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日帰りで楽しむロンドン郊外の街 (7) ローマ人が築いたイギリスの温泉地
バースはロンドン(パディントン駅)から南西へ約1時間半、ロンドンに継ぐイングランド有数の観光地です。18世紀の美しいジョージ王朝時代の街並みが完全に保存されていることから、街全体が世界遺産に登録されています。この街の建築物はバース・ストーン(この地方で採れる乳白色の石灰岩)で統一され、その街の明るさに目を奪われることでしょう。イギリスの街というよりも、フランスのようなヨーロッパ大陸の都市と似た優雅な雰囲気が漂う街です。観光地のためか物価はロンドン並みに高め。優雅でポッシュな街・バースは「一度住んでみたい」、そんな気にさせられる街です。
観光客で賑わうバースの街並み
オープンカフェで楽しむ人々。夏の風景の1コマ
バースの見所の多くは最寄りのバース・スパ駅(Bath Spa Station)の北側に点在し、街の南端のバース・スパ駅から北端のロイヤル・クレッセント(Royal Crescent)までは歩いて約30分の距離にあります。エイヴォン谷に開けているため、平坦な街が多いイギリスにしては珍しく、アップダウンの激しい街。でも、ちょっと高い場所にのぼるだけでバースの街並みを見渡すことができますよ。
バースの歴史は古く、紀元前44年まで遡ります。この地に湧き出る温泉に魅了されたローマ人によって古代都市、アクア・スリスが築かれ、現在のローマン・バース博物館(Roman Baths Museum)のある場所に神殿と大浴場が建設されます。その後、ローマ人の撤退に伴ってバースの街も一時衰退しますが、18世紀に温泉の医学的効能が広く知られるようになると、前回ご紹介したブライトンと並ぶ、上流階級の温泉保養リゾート地として発展しました。
早速、バース観光の一番のハイライト、ローマン・バース博物館へ立ち寄ってみることにしましょう。温泉跡ローマン・バースには現在もなお、温泉がこんこんと湧き出ていて、その量は1日約125万リットルになるともいわれます。今は緑色のお湯を湛えているのですが、入浴することはできませんが、このローマン・バースを中心に博物館が作られ、館内では神殿の模型なども展示されています。パンプルーム(Pump Room)と呼ばれるティールームでは、ランチやお茶を楽しめるほか、43種類のミネラルが含まれているという飲料用の鉱泉を飲むことができます。バースという地が英語のBath(風呂)の語源になったという説もありますが、風呂を意味するゲルマン古語から地名がつけられたというのがどうやら本当のようです。
ローマン・バース博物館の入り口付近
2階のテラスから見下ろす、ローマン・バース(浴場跡)
今は何体もの銅像があるだけが、かつてはこの上に天井があったという(2階)
写真からは分かりにくいが、ローマン・バースからはうっすらと湯気が立ちあがっている(1階)
サウナ兼着替え室として使われていた部屋(1階)
とはいえ、イギリス国内にはバース以外にもいくつか温泉地がありますが、バースはなんといってもその代表格。そんな元祖温泉地の名誉をかけて、バースは街をあげて大規模な天然温泉スパ、サーメ・バース・スパ(Thermae Bath Spa)を建設しました。ロンドン・ヒースロー空港にも携わった建築家、ニコラス・グリムショウによって設計されたこの近代的なスパは、2006年に街の中心部にオープン。近年のイギリスの健康・リラクゼーションブームに応えるべく、ガラス張りの4階建ての建物には何種類もの温泉、プールが完備され、マッサージ、アロマセラピーといった女性向けのサービスや宿泊プランなどもあります。
温泉街バースは「スパ・シティー」と呼ばれている
次に、そのお隣のバース寺院(Bath Abbey)へ。現在の建物は1499年に再建工事を開始し、1616年に完成したものですが、その前身はブリテンとの戦いに負けたローマ軍が去った後に破壊された建物の石で建てられたものでした。なかでも寺院の大窓両側のはしごを昇る、天使の装飾は必見! これは当時の司教オリバー・キングが、天国と地上の間のはしごを上る天使の夢を見た際に「寺院を再建せよ」との神のお告げがあったことから造られたと言われています。
