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堺に酒蔵 夢実る

 堺に酒蔵 夢実る

 ◇純米吟醸「千利休」発売 大病克服の男性ら尽力

  かつて酒造りが盛んだった堺市に、44年ぶりに酒蔵が復活し、堺出身の茶聖にちなんだ「千利休」の銘柄で販売が始まった。長年酒造りに携わっていた西條裕三さん(72)らが、「堺の地酒を再び世に出したい」と奔走し、周囲の後押しを受けて夢を実現させた。(山崎茂)

  昨年12月に設立された「堺泉酒造」(堺市堺区)。老舗料亭跡を借りて、1階の約150平方メートルに発酵タンクや冷蔵庫を整備。最高級の兵庫県産の酒米・山田錦を原料に、今年1月から仕込みを始め、2月中旬、まろやかな口当たりとふくよかな香りの純米吟醸酒「千利休」が仕上がった。

  同社によると、堺での酒造りの歴史は室町時代にさかのぼるという。江戸期には全国有数の酒所とされたが、明治初めに95軒あった酒蔵は、昭和初期には24軒まで減少。その後も移転、廃業が進み、1971年に最後の1軒が閉め、酒造りの伝統は途絶えたままだった。

  西條さんは、河内長野市の老舗酒蔵で社長を務めていたが、2002年1月、脳梗塞で倒れ、経営から身を引いた。

  家族の献身的な介護を受け、懸命にリハビリに励んだ。小学時代に過ごした縁のある堺の友人たちから「堺の地で酒蔵を」と求められ、再び酒造りを決意。全国各地を回り、資金提供や賛同者を募った。

  昨年4月、大学の後輩で、酒所「灘五郷」で知られる神戸の酒蔵で杜氏(とうじ)をしていた泉勇之介さん(71)と出会い、意気投合。経営コンサルタントを交えた3人で協力し、堺での醸造場所を探し、準備を進めてきた。

  今夏には、併設する料亭の部屋を利用して飲食スペースも設ける予定。初年度は4000本(1・8リットル換算)以上の出荷を目指している。

  13、14両日にあった酒蔵開きには竹山修身・堺市長も訪れ、「市民に愛される酒蔵になってほしい」とあいさつ。関係者らが祝杯をあげた。西條さんは「44年分の思いがこもった酒で、堺で新しい歴史を刻んでいきたい」と話している。

  純米吟醸酒「千利休」は1・8リットルが4500円、720ミリ・リットルは2300円(いずれも税別)。ラベルは書家の荻野丹雪氏が揮毫(きごう)した。にごり酒(720ミリ・リットル、税込み2600円)も手がけている。

  問い合わせは堺泉酒造(072・222・0707)へ。

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防災炊き出し「千人鍋」

 防災炊き出し「千人鍋」

 ◇山崎高が姫路工業高に製作依頼

  山崎断層帯の近くにあり、地域と一体で防災活動に取り組む県立山崎高校(宍粟市)が炊き出しで使う大鍋「千人鍋」と専用のかまどが完成した。溶接科を持つ県立姫路工業高校(姫路市)に製作を依頼していた。今後、防災体験活動のほか、地元中学校とのスポーツ交流などで活用することにしている。(田村創)

  • 完成した千人鍋を囲む山崎高校の生徒ら(姫路工業高で)
  •   姫路工高では、10年以上前に溶接科の教諭が作った千人鍋を野球部が今も使用しており、冬の練習の際、豚汁や寄せ鍋を作るなどしているという。かつて同校で野球部のコーチをしていた山崎高野球部の上杉祝久監督が「防災訓練用に同じ鍋を作ってもらおう」と提案し、同校が依頼したところ、姫路工高が快諾した。

      できあがった千人鍋は、鉄製で直径約90センチ、深さ約50センチ、厚さ0・6センチ。かまどは煙突を含め高さ2・5メートルで、移動しやすいように台車に乗せた。同校溶接科の吉盛慎吾実習助手が今年に入り、授業の合間に約1か月半かけて作った。費用は材料費のみで、山崎高校の同窓会が負担した。

