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出張中に行ける勝手気ままな私的世界遺産の旅 (26) 中国の古い村落「安徽省・宏村」から環境問題を考える(後編)

出張中に行ける勝手気ままな私的世界遺産の旅 (26) 中国の古い村落「安徽省・宏村」から環境問題を考える(後編) 

 安徽省の山あいの道を走り、ちょっと開けた平野に見えてくるのが、水に囲まれた静かな村、世界遺産に指定されている宏村である。僕は、黄山観光の帰りに立ち寄ったのだが、黄山市からでも車で小一時間で行くことができる。

 宏村の中に車は入れない。村の入り口で車を止めて、橋を渡って入村する

 宏村の入り口の橋を渡ったら、まずは橋の右側にある建物で、入村許可書を発行してもらう。ガイドさんにパスポートと50元(800円程度)の代金を預けて、待つこと5分ほど。無事に入村許可がとれたので、宏村の中に入っていくことになった。

 宏村は、観光向けに公開されているとはいえ、今も多くの人が実際に暮らしている村である。だから、中国の田舎の生活の一端に触れることができる。上海や北京からここにやってくると、ギャップに驚いてしまう。最近は、日本でも格差社会という言葉がよく使われるが、大国中国の格差は、やはり桁が違う。少々複雑な気分を感じながらも、迷路のように入り組んだ宏村の散策を開始する。

 まるで迷路のように小さな路地が入り組んだ構造の宏村。ガイドさんとともに歩いていたのだが、ちょっと立ち止まっていると道に迷いそうになる

 宏村は、観光向きに多少整備されていて、土産物店を営む家が多い。それでも、ちょっと路地に入ると、こんな感じで生活感が漂う

 こうした光景を見ていると、宏村は貧しい村だと感じるかもしれない。たしかに、現在の安徽省は経済発展著しい中国にあって、裕福な土地とはいえない。宏村も例に漏れず、いまだ経済発展の恩恵をあまり受けていない地域といえる。だが、この宏村は、かつて宋、明代と非常に裕福な村として知られていたそうだ。

 中世の中国は、黄河、揚子江を中心とする大河川と、それを結ぶ運河が発達していた。この宏村は、そんな水上交通の要所にある村であり、塩の売買などで蓄えた富を元に、数多くの豪商を生んだ。宏村では、その富の象徴として伝統工芸が発達した。そのため、よくよく宏村の建物を見ると、芸術的な細工がいたるところに施されており、かつての栄華を見てとることができる。

 一見、殺風景な宏村だが、建物の中は細工が施され、非常に華やか。明かりとりの天窓があるのが、この村の建物の特徴の1つ

 よく見ると、複雑で芸術的な手彫りが施されているのがわかる。この木工細工の数で、その家の裕福さを競ったという

 (上)この1つ1つが、もちろん手彫りである。今でこそ、貧困層が多く住む地域になっているが、かつては栄華を極めた地域。だからこそ、防衛も兼ねて、複雑かつ堅牢な村を築いたのだろう(右)裕福な家庭かどうかは、家の入り口を見ればわかる。門にも細かな細工が施されているのは、裕福な家の証し

 宏村の(一般公開されている)家々に施された木工細工を見ていると、さまざまな表情があり、それだけでもかなり楽しめる。加えて、木工細工やおまんじゅうを売る店などもたくさんあるので、狭いところのはずなのに、散策していて非常に楽しい。民間芸術の宝庫ともいうべき宏村は、買い物しながらぶらぶらと散策しているだけでも、2、3時間があっという間に経ってしまう。

 宏村の見取り図

 ところで、今回の冒頭で書いたテーマは、環境である。ここまで、環境問題とはまったく関係ない話を書いてしまったが、話を環境に戻そう。宏村という村は、環境保護という意味でも、非常に考えられて設計された村なのである。

 宏村は、村全体を一頭の牛の体に見立て、建物や池などが配置されている。村の西にある小高い丘が牛の首、村の入り口に立っている2本の木は牛の角、村の前後にある4つの橋は脚という構造だ。さらに、村の内部は牛の内臓に見立てられている。今回は、この内臓(!)に注目してほしい。