(左)ローマン・バース博物館の隣にそびえ立つ、バース寺院(上)天国までのはしごを上る天使の装飾(バース寺院)
ジェーン・オースティン・センター。当時の格好をした女性が目印
また、18世紀後半の女流作家、ジェーン・オースティン(Jane Austin)縁の地として、バースを知る人も少なくないのではないでしょうか。バース寺院からゲイ・ストリート(Gay Street)へ抜けると、その通りに面してジェーン・オースティン・センター(Jane Austin Centre)があります。彼女は1801年~1806年にかけてバースに住み、館内では彼女が生活していた当時の街の様子や、衣装、家具などが展示されています。代表作で映画にもなった、『高慢と偏見(Pride and Prejudice)』、『分別と多感(Sense and sensibility)』はあまりにも有名ですが、その他にも『ノーサンガ・アベイ(Northanger Abbey)』などのバースを舞台とした小説を残しています。ジェーン・オースティンの世界にドップリ体感したい方におすすめです。
ゲイ・ストリートの突き当たりは、ザ・サーカス(The circus)と呼ばれる円形の街路になっています。ロンドンのピカデリー・サーカス(Piccadilly circus)でもすっかりおなじみになっていますね。ザ・サーカスを左に折れると、三日月型に弧を描く、優雅で美しいジョージア調の建築物、ロイヤル・クレッセント(Royal Crescent)が見えてきます。小高い丘の上にある全長180mもあるこの建築物群はパッラーディオ様式で、かつて上流階級の個人別荘でしたが、現在は超高級マンションとなっています。30軒もの家が連なる、究極のデタッチト・ハウス(Detached house)といえるかもしれません。この建物の1つはナンバーワン・ロイヤル・クレッセント(No1 Royal Crescent)として博物館になっており、当時の生活様式などを垣間見ることができます。
小高い丘に立つロイヤル・クレッセントからは美しいバースの街を一望できる
ところで、バースは世はザ・サーカスの東側にあり、現在は博物館となっています。界で最初に切手を貼った手紙が投函された場所としても有名で、当時の郵便局はザ・サーカスの東側にあり、現在は博物館となっています。
バース周辺には、ストーンヘンジなどの古代遺跡や、ソールズベリーなど歴史豊かで魅力的な街が点在しています。第5回で紹介したコッツウォルズ地方の南端とも接しているため、コッツウォルズにも寄れると思います。
次は、シェイクスピア縁の地、ストラットフォード・アポン・エイボンを訪れます。
イベントもエステも夕食もチョコレート尽くし! –ベルギー5日間の旅、発売
日本旅行は、インターネット限定プランとして「ベルギー・チョコレートの旅 ブリュッセル5日」、「ベルギー・チョコレートの旅 ブルージュ5日」の2コースを発売した。
「PLANET CHOCOLA」でおいしいチョコを作ろう
両コースはどちらとも、”チョコレートの本場”と言われるベルギーで、チョコレートの魅力が堪能できる内容だ。「ベルギー・チョコレートの旅 ブリュッセル5日」では、チョコレートの名店「PLANET CHOCOLA」にてチョコレート作りを体験できる。同店は、エキゾチックな商品を作り出すことで有名で、今回は香辛料や花を使った珍しいチョコレートを作る予定だという。なお、体験の際には日本語ガイドが付く。
出発日は、2009年1月21日~3月31日。料金は、1人10万7,900円~17万1,900円となっている(燃油サーチャージは含まれない)。
また「ベルギー・チョコレートの旅 ブルージュ5日」では、2日目に毎年2月~3月に開催されるチョコレートフェスティバル「Choc’in Brugge」へ。2009年で4回目を迎える銅イベントでは、チョコレート博物館「Choco-Story」を見学できるほか、チョコレートのティスティングを楽しみながら、世界遺産の街を巡れる「チョコレートウォーク」に参加可能だ。