      同校は毎年12月、防災体験活動を実施。昨年は全校生徒約760人とPTA、地元自治会の計約60人が参加し、炊き出しや体育館での避難所づくり、心肺蘇生法講習を行っている。森林環境科学科では、防災学習の一環で木で簡易ベッドの枠組みを作るほか、炊き出しに使う薪を校内に常備している。

      姫路工高には10日、山崎高の西川茂樹校長と上杉監督らが軽トラックで受け取りに訪れた。野球部の4人は鍋の大きさに絶句。数人ががりでトラックの荷台に積み上げた。主将の春名輝(ひかる)君(17)(2年)は「暖も取れ、鍋も味わえ、助かります」と話し、西川校長は「立派な物を作っていただき、感謝している。防災活動で有効に活用したい」と顔をほころばせていた。

<東日本大震災4年>2記者ルポ

 <東日本大震災4年>2記者ルポ

 東日本大震災の発生から4年を迎えた11日、県内でも犠牲者の冥福や復興を願う行事が各地で催された。しかし、日常生活の中では、遠くの被災地を思う時間も、実際に東北を訪れる人も少なくなっている。震災を風化させないために、記者2人が被災地を取材した。

      

  ◇校庭に放射性廃棄物 福島・富岡

  • 校庭には除染作業で出た放射性廃棄物の袋が大量に集められていた(富岡町立富岡第二小学校で)
  •   福島空港からレンタカーで約2時間、福島県富岡町に入った。11日も、東京電力福島第一原発の事故による放射線の除染作業が続けられていた。

      町の住宅街では、ヘルメットに防護マスク、手袋をした除染の作業員が目立った。児童がいない町立富岡第二小学校の校庭には、作業で出た放射性廃棄物の黒い袋が集められていた。人々が津波の犠牲者を悼んで手を合わせる慰霊碑の向こうに放射性廃棄物の処理施設がある。

      「こんな惨状を見ると複雑な気分になる」。処理施設を眺めながら、男性(58)がつぶやいた。

      男性は同県双葉町で生まれた。富岡町では原発の作業員として20年近く働き、震災が起きたときも第二原発(楢葉、富岡町)にいた。その後、同県いわき市に避難し、1年半前に体を壊して原発関連の仕事を辞めた。「町の風景を一変させた原発で、俺自身も働いていた。被害者とは言い切れないんだよなあ」。男性は町に戻る気はないという。

      JR富岡駅前で出会った原田綾子さん(34)は近くの慰霊碑に花を手向け、手を合わせた。久しぶりに町を訪ねたこの日は、桜の名所で知られる「夜の森」などに足を運んだという。「古里巡りの最後は、ここに来たかった。いろんな思いが詰まった場所だから」

      この町で育ち、悲しいことや悔しいことがあると駅の向こうの海を眺めた。今は避難先の同県三春町で夫と中学1年の長女、小学2年の長男と暮らしている。

      遠くの防災無線から「町内の立ち入りは、午後3時までです。必ず退出してください」と、アナウンスが断続的に響いた。原田さんは慰霊碑の前で、「正午にね、無線から町歌が流れてた。それだけは昔と変わらない。なんだか涙が出た」。

      富岡町は17年3月までに除染を終え、避難指示の解除を目指す。復興庁が町の3979世帯に実施したアンケートでは、49・4%が「戻らない」と決めており、「戻りたい」は11・9%。震災前に1万5830人いた町民のうち1747人が住民票をほかへ移した。ただ、「戻りたい」と答えなかった人のなかでも、半数以上は「町とのつながりを保ちたい」と希望している。

      「たとえ帰れなくても、いつまでもここは私の古里」。別れ際の原田さんの言葉が胸に残った。(坂木二郎)

         

      ◇新生活始められない 宮城・石巻

    • 約8メートル高く造成された土地に建てられた白い屋根のJR女川駅(宮城県女川町で)

        10日早朝に奈良市を出て、午後2時半過ぎに宮城県石巻市に到着した。真っ先にJR石巻駅近くの仮設商店街で谷地田(やちた)けい子さん(64)が営むパン屋さんを訪れた。