 村の中央部にあって山から引いた水を貯めている、半月の形をした「月沼」は、牛の胃をイメージしている。そして、村の隅々にまで張り巡らされた用水路は小腸だという。そして、用水路が集まる「南湖」は、大腸にあたる。胃から出た水は、小腸を通って、大腸へと送られるわけだ。

 牛の胃袋を見立てた「月沼」。山から引いた水はまず、この月沼に貯水される

 月沼は半円形の人口の沼。いわれてみれば、胃袋に見えなくもない

 月沼から出た水は、用水路で生活用水として利用される。この水は外部の川へ直接流さず、一度南湖にプールされる。南湖には、淡水魚や植物が飼われており、自然の浄化作用により、汚水は浄化される。こうして浄化された水が、さらに外部にある自然の川へと流されるわけだ。

 (上)生活用水として利用されているが、常に水が流れているため、「におい」などはまったくない。日本でよく見かけるドロまみれの用水路とはまったく違う(左)村中に張り巡らされた用水路。高低差を利用して、常に水が流れる仕組みになっている

 この自然を見事に利用したシステムのおかげで、村の中は非常に清潔で、かつ汚水を直接自然に流すことなく、自然の川へきれいになった水を流すことができるのだ。

 用水路で生活用水として利用された水は、村をぐるりと囲む「南湖」へと流れる。南湖は、淡水魚や植物などが育成されていて、水は自然と浄化される

 南湖に架けられた橋が、牛の脚にあたるそうだ。山奥にある田舎の村だが、風水を取り入れ、また自然の浄化作用を見事に利用するなど、非常に考えられて設計されている

 このように宏村は、自然を活かし、自然と共生する昔の中国の人たちの叡知の結晶ともいうべき村なのである。思えば、昔の日本の農村も、さまざまな工夫で、自然を壊すことなく、自然から恩恵を受けて暮らしていたはずだ。環境問題がさまざまな観点で取り上げられる昨今、先端技術を駆使して環境問題に取り組むのも大切だが、先人の知恵に学ぶべきところも多いだろう。

 白い壁と黒い屋根瓦が本当に美しい宏村。唐の李白が「桃源郷」と詠んだ田園風景がこのあたりにはまだまだたくさん残っている

 作物を天日干しにするこうした風景。昔は、僕の田舎でもよく見かけた風景なので、なんとなく懐かしい雰囲気

 きれいな水に白い壁が映る光景は、本当に素晴らしい。今から800年も前にできた村が、機能、景観の両面から完ぺきに設計されているのは驚かされる

 訪れたのは冬だったので枯れているが、夏に訪れると南湖に咲くハスの花が、きれいなのだそうだ

 世界遺産に指定されるような素晴らしい景観は、偶然生まれたものではない。宏村を見ると、つくづくそう感じる。是非とも、こうした遺産を後世にきちんと残すとともに、先人の知恵を我々の未来へと活かしたいものである。

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アメリカン航空、燃料効率約20%向上のボーイング787-9型機購入を発表

アメリカン航空、燃料効率約20%向上のボーイング787-9型機購入を発表 

 アメリカン航空はこのほど、2012年~2018年の間にボーイング787-9型機「ドリームライナー」42機を購入していく計画を発表した。また同航空では、最大58機の同機を購入する権利も有し、2015年~2020年にかけて受け取る予定となっている。

 燃料効率約20%向上のボーイング787-9型機「ドリームライナー」

 ドリームライナーの最大の特徴は、現在使われている同クラス機材と比べ、燃料効率が約20%向上している点。同航空の親会社であるAMRコーポレーションにおいて、会長であり、社長兼最高経営責任者を務めるジェラルド・アーピー氏は、「ボーイング787型機(ドリームライナー)は、燃料やメンテナンスコストの削減、環境負荷の軽減に一役を担い、長期間にわたり業界をリードする商品やサービスを提供するという私たちの目標を支えてくれるでしょう」と評価するコメントを出している。

