛び交っており、謎が多いままだ。
同ツアーでは、ツアーの企画指導・監修を行った九州大学名誉教授の西谷正氏が同行。継体天皇藍野陵や今城塚古墳など10以上の史跡を巡り、継体天皇について解説する。ツアーでは同氏による講演会も設けているので、専門家の話をじっくり聞いて学べる最良の機会だと言えるだろう。
また、同社広報担当は「これだけ継体天皇に関わる史跡を巡るツアーはなかなかありません。ぜひ、考古学・古代史に興味ある方におすすめしたいツアーです」と語る。
出発日は9月23日のみで、3泊4日の日程(大阪伊丹空港発)としている。芦原温泉(福井県)では清風荘(2日目)に、その他では大津(滋賀県)の瀬田アーバンホテル(1日目)や奈良のホテルフジタ奈良(3日目)に宿泊する予定となっている。旅行代金は7万8,000円(大津・奈良2名1室、芦原温泉4~5名1室利用時の1名料金)。
通常より5時間早い! 成都チャーター便で行く九寨溝ツアーが発売
ANAセールスは、9月より関西空港 – 成都(中国)間を運航するANAチャーター便を利用した海外旅行企画「ANAハローツアー 九寨溝」を発売することを発表した。直行便を利用することで、同社の通常ツアーと比較して5時間ほど移動時間の短縮し、ゆとりのある観光日程を設定したとしている。
同ツアーでは、全4コースを提供。出発日は9月17・20日とし、出発地は羽田・関西空港の2カ所を用意する。コースは以下の通り(料金はエコノミークラス利用、2名1室利用時の1名料金)。「ANAハローツアー 九寨溝」コース(羽田空港発)
成都・パンダ・九寨溝・黄龍5日間24万8,000円~25万8,000円 成都・パンダ5日間19万8,000円~20万8,000円 四川省3つの世界遺産を巡る5日間23万8,000円~24万8,000円 成都・麗江5日間23万8,000円~24万8,000円
「成都・パンダ・九寨溝・黄龍5日間」コースでは、世界遺産である九寨溝、黄龍や、パンダ繁殖基地など人気観光地を訪れる。そのほか、「成都・パンダ5日間」では、パンダをじっくり見物することを目的としており、成都のパンダ繁殖基地と臥龍にあるパンダ研究所を巡り、パンダとの記念撮影が行えるとしている。全コースの特徴として、添乗員が同行するほか、四川省の伝統舞踊である「川劇」などを観賞して食事を楽しむことができる。
「ANAハローツアー九寨溝」パンフレット
また同ツアーでは、キヤノンマーケティングとのコラボレーションによる「ENJOY PHOTO」キャンペーンを実施。現地にキヤノン製のコンパクトプリンター「SELPHY ES1」を設置し、参加者がデジタルカメラで撮影したものをその日のうちにプリントアウトできるサービスを実施するとしている。
東京から一時間の田舎暮らし! 「湘南番外地スローライフ」 (15) 日本初の海水浴場といわれる大磯ビーチについて知る
大磯ビーチは何と122年の歴史を誇る
関東地方もそろそろ梅雨明け、いよいよ本格的な海水浴シーズンがやってこようとしている今日この頃。我が二宮町にも海水浴場はあるが、残念ながら遠浅ではないので、電車に乗って、わざわざ泳ぎに来るようなレジャー客は少ない。かつて、どこかの情報誌に「地元度99%の超隠れ家ビーチ」なんて書かれたこともあるが、いくらなんでも隠れすぎだ。
そんなわけで、湘南番外地で泳ぎたいという人には、隣の大磯町にある海水浴場を薦めている。子供連れでも気軽に水遊びが楽しめる遠浅で、シャワーや更衣室などの設備の整った海の家もずらり。東京からはるばる日帰りで遊びに来る若者や家族連れも多く、こちらは地元度50%くらいだろうか。
大磯海水浴場の沖合からの眺め。西湘バイパスの向こうに湘南平や鉄塔が見える
この賑やかなビーチ、一般に大磯海水浴場という名で知られているが、地元ではもともとの海岸名から北浜とも呼ばれている。すぐ西隣にある大磯港を挟んで、照ヶ崎というもうひとつの海岸があり、大磯という町名はここから生まれたのかと思わせるような磯が広がっている。
ご存知の方が多いのか少ないのかわからないが、大磯海水浴場は日本で最初の海水浴場といわれている。陸軍の初代軍医総監を務めた松本順によって、大磯に海水浴場がオープンしたのは明治18年(1885年)のこと。その当時はまだ大磯港も存在していなかったため、北浜海岸と照ヶ崎海岸は繋がってひとつの海岸線を成していたわけだが、松本が海水浴場に選んだのは、北浜ではなく照ヶ崎の方だった。つまり厳密に言えば、現在の大磯海水浴場ではなく、照ヶ崎海岸こそが、日本初の海水浴場ということになる。
空いていて磯遊びもできるので、照ヶ崎にしか行かない地元ファン多数
ひとりの男の夢が結実した海
さて、この国内初といわれる海水浴場の誕生には、実は嘉永6年(1853年)にやってきたペリー提督率いる黒船艦隊が関係している。
黒船の来航に驚いた江戸幕府がすぐさま友好国オランダに蒸気船を発注したことをきっかけに、オランダから長崎へ海軍伝習隊がやってきた。そのメンバーの中に医師がいることを知った松本順は、長崎へ足を運び、その医師から西洋の最新医学を学んだ。
そのときに読んだ医学本がきっかけで、松本は健康を増進し、体力を向上させるという海水浴の効能を知った。ぜひ自分の国でも海水浴による健康づくりを行ってみたい……そう思った松本は、軍医総監を退官した明治12年(1879年)から、海水浴に適した海辺を探して全国を旅した。
そして5年後、ようやく出合ったのが、大磯の照ヶ崎だった。地元の人々に海水浴の効能を説明し、説得し、明治18年(1885年)に海水浴場を開いた。松本の考える理想的な海水浴場とは、海水や空気がきれいなだけではなく、波が大きいことも重要な条件だったという。荒くて力強い波が続々と体に当たるような海ほど、健康増進効果がアップする、という考え方なのだろう。
ちなみに当時は、あくまでも海水”浴”であり、泳いだり水遊びをしたりするのではなく、体力や体調に合わせて1日に数回、各10~20分ほど海中で塩水に浸かるのが目的だった。明治時代の海水浴風景を描いた絵を見ると、海中に何本も棒が立てられ、海水浴客たちはその棒にしがみついている。楽しそうな表情をしている人は見当たらず、どちらかといえば苦行か修行のようでもある。
そんな海水浴の人気に火がついたのは、2年後の明治20年(1887年)。大磯海水浴場に洋風の大型旅館「梼龍館」が開業すると、松本は知り合いの歌舞伎役者や新聞記者など約300人を招待した。また大磯海水浴場の良さについて説いた海水浴のハウツー本を出版し、宣伝を行った。同じ年に延伸開業した東海道線の旧横浜駅~国府津駅間に大磯駅が設けられたのも、松本の尽力があったからこそ、と言われている。そのおかげで、海水浴客の数は爆発的に増加し、大磯の名は全国に知れ渡った。
興味深い情報ぎっしりの資料館へ
以上のような日本最古と言われている海水浴場にまつわる数々の事実を、ぼくは大磯町郷土資料館で、改めてじっくりと学んできた。県立大磯城山公園の敷地内にあるこの資料館は、今までにも何度か足を運んでいる。今回訪れたのは、海水浴場関連の資料がたくさん展示されていたことを思い出したからだった。
旧三井財閥別荘跡地に広がる県立大磯城山公園の大磯郷土資料館
大磯で歌舞伎役者たちが海水浴をする場面を描いた浮世絵風の絵画。イタゴと呼ばれるボディボードの元祖のような波乗り用の板。茶屋(現在の海の家)の名前が入った布で覆われたコルク製の浮き輪。各茶屋が雇っていたジイヤ(客の安全に気を配ったり雑用をこなしたりする役割の人)や、横縞模様の洋服のような水着を着た女性の写真。などなど、いかにも大磯らしい品々が並ぶ常設展示室は、潮の香りがいっぱいだ。
そして運良く、というか、このコラムで大磯海水浴場を紹介する気配が伝わったのかと思ってしまうほど驚いたのだが、何と企画展示室では、松本が明治40年(1907年)にこの地で亡くなってからちょうど100年を迎えることにちなんで、企画展「大磯の蘭疇 – 松本順と大磯海水浴場」を開催していた。
松本が幕末から明治にかけて、いかに重要な役割を果たしたのか。大磯に来てから、海水浴場づくりに情熱を注いだのか。企画展を見ていくと、希少な資料の数々が、それこそ照ヶ崎の打ち寄せる波のごとく、次々と語りかけてくる。明治から昭和にかけて大磯という町が栄えたのも、政財界人や文化人の別荘が数多く集まったのも、すべて海水浴場があったからこそ、ということもよくわかった。
企画展「大磯の蘭疇 – 松本順と大磯海水浴場」は9月2日まで開催
歌舞伎役者招待の絵は、團十郎、菊之助などそれぞれの名前入り
大磯では毎年7月上旬(2007年は7月1日)に、海開きの式典が行われている。場所は、北浜の海水浴場。海水浴の安全や晴天を祈った後で、御輿が浜から海中まで練り歩くのだが、この式典の前に参列者たちは、照ヶ崎へ行って、「松本先生謝恩碑」に黙祷を捧げるのが、昔からの習わしだ。この町の人々の心に、今も恩人は生きつづけている。
照ヶ崎に立つ「松本先生謝恩碑」。下にあるのは「海水浴場発祥の地」記念碑