        震災前の店は津波で流されてきた漁船に壊され、2011年12月、同市が設けた仮設商店街で営業を再開した。昨年3月の取材でも、記者は谷地田さんにお世話になっていた。「よぐ来たねぇ」と1年ぶりの再会を喜んでくれたが、商店街の今後の話題になると急に表情が厳しくなった。

        市などの方針では、仮設商店街は12月に閉まる。もともと被災した商店主らの早期の事業再開と、駅近辺の活性化が目的で、店の賃料は免除されていた。

        以前の店があった場所には、再び津波に襲われるという怖さがある。周辺に新しく店が入れるような高い建物もなく、パンを買ってくれるような住民も戻っていない。

        一方、市は津波の心配が少ない内陸部に災害公営住宅を建設するなど、新市街地の整備を進めている。谷地田さんにも、内陸部に新しい店を構えるという選択肢はある。「公営住宅に本当に人が住むようになるのか。もう少し考えてからでないと新たなスタートは切れない」。仮設商店街の店の経営者たちは今、同様の悩みを抱えているという。

        女川町では、1年前にはなかった白い屋根の建物を見つけた。元の場所から約200メートル内陸に移動し、土地を約8メートルかさ上げして建設されたJR女川駅。震災で不通となっていたJR石巻線の浦宿―女川駅間も21日に再開予定で、同線は完全に復旧する。

        仮設住宅に住む60歳代の男性が駅を見つめ、「以前の景色が変わってしまったのは寂しいが、駅は復興が前に進んでいるシンボルでもある」と笑った。「多くの人が古里を去った。にぎわいが戻るきっかけになれば」と期待している。

        11日は、薬師寺(奈良市)の山田法胤(ほういん)管主が、児童と教職員計84人が死亡・行方不明になった石巻市立大川小で読経を行った。山田管主は線香を供え、祈りをささげる地元の人たちにふれ、「人の心の傷を癒やすのは簡単ではない。被災地で活動を続けることの大切さ、被災地以外の人に現状を知らせることの意義を改めて感じた」と語った。(有留貴博)

コンサ、ホーム開幕戦完敗

 コンサ、ホーム開幕戦完敗

 サッカーJ2・コンサドーレ札幌は15日、札幌ドームで今季のホーム開幕戦に臨み、昨季14位のV・ファーレン長崎に0―1で敗れて通算1勝1敗となった。

  札幌は前半、こぼれ球を相手MFに押し込まれ、先制を許した。1点を追う後半、FW宮沢裕樹選手(25)が2枚目の警告を受けて退場し、防戦一方の展開となった。

  ボランチで先発出場し、この日ホームでのデビューを果たした今季新加入のMF稲本潤一選手(35)は、試合開始からほとんど攻撃に絡めないまま後半はベンチに下がり、サポーターの期待に応えることはできなかった。バルバリッチ監督(53)は「前半から相手に主導権を握られ、最終ラインを押し下げられた。守備が機能せず、攻撃のリズムを作れなかった。次戦に向け、改善していきたい」と話した。

ドンドン食べたい 列作る

 ドンドン食べたい 列作る

 

  • 丼を食べ比べる人たち(福井市中央の駅前電車通りで)
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      ◇第1回ワール丼カップ 福井

      県内外の21種の丼料理を集めた「第1回ワール丼カップ」が15日も福井市中央の駅前電車通りで開かれ、家族連れらがお目当ての丼を求めて行列を作った。

      北陸新幹線金沢開業の14日から2日間にわたって開催。ご当地料理のソースカツ丼や、カニや甘エビをふんだんに盛り付けた海鮮丼など県内の9店と、能登牛のローストビーフ丼(石川)、わら焼きのカツオたたき丼(高知)など9都府県の12店の計21店が一杯400~1300円で提供した。

      何種類も食べ比べる人も見られ、友人3人と訪れた県立高志高1年岩口将也さん(16)は、黒豚を使った丼(鹿児島)に「肉がやわらかくてタレも甘くておいしい」と満足そうだった。

      丼を食べに出かけて観光も楽しむ「丼ツーリズム」を全国にPRしている「福丼県プロジェクト」実行委が初めて企画した。

HN:
上原健二
性別:
非公開
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