 また、貨物搭載能力が最大45%増加しているところも注目したい。同機では、最大290名を乗せることができ、最大8500海里の連続飛行が可能だ。これは、同航空が就航するすべての路線で運行可能だということになる。

 そのほか内装にもこだわり、さらに大きくなった窓やゆとりある空間の収納スペースなど、乗客のニーズに沿った機能を搭載するとしている。

大韓航空、関空-グアム路線の直行便を12月に就航

大韓航空、関空-グアム路線の直行便を12月に就航 

 大韓航空ロゴ

 大韓航空は20日、関西国際空港-グアム路線の直行便を12月17日より就航すると発表した。2007年8月に合意した日韓航空協議において、韓国の航空会社が日本の首都圏以外の空港から米国路線への就航が認められたのを受けてのこと。

 運航便数は1日1便(片便)となり、運航日は往路が水・金・日、復路が月・木・土。フライトスケジュールは利用者が週末や休暇を無駄なく楽しめる時間帯に設定。往路は関西空港を22時台に出発し、グアムに午前2時台に到着。一方の復路はグアムを早朝の4時台に出発し、関西空港に朝6時台に到着となる。運航機はエアバスA330-300を予定している。

 なお今回の就航により、以遠権を利用した同社の旅客便は、現在運航中の成田-ロサンゼルス線(KE001/002便)とあわせて2便になるという。

 エアバスA330-300

仁川・関空・グアム路線 運航スケジュール 便名 区間 発着時刻 運航日

KE729仁川→関空19:05→20:55水・金・日KE729関空→グアム22:15→02:40(翌日)水・金・日KE730グアム→関空04:15→06:55月・木・土KE730関空→仁川09:40→11:40月・木・土

プロに学べ! 鉄道写真の撮り方 (3) 直線区間で撮る編成写真の超基本

プロに学べ! 鉄道写真の撮り方 (3) 直線区間で撮る編成写真の超基本 

 走行中の列車全体を、順光で、顔と側面がおよそ7:3になるように鮮明に撮る「編成写真」は、すべての鉄道撮影の基本になる。直線、カーブ、あおり、俯瞰などいくつかのスタイルがあり、技術も奥深いものがあるが、まずは”超基本”となる直線区間での撮影について、真島満秀写真事務所所属のフォトグラファー・助川康史さんにうかがった。

撮影地選びから撮影は始まっている

 「編成写真を撮りたい! 」と思ったら、最初に何をしたらいいのだろうか。助川さんに聞くと、ロケハンの話から始まった。「まず、撮りたい列車が通過する時間帯に順光で日の当たる区間はどこなのか考え、撮影地を絞っていきます。出かける前に、地図からの情報や方角を頼りに考えていくのです。下の写真の場合は苫小牧の近くで、日本標準時の明石からはかなり東ですから、太陽の南中時刻に20分ほどの”時差”があるということまで考えています」。太陽が南中する正しい時刻を知るために助川さんが利用しているのが「国立天文台」のモバイルサイト。全国主要地点の日の出、日の入り、日南中時などを知ることができる。

 北海道の室蘭本線を走る寝台特急カシオペア。通常は機関車の直後にロビーカーが付くが、写真は代わりに電源車が付いた珍しい姿

 カメラを構える前に、このように”考える”段階からもう撮影は始まっているといえる。それでも、実際の光の状態は行ってみなければわからないので、できれば前日に下見をするのが理想的とのこと。そして、あらかじめ決めておいた区間に到着した後は、線路沿いを移動しながら、背景に家などが入らないところを探していくのだという。しかし、仮に建物等があったとしても、列車で隠れたり、撮影時に自分がしゃがんで隠れるのであれば問題にはならないのだそう。

 こうして撮影地が決まったら、いよいよ三脚を立て、構図を決めていく。上で掲載したカシオペアの写真は、135mm(35mm判フイルムカメラ)を選んだとのこと。「7、8両を越えるような長編成が寸詰まりにならないのは、このくらいの中望遠です」。

 構図といえば、皆さんは電化路線の線路際には必ずあるポールが気になってくるのではないだろうか。これをどう処理すればいいのか聞いてみると、「列車の進行方向側に(上の写真の場合は右側)、程よい空間をつくることです。ここにポールが入ると、写真に伸びやかさがなくなってしまいます」とスラスラと答えてくれた。これはよい編成写真のお約束なのだろう。

シャッタースピードは1/500より速く

 構図が決まったら、次はシャッタースピードだ。その決め方について、助川さんは次のように語る。「列車の速度と、レンズの長さ(焦点距離)から考えます。例えば100km/hで走る列車は、1000分の1秒で約3cm進みます。自分が決めた構図の中で、列車の動きが何cm分なら”流れて見えない”かは、レンズの長さによって違ってきますよね」。流れて見えないとは、”止まって見える”ということ。速く走っているものを”止める”シャッタースピードを考える必要があると助川さんは言っているのだ。

 う~ん、なんだか難しい話になってきた。初心者でも撮りやすいよう、カメラまかせにする方法はないだろうか。助川さんは「鉄道写真は、マニュアルじゃないと」と、苦笑しながらも、「カメラに頼りたければ、”シャッタースピード優先オート”で、1/500よりも速いシャッタースピードを、コンパクトデジカメの場合は”スポーツモード”を選んで下さいね」と、ニッコリ。

 撮影地選び1つとっても時間をかけて考え、探して、また考える。しかし、撮影はほんの一瞬。今回の取材で、「それがプロの時間の使い方なのだ」と痛感したのだった。

編成写真、構図の失敗例
 筆者撮影。列車そのものはきれいに収まっているが、ポールが邪魔。列車の全容を写して満足するだけでなく、走っている列車の伸びやかさを写し込むことにもこだわりたい。

日本の「端」を巡る旅 (20) 青ヶ島(1)–伊豆諸島南端に浮かぶ絶海の孤島

日本の「端」を巡る旅 (20) 青ヶ島(1)--伊豆諸島南端に浮かぶ絶海の孤島 青ヶ島ってどこにある?

 「青ヶ島に行きたい」……小学校の頃から、ひとつのささやかな夢として抱いていた思いだった。その後、行きたいという淡い思いはずっと持ち続けつつも、どこかへ旅に出ようというときは頭の中からぽっかり抜け落ちていて、40歳の声を間近に聞くことになったこの年まで、ついぞ訪れることがなかった。そしてようやく、訪れることができた。東京の南方約360kmの海に浮かぶ、その島へ。

 青ヶ島と聞いてピンとくる人も、おそらくそれほどはいないのではないかと思う。事実、「青ヶ島に行ってきました」と知り合いや仕事関係の人たちに言っても、ほとんどは「それ、どこにあるの?」という反応を示した。

 そうした会話の多くは、北海道や沖縄ではなく、東京で交わされたものである。そして青ヶ島は、行政上、東京都に属する島である。東京都青ヶ島村。人口は2008年4月1日時点で男109、女72の合計181人。地方自治体として、日本でいちばん人口が少ないのがこの青ヶ島村である。

 ここ数十年という長い間、人口は200人の大台を超えたり割ったりの状態を続けている。こうした離島でありがちなように、この島でも高齢者が多数を占めているのかといえば、実はこれが違う。平均年齢は30代後半だというから、世代構成だけで見るならけっこう若々しい島だ。ただ、その多くは役所や建設会社などに関わる島外出身の人であるという。やはり離島事情は一筋縄にはいかない。

 青ヶ島の全景。伊豆諸島の有人島では最南端に位置している。周囲約9kmで、面積は5.98平方km。人が住む島でもっとも近いのが、70kmほど北に浮かぶ八丈島である

 地図を見てほしい。伊豆大島から南へ連なる伊豆諸島の南の端、絶海の孤島の名にふさわしいその位置に、青ヶ島はある。たしかに、”日本の端”というテーマにおいては通常扱われることがない島である。しかし、その東に、もはや日本の領土はない。

