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競争制度で集客向上
高松市・丸亀町商店街の北端、A街区の再開発ビル内にある和菓子店「松風庵(しょうふうあん)かねすえ」は、朝から晩まで客足が絶えない。地元では知られた名店だ。
看板商品は、四国産サツマイモと希少糖などを練り、きんつば風に焼き上げた「唐芋きん」。1個120円の安さながら、店の1坪当たりの売上高はビル内の海外ブランド店をもしのぐ。買いに来た女性は「高松らしいお菓子で、贈答品としても喜ばれる」と話す。
出店したのは1967年。社長の包末招(かねすえもとむ)(76)は「丸亀町に店を出すのは、市議になるより難しいと言われていた」と笑い、一等地に店を構える誇りをにじませる。この3月、出店競争の激しい東京・羽田空港のターミナルビルにも進出した。実は、再開発前からの数少ない「生き残り組」である。
2006年の再開発ビル完成時、入居する店には業種ごとに売り上げの下限が設けられた。下回ると3~5年ごとの契約更新時に営業権を失う仕組みだ。
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もともとA街区にあった店は21店。このうちビルに移ったのは6店だけで、多くの高齢の経営者たちは厳しい「競争制度」を前に引退した。契約更新を経て今では「かねすえ」など3店にまで減り、入れ替わる形で14店が新規参入した。
下限設定の狙いは、店の入れ替えによる集客力の向上。高松丸亀町商店街振興組合の理事長、古川康造(58)は「厳しいようだが、競争力のない店は交代してもらう。店の新陳代謝こそ今までの商店街になかった機能だ」と言う。実際、A街区の昨年の売り上げは26億円で、再開発着工前(03年)の2・4倍に増えた。
だが、この仕組みが課題も生み出した。再開発ビルは、商店街にA~Gの七つある街区ごとに、商店主でもある地権者が組合を作って建てる。「ビルに移っても売り上げを達成できるかわからない」と、足並みがそろいにくