仕事で役立つ人気ビジネスアプリおすすめ!
[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
いま欲しいライターは、得意分野のセグメントができる人:20万人の支持を集める「別視点」コンテンツの作り方(3)
伝説のスラム街「九龍城」(クーロン城)をモチーフに作られた川崎のゲームセンター『電脳九龍城』。とにかく再現度のレベルが高くて、細部にまで徹底したこだわりが感じられます。ビル自体も錆加工している徹底ぶり。
立ち上げから3年半にして、今や月間約70万PV、UU約20万人を誇る人気ブログメディアに成長した「東京別視点ガイド」。日本中に点在するユニークな珍スポットを紹介するコンテンツとして、マニアのみならず、幅広い層から支持を集めています。「東京別視点ガイド」の切り口は、ガイド本などには載っていない”珍スポ”(一風変わったスポット)。
同サイトを単独で運営しているのが、編集長の松澤茂信さんです。これまで、お蔵入りした店も含めると通算800店を自ら取材。そんな「東京別視点ガイド」をベースに新たな珍スポを取材・撮影した本『死ぬまでに東京でやりたい50のこと』(青月社)も出版しました。
珍スポという”別視点”を武器にするコンテンツの作り方について、松澤さんに3回にわたってお話を伺っています。第1回はサイトをはじめる経緯、第2回は取材してきたスポットとそのルーツについて、そして今回は「東京別視点ガイド」の今後のビジョンについて。しっかりしたコンセプトを確立し、成熟期を迎えたブログメディア「東京別視点ガイド」。新しく広がりを見せるビジネス展開についてお話いただきました。
── 今後、東京別視点ガイドとして取り組みたいビジョンはありますか?
松澤:今年は海外に出ようと思っています。5月ぐらいから半年がかりで、台湾、中国、ベトナムなど、マレー半島や東南アジアから入って、インドに渡り、「海外版別視点ガイド」をつくろうと思っています。
── ほぼアジアを網羅する感じですね。なぜ海外進出しようと思ったんですか?
松澤:日本一周して思ったんですけど、日本の珍スポットの独特な「偏り値」みたいなものが何となく見えてきたんです。世界に出たら、もっと振り幅が広いスポットがあるだろうなと思ったことが大きいですね。やはり、変わったところを突き詰めていくと、どうしても世界に出ないと嘘になるなと思ったんです。それもあって、ついに海外に出てみようと決意しました。
今後は海外へ進出して、旅行代理店もつくる(かもしれない)東京別視点ガイド 編集長 松澤茂信さん
── 東南アジア以外の海外進出については?
松澤:今年は東南アジアですけど、来年は別のエリアというふうに、毎年どこか海外取材をしていけたらと考えています。…
女子教育が遅れた日本で、「名門女子校」が生まれた理由
■女子校にミッション系が多い理由
戦前、女子は正式な「大学」に通えなかった。戦前から存在し現在に続く女子大学、津田塾や日本女子大や東京女子大などは、戦後になるまで正式には大学とは認められていなかったのだ。また、明治になって全国に急ピッチで学校が整備されてきたときも、男子のための中学校設立が優先され、女子のための中等教育機関は後回しにされた。
女子のための教育の整備に消極的な明治政府に対し、日本における女子教育の先鞭を付けたのがキリスト教各派の宣教師たちだった。いわゆるミッション系の学校が、明治の初期から設立されはじめた。現在でも女子校にミッション系が多いのはそのためだ。
1868年、アメリカ人宣教師の妻が築地の居留地内につくった英語塾が女子学院の始まり。横浜のフェリスも1870年にアメリカ人女性宣教師によって開かれた私塾「ミス・キダーの学校」がその祖。1871年には横浜共立の前身である「アメリカン・ミッション・ホーム」が設立されている。神戸女学院は1873年にできた私塾がそのルーツ。外国人が多い港町で、日本の女子校文化は産声を上げたのだ。
しかし富国強兵政策を支える良妻賢母の育成を求め、キリスト教教育を認めない国と、ミッション系の学校との間には常に軋轢があった。
1899年に高等女学校令が発布され、私立でも申請をすれば正式に高等女学校として認められる制度が整うが、たとえば女子学院は各種学校のままであり続けた。国による制約を受けずに独自の教育を行うことを選んだのだ。
ただしそれでは高等教育機関への入学資格が得られない。そこで女子学院は、5年間の「本科」の上に「高等科」を設置し、独自に高等教育を行ったのである。その高等科が母体となって、東京女子大学が設立された経緯がある。
神戸女学院は、1899年の高等女学校令公布に際して、国の定める高等女学校としての認可を正式に受けた。しかしその結果、キリスト教主義でありながら、式日には教育勅語を読まなければいけなくなった。キリスト教教育をやめるようにと、圧力もかかった。
そこで当時の院長は、「学院は政府から何も特典を与えられようとは思わないから、学院の宗教教育についても政府の干渉を何も受けたくない」とする書状を本国アメリカの伝道会に送った。伝道会もそれを認めた。
1903年に専門学校令が公布されると、1909年神戸女学院はその高等教育部門に当たる「高等科」を「専門部」として、専門学校としての認可を受けた。…
<G20>閉幕…アジア投資銀が陰の主役 米は守勢
日米欧と新興国の主要20カ国・地域(G20)の財務相・中央銀行総裁会議は17日、2日間の日程を終えて閉幕した。中国が設立を主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)は正式議題ではなかったが、会議期間中、歓迎する声が新興国だけでなく、英国などからも上がった。米国に対しては「新興国への配慮が乏しい」などの批判が目立ち、経済成長を背景に影響力を増す中国と、守勢に回る米国の構図が鮮明になった。AIIB参加に慎重で米国と歩調を合わせる日本も難しい立場に追い込まれている。
「国際通貨基金(IMF)が世界経済の安定を推進する第一の国際金融機関であることは変わらない」。ルー米財務長官はG20閉幕後に出した声明で、AIIBに対する強い対抗意識を示した。麻生太郎財務相も記者会見で「AIIBがノウハウを持っているとは言い難い」と、融資能力に疑問を表明。しかし、そうした意見は少数派だった。
G20直前の15日に中国が発表したAIIBの創設メンバーは57カ国にのぼり、G20では英国など14カ国が名を連ねた。英国のオズボーン財務相は「新興勢力を取り込んでいく英国の良き伝統の表れだ」と胸を張った。アジアやアフリカの新興国や途上国もワシントンに乗り込み、AIIBを歓迎する声明を発表。IMFのラガルド専務理事も「協力が期待できる国際金融機関だ」と述べた。
中国の朱光耀財政次官は「AIIBは(IMFなど既存機関の)補完的な役割を果たす」と現地での講演で語り、世界銀行など米国主導の国際金融体制に挑戦する意図はないことを強調。G20の共同声明はAIIBには直接触れず、17日の議論でも中国などが簡潔に触れただけだった。それでも中国の当局者らには余裕すら漂っていた。
逆に、強い批判を受けたのは、米国が原因で宙に浮いたままのIMF改革。IMFの運営方針を決める投票権は、各国の出資比率に応じて割り当てられる。中国などの経済成長に伴い、新興国の出資比率を引き上げる改革案が2010年にIMFで承認されたものの、事実上の拒否権を持つ米議会の反対で頓挫したままだ。共同声明では「引き続き深い失望」と明記され、中国人民銀行(中央銀行)の周小川総裁は「加盟国は挫折感を味わっている」と米国の対応を批判した。
声明はIMF改革を「最優先課題」と明記し、新興国の発言権を暫定的に引き上げる「つなぎの解決策」を求めた。しかし、「有効な代替策は見当たらない」(財務省幹部)のが現状。…
天空の古代遺跡「シーギリヤ」がすごい–ドローンが撮影
スリランカ中部。まるで天空にあるかのような古代宮殿の遺跡「シーギリヤ」。その姿をはるか高みからドローン(無人機)がとらえた動画が話題。ただ撮影したのは政府や研究機関ではなく、日本の旅行会社エイチ・アイ・エス(H.I.S.)だ。
H.I.S. は以前から旅情を掻き立てようと、各国の名所旧跡を撮影し、Facebook や LINE、Twitter で発信してきた。最近は新しくドローンを飛ばすという試みも始めており、今回の撮影もその一環。
■シーギリヤの天空宮殿
シーギリヤは「獅子の岩」という意味で、スリランカ中部に立つ巨大な岩山とその上にあった宮殿にして要塞を指す。5世紀に当時の王カッサバ1世が、城とそれを取り囲む水路、庭園、貯蔵施設などを造営したという。周囲は切り立った崖になっており、高さは 200m 近く。まるで天空に浮かんでいるかのようなこの遺跡からは、当時の建築と土木工学の水準の高さがうかがえる。
だが当時、魔法のような宮殿に長く人は住まなかったという。王は自らの一族と争って命を失ったという悲劇の物語も伝わっている。
ちなみに岩山の中腹には「シーギリヤの貴婦人」と呼ばれるフレスコ画の美女達が描かれており、現在も妖艶な微笑を浮かべながら訪れる客を迎えるそう。スリランカにある唯一の非宗教的な壁画とも言われる。なお、H.I.S. は動画の人気にあやかり、スリランカを訪れてシーギリヤに登頂できる特別ツアーも企画している。
■チャンド・バオリの階段井戸
また、H.I.S. はほかにも、インド西部にある「チャンド・バオリの階段井戸」などを撮影している。このあたりは砂漠気候の土地で、先人が雨季に多くの天水を集められるよう巨大な構造物を作り上げた。
深さ約 30m。インドにある同種の階段井戸の中でも有数の規模で、底は地上より5~6度涼しいという。規則ただしく配置した13階層、3,500段にも及ぶ階段が織りなす幾何学模様が目を奪う。
2006年の映画「落下の王国」がロケ地として使い、知る人が増えた。もちろん H.I.S. はこのチャンド・バオリのほかインドの世界遺産を観光するツアーもちゃっかり用意している。
果たして、次はどんな遺跡を撮影してくれるのか、ちょっと楽しみな取り組みである。
ブランド初、シェリー樽熟成原酒だけのナチュラルなモルト、ザ・グレンリベットから
英国本国では昨年発売されて好評な「ザ・グレンリベット ナデューラ オロロソ」が6月1日から日本国内販売を開始する。これは「ザ・グレンリベット」として久しぶりの新製品で限定ボトルではない。これまで販売してきた「ザ・グレンリベット ナデューラ16年」は販売終了となり、この新製品に切り替わることとなる。
“ナデューラ”とはゲール語で“ナチュラル”を意味する。これまでの「ザ・グレンリベット ナデューラ16年」は、16年の長期熟成樽を厳選してカスクストレングス(樽出しのままのアルコール度数)で冷却濾過を施さず(ノンチル・フィルタード)にボトリングしていた。
今回の新製品は、スペイン・ヘレス地方のオロロソ・シェリー樽のファーストフィル(初回使用)だけを使って熟成した原酒をボトリングした製品。「ザ・グレンリベット」がオロロソ・シェリー樽熟成原酒だけをボトリングした製品ラインアップとしたのは長い歴史のなかで初めてのことだ。
特別な少量生産レシピ(スモールバッチ)で調合し、カスクストレングス、ノンチル・フィルタードという古典的な製法から生まれた香りは、熟成樽由来のドライフルーツのようなリッチなフレーバーを漂わせる。口にすると60.7%というカスクストレングスがもたらすキックのあとに、スムーズでフルーティな味わいの中にダークチョコレートの甘さが口腔にひろがる。加水すると、この甘さが一気に花開き長いアフターノートとなる。
ザ・グレンリベットは伝統的でありながら、つねに革新に満ちた施策を行ってきた蒸溜所だ。1824年に政府公認蒸溜所第一号として創立した歴史あるモルトウイスキーだが、1934年にはシングルモルトウイスキーとして初めてアメリカに輸出を開始した。当初、その数は僅か(100ケース/年)だったが30年代のうちに9倍に増えたという。そして、アメリカでの急成長のなかで新しい需要を喚起した。アメリカ大陸を横断するプルマン型寝台鉄道の食堂車用としてザ・グレンリベットの2オンス・ミニチュアボトルを生産したのだ。そして、この鉄道の一等車に乗って国中を移動するエリート・ビジネスマンにザ・グレンリベットが認知された。ちなみに、このミニチュアボトルは、シングルモルト・スコッチとして世界初のボトルである。
同蒸溜所のこうした革新的な挑戦のなかから生まれたのが、今回の「ザ・グレンリベット ナデューラ オロロソ」といえそうだ。…