チョコレートフェイシャルトリートメントで癒しのひとときを(※いずれも写真はイメージ)
さらに、エステは、約75分間のチョコレートフェイシャルトリートメントを体験。独特の甘い香りに包まれ、身も心も優しく癒されることだろう。また夕食は、有名店のオリジナルメニュー「チョコレートメニュー」を堪能できる。
同コースの出発日は、2009年2月2日~3月24日。料金は、1人16万9,900円~22万7,900円となっている(燃油サーチャージは含まれない)。
日本の「端」を巡る旅 (24) 佐渡(1)–日本海に浮かぶ巨大な国境の島
早朝、カーフェリーで佐渡に向かう
前回までの八丈島は、流人の島として名高い。そして佐渡も、順徳上皇、日蓮、世阿弥(観世元清)をはじめ、古来多くの貴人が配流されてきた島だ。それと同時に、他国の横暴により外へ出て行かざるをえない状況を強いられた人が暮らす島でもある。
昨今、佐渡と聞いて思い浮かぶことは何だろう。何人かに尋ねてみた。いわく、「寒そう」とか「寂しそう」とか「波が荒そう」とか、あるいは「トキ」とか「たらい舟」とか。返ってきたのはそういったあたり。それともうひとつ、この島で北朝鮮に拉致された曽我さんだったりする。
北朝鮮拉致被害のことを考えるとなおさら思い至るのは、やはり佐渡は日本の端であるという事実だ。この連載では、単なる東西南北の四端だけを機械的に日本の端と規定することはしない。それは4つの角にすぎないのであって、その4つの角を結ぶさまざまな地点にも、いくつもの端がある。
日本海の只中に浮かぶ佐渡島も、まちがいなく「端」のひとつである。そして、地図的にという話だけでなく、先ほど挙げた過酷な事件からも、まさに緊張のラインにさらされた国境のそれを痛切に感じさせる。
2008年11月、数年ぶりに佐渡を再訪した。冬へと突入していく直前の隙間で、山々が赤に黄色にやわらかく染まる季節である。
新潟からの佐渡汽船が入港する両津の町と、背後にそびえる大佐渡山脈。右側の高い山が佐渡最高峰の金北山(1172m)、左端の頂上に白い建物がある山が妙見山(1042m)。後述するように、ともに”国境”と深い縁のある山だ
前述したように、佐渡というと日本海に浮かぶその位置から、寒いイメージがあるかもしれない。もちろん東京と比べたら寒いけれども、実は暖流である対馬海流の影響から、新潟県の本州側よりも冬の気温は若干高いのである。平地では積雪もあまりない。ただし日本海から吹きつける風は強く、海は荒れる。今回は、その冬を迎える前の季節。佐渡を訪れた数日は、総じて天候が穏やかで、波も静かだった。
信濃川の河口・万代島に位置する新潟港の佐渡汽船ターミナルから、午前6時発の両津港行きカーフェリーに乗船。11月中旬の平日の早朝に佐渡へ渡る人なんぞほとんどいないだろうとタカをくくっていたけれど、意外にも待合室には乗船客が次々と集まってくる。
佐渡汽船ターミナルのロビーにて。佐渡の世界遺産登録をめざす横断幕が張られている。午前5時半に到着したとき、すでに食堂やそば屋は営業していた
佐渡へのアクセスルートは現在船便のみ。新潟空港と結ぶ空路の定期便もあったが、利用者が少なく、訪問直前の9月末に廃止された。佐渡行きの船便は新潟県内の3つの港、新潟、寺泊、直江津から出ている。新潟は佐渡の中心地である両津と、寺泊は赤泊と、直江津は小木との間に定期航路を運航。便数がもっとも多い新潟‐両津航路は、カーフェリーとジェットフォイルが就航している。
朝6時に出航したカーフェリー「おけさ丸」は、信濃川河口を下ってすぐさま日本海に出る。出航して30分、本州の山並みの向こうから美しい太陽が昇ってきた。日の出にしばし見とれて振り返ると、船の進むその先にはもう、巨大な佐渡の島影がうっすら見えてくる。
夜明け間近、信濃川河口から出発。中央が佐渡汽船のターミナルで、その右の高い建物は朱鷺(とき)メッセ
新潟・福島県境の飯豊連峰から朝日が昇ってきた。両津までカーフェリーだと片道2時間半。ジェットフォイルなら1時間で着くが、カーフェリー2等とジェットフォイルでは運賃が倍以上違う
早朝出発の便ということで、2等船室に入った乗客のほとんどはすぐさま寝に入っていた