 黒潮の強烈な流れの只中に突き出た火山島であるこの島は、周りを断崖絶壁に囲まれている。その高さは、低いところでも50m前後、高いところでは200mにも達するという、文字どおりの絶壁だ。

 その断崖絶壁のゆえ、船での容易なアプローチを拒絶するかのような島の顔。これほどに”端っこ”感を漂わせている土地も、なかなかないだろう。伊豆諸島の南端などという生易しいものではなく、この島は文句なしに、日本の端のひとつである。

青ヶ島へのアクセスは船とヘリだが……

 青ヶ島訪問を具体的な計画として考え始めると、まずぶつかるのがアクセスの問題だ。青ヶ島に渡る公共交通機関は連絡船とヘリコプターの2つ。ヘリ、船ともに東京からの直行便はなく、出発基地は八丈島。ヘリが毎日1往復、船も日曜を除く毎日1往復のみとなっている。

 船とヘリ。価格優先で考えたら、まず船の利用が頭に浮かぶことだろう。実際、ヘリでは片道1万円以上かかるのに対し、船なら3,000円程度で済む(昨今の燃料高により料金変動はあるが)。

 ただし……である。八丈島と青ヶ島の間は、黒潮がハイスピードで流れる外海。波は基本的にいつでも高く、風も強く、当然のこと船は欠航が多い。よく言われる数字は「就航率6割前後」。つまり、4割程度は欠航するというわけで、欠航しようが何をしようがのんびり待っていられる身分ならともかく、ある程度短期間で行こうと思えばやはり船はチョイスしづらい。この「4割程度」という欠航率は一年間おしなべてのものであるから、冬場の数値も含まれるわけで、海が比較的穏やかな夏場であればそこまで高いわけでもないだろう。しかし、時間優先の見方をするなら所要時間も問題になる。連絡船「還住丸」は八丈島から青ヶ島まで2時間半ほどかかる。一方のヘリでは、わずかに20分。時間に制約のある旅の場合、この差も実に大きい。

 八丈島と青ヶ島を片道2時間半程度で結ぶ、伊豆諸島開発の連絡船「還住丸」。写真は集落近くから望遠で撮ったものだが……集落から海は、このようにかなり高い位置から見下ろすことになる

 ともあれそういう事情があって、船が選びにくいとあれば、必然的にヘリが最有力の選択肢となる。八丈島と青ヶ島を結ぶヘリは東邦航空という会社が運航する「東京愛らんどシャトル」で、こちらは就航率が9割程度と、嵐などでなければまあ飛ぶ確率が高い。問題は、定員が9名しかないので、島民や島で仕事をする人がよく利用することから、満席となるケースもけっこう多いということ。だから、青ヶ島へ行こうと考えるなら、日程が決まった時点で予約をしておいたほうがまあ安心だろうと思う。

 というわけで、今回の旅で僕がチョイスしたのもヘリコプター。季節はいまからだとちょっと前で、夏の初め頃の話だ。羽田発八丈島行きの朝一便で八丈島空港に到着。そのまま空港でしばし待機し、午前9時20分発のヘリに乗り込んだ。客は自分と同行者と、ほかにどう見ても仕事で行くという作業服姿の某電力会社社員。以上3名のみ。

 八丈島空港の片隅にひっそりたたずむ東京愛らんどシャトルのカウンター。東京愛らんどシャトルは八丈島 – 青ヶ島だけでなく、御蔵島、利島といった伊豆諸島の小さな離島と大島、八丈島、三宅島を結ぶルートも運航している

 滑走路上に駐機するヘリに乗り込むと、ほどなくしてふわっと離陸。僕にとってヘリは2度目だが、セスナなどの小型機ともまた違った乗り心地が新鮮である

 この日、羽田から八丈島に着くまでは薄曇の天候。それが、ヘリが出発する頃になって、パラ、パラっと落ちてきた。窓に雨が当たる中、およそ70km南方の青ヶ島に向けて、グルングルンバリバリバリという轟音を響かせながらヘリは飛んでいった。

 前述のように、八丈島 – 青ヶ島は所要時間およそ20分。八丈島を飛び立って以降、天候の問題もあり、窓からはしばらく海面しか望むことができなかった。いよいよ青ヶ島に到着するという頃合、突如として雲の向こうに青ヶ島の島影がもやっと姿を現した。最初は幻のようにも見えたその島影、すぐそばまで近づくと、思わずはっと息を呑む。

 ここはまぎれもなく、海に浮かぶ島だ。にもかかわらず、海岸には人が住める土地がいっさいない。海からまっすぐ空に向け、ヘリで飛んでいるわれわれの目の前に、壮大な断崖絶壁が屹立している。外からやってくるものを拒むような、静かな、しかし激しい顔だ。

 この日、空はもやがかっていたため、視界がよくなかった。青ヶ島に近づくと、突然、もやの向こうに黒い島影が現れた。近づくにつれ、断崖に囲まれた島の姿が目に胸に飛び込んでくる

 海からはるかに高く、山の頂に張り付くような集落の姿が見えてくる。島全体が海から突き出た火山島の二重カルデラの頂上部分にあたり、集落は外輪山の外側に位置している

 島の北側にあるヘリポートに到着。ヘリの向こうに金毘羅神社の屋根が見える。いうまでもなくこの写真は僕が着陸した瞬間ではなく、降りてから、八丈島に向け飛び立つところを撮ったもの

 ヘリからの荷物下ろしを手伝うお巡りさん。ここは東京都であるからして、警察官も当然、警視庁の人である。右の写真はヘリポートに建つオフィス。出発時のチェックインも荷物&身体検査もこの中で行う

 島には現在、5、6軒の民宿がある。ちょっとした食べ物を買える小さな商店2軒と、夜になると営業する居酒屋みたいなものはあるけれど、いわゆる食堂はないから、基本的にどの宿も3食付き。今回泊まったのは民宿「アジサイ荘」というところで、こうした離島の例に漏れず、ヘリで到着すると宿の人が車で迎えにきた。ちなみに車は、品川ナンバー。ここはやっぱり東京都である。

 島の北海岸、集落に近い神子ノ浦の断崖。何度もいうように周囲は絶壁なので、島では(港を除き)どこから見ても海が遠い。ただし、はるか眼下の海岸の水は、この高さから見下ろしても底が透き通るほどに美しい

 集落の中も起伏ばかり。平らな道などほとんどない。バスもタクシーもない。レンタカーは1軒あるらしいが、宿の人に頼めば観光スポットなどへの送り迎えをしてくれるし、宿によっては車を貸してくれるところもある

 ヘリポートからアジサイ荘へ向かう道には郵便局あり(写真中央左の白い建物)、居酒屋あり(看板などは出ていないが)、商店ありで、たぶんこの島のメインストリートのひとつだと思う

 (左)青ヶ島郵便局のスタンプ。上に二重カルデラ、下に船が着く三宝港とカルデラ内部に群生地があるオオタニワタリが描かれている(上)小中学校や村役場の近くに島で唯一の信号がある。車の通行はほとんどないので、子どもたちの交通教育のために設けられているという側面が強いのは、他の離島と同様のこと

 人口200人程度の、日本でもっとも人口が少ない自治体・青ヶ島村。郵便番号は千代田区と同じ「100」で始まり、住所地としては島全体が「東京都青ヶ島村無番地」。村役場の前には「伊豆諸島東京都移管百年記念碑」が置かれている

 今回お世話になった民宿「アジサイ荘」。写真は新しく建てられた新館で、内部は食堂も部屋もとてもキレイ。隣に、風情のある(という言い方でいいだろうか)旧館があり、人数が多い場合はそちらに泊まることになるようだ

 次回は青ヶ島後編、島を形づくる二重カルデラをお送りします。

HN:
上原健二
性別:
非公開
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