両津航路は国道350号の海上区間。新潟‐両津の距離は約67kmだ。本州・佐渡間の最短航路は寺泊‐赤泊で、46km程度
景勝地の只中にレーダー基地がある現実
午前8時半、両津港に到着。2004年、いわゆる平成の大合併で佐渡島内の全市町村が合併し、佐渡市が誕生したが、それまで佐渡唯一の市として中心都市の役割を果たしていたのがこの両津である。
佐渡は、本土四島と北方領土の択捉島・国後島を除くと、沖縄本島に次いで日本で2番目に大きな島だ。面積は約855平方kmで、東京23区の1.4倍ほどもある。宇宙から眺めた姿は、カタカナの「エ」を右上方向にグイっと引っ張ってひしゃげたような形。エの上の横棒に1000m級の峰が連なる大佐渡山脈が、下の横棒に小佐渡と呼ばれる丘陵のような山地がそれぞれ横たわっている。そして縦棒の位置には、島の中とは思えない景観を見せる国仲平野が広がる。
両津港の佐渡汽船ターミナル。「おけさばし」の名が見えるが、佐渡ではどこに行っても「おけさ」の文字に出会う
停泊中の船が、新潟から乗ってきた「おけさ丸」
大佐渡山脈の尾根を走る大佐渡スカイラインから眺めた両津。向こうが両津湾で、手前の水域は加茂湖である。両津の町は海と湖を隔てるように延びた砂州の上につくられた
佐渡はなにせ広い島だから、車がないと効率的に回るのは厳しい。両津はエの字の縦棒の右、つまり東(より正確にいえば北東)側に位置している。レンタカーで両津から北上し、国境の海に面した北海岸へ向かうことにした。
内海府(北東海岸沿い)を北へ1時間弱、まず着いたのが佐渡の最北端である弾崎(はじきざき)。そこから外海府(北海岸)を伝い、二ツ亀、大野亀と呼ばれる巨大な岩や、佐渡を代表する景勝地・尖閣湾などを数時間かけ巡っていった。
佐渡島最北端に位置する弾崎。灯台守の暮らしを描いた映画『喜びも悲しみも幾歳月』の舞台のひとつともなっている
北海岸の奇勝の代表、二ツ亀(左)と大野亀(右)。亀は岩を意味している。夏場に海水浴やキャンプで賑わう二ツ亀は、干潮時に島とつながり、満ちてくると離れる。大野亀は、初夏にカンゾウの花が群生する地として有名
日本海に落ち込む山裾と目の前の海に挟まれた狭い土地に、いくつもの集落が点在。新潟本土に比べて気温が穏やかな佐渡だが、国境の海に面した北海岸は気象条件が厳しい地域だ
海に落ち込む奇岩が海岸美を織り成す尖閣湾。ノルウェーのハルダンゲル・フィヨルドに景観が似ていることから、その名前を直訳して名づけられたのだとか。映画『君の名は』のロケ地のひとつとしても知られる
尖閣湾から西海岸・相川の町へ向かう途中の海沿いに立つ、鎮目市左衛門惟明の墓。甲州出身の彼は、佐渡で奉行を務めた。なにげに筆者の友人のご先祖様なのである
それぞれの岬に立つと、この穏やかな海の遠く向こうに大陸が……と緩やかな情緒をともなって感じさせられる。しかしそれも、気候も海も穏やかな季節の昼間だからだろうか。冬には、また夜には、まったく異なる緊張感をきっと覚えることだろう。
なにせこの北海岸は、目の前の国境の海と、背後に連なる大佐渡山脈の峰々に挟まれた地。そして大佐渡の主峰・金北山の頂には、国境を見つめる自衛隊のレーダー基地が置かれ、妙見山にも自衛隊の新たなレーダー基地が建設中である。大陸の国々に対して、日本のフロントとなる佐渡の特殊な位置を実感させる。
左が金北山の山頂に築かれた城砦のようなレーダー基地。そして右は妙見山頂で建設中のレーダー施設である。妙見山の施設に関しては、軍事上の危険性はもちろんのこと、景観や世界遺産登録推進の問題も絡んで地元で議論が紛糾した
大佐渡スカイラインから眺めた、佐渡のパノラマ写真。中央が国仲平野、右(西)の海が真野湾で、向かいの山地がエの字の下の横棒・小佐渡山脈。この位置からだと両津湾は左の山陰にある
次回は佐渡後編、都文化の影響を受けた海産物と酒の国、をお送りします。
観光庁ら、「2009 日本香港観光交流年」の実施を発表–経済効果に期待大
国土交通省観光庁と、日本政府観光局、香港特別行政区政府駐東京経済貿易代表部、香港政府観光局は、2009年1月1日~2009年12月31日までを「2009 日本香港観光交流年(以下、観光交流年)」とすることを31日、発表した。
本保芳明氏
10月に開設された観光庁にとって、今回が同庁初の観光交流年の実施となる。第1の施策として香港を選んだ理由について、観光庁長官の本保芳明氏は「2009年は、香港特別行政区のパスポート所有者に対し、90日以内の観光目的とした短期滞在の訪日査証が免除されてから5年目という節目。また、本年9月時点での香港からの訪日数は前年同期比の34%増と、重要市場の中で最大の伸びとなっている。さらに日本にとって、香港は第4位、香港にとって日本第3位の大きなマーケット。この位置づけは両政府にとって重要な目的地であると同時に、努力により効果が期待できると言える。良い協力体制を築いて経済効果を期待したい」とし、観光交流年も「香港だけに絞る」と明言した。
ジェニー・チョック氏
香港特別行政区政府駐東京経済貿易代表部のジェニー・チョック氏は「10月1日に日本で観光庁ができ、観光促進において最初のパートナーに香港を選んでいただいたことを光栄に思います。過去5年間を見ても、訪日渡航者数は29万人(2002年)から43万2,000人(2007年)と推移し、49%増という高い数字をだしている。交流年の2009年は観光促進・文化交流の基板が出来上がるだけでなく、観光以外面でもパートナーとなり、相互にメリットをもたらす関係になれれば」と語り、香港の商品力強化に注力することを示した。
「2009 日本香港観光交流年」のロゴマーク
観光交流年は、1月に香港で、2月に東京でオープニングセレモニーを開催。文化交流イベントとしてスピーチコンテストを行うほか、7月には東京で香港フェアとして「香港ウィーク」を、香港では日本のトレンドショーとして「トレンドエキスポ09香港」を催す予定だ。日本と香港の共同ロゴ、ポスターはすでに作成されており、コンセプトは「Sharing Smiles,Shaking Hands」。心を開き、双方の人々と「つながろう」と思う気持ちが生まれることを願ったものとしている。
香港からの訪日旅行者数の飛躍的な伸びに関して、日本政府観光局の間宮理事長は「相対的にまだ為替が日本周辺諸国と比べて強いことと、航空券も日本で購入するより(香港で購入する方が)安く、燃油サーチャージもそれほど高くない。日本は四季の変化や”食”文化など多様性があるので、大変魅力的に写っている。その結果では」と述べた。
右から本保芳明氏、ジェニー・チョック氏
キャセイパシフィック航空グループ、年末年始チャーター・臨時便投入を発表
キャセイパシフィック航空グループはこのほど、年末年始期間において、香港行きのチャーター便・臨時便を運航すると発表した。設定期間は、12月30日から2009年1月3日まで。今回運航が発表された数は、計6本12便。チャーター便は、キャセイパシフィック航空が羽田・仙台・広島-香港間にて各1本、香港ドラゴン航空が北九州-香港間で1本となっている。また臨時便は、キャセイパシフィック航空が福岡・札幌-香港間にて各1本運航する予定だ。
各便では、キャセイパシフィック航空が総座席数311席のエアバスA330-300型機、香港ドラゴン航空が157席のエアバスA320-200型機を使用していく。キャセイパシフィック航空では、すでに2008年4・5月と繁忙期にチャーター便を運航しており、今回は第3回目の投入となる。
香港ドラゴン航空が投入する「A320-200型機」
キャセイパシフィック航空が投入する「A330-300型機」
詳細な運航スケジュールは、以下の通り。
チャーター便スケジュール
CX8507仙台香港14時30分/19時5分12月30日CX8506香港仙台13時/18時1月2日CX8537広島香港12時35分/15時25分12月30日CX8536香港広島15時30分/19時40分1月2日CX8501羽田香港24時1分/4時10分12月31日CX8500香港羽田1時5分/6時1月3日KA8681北九州香港14時5分/17時5分12月30日KA8680香港北九州13時15分/18時5分1月2日臨時便スケジュール
CX2581札幌香港16時10分/20時50分12月30日CX2580香港札幌10時30分/16時1月3日CX2591福岡香港12時/14時55分12月31日CX2510香港福岡13時/17時10分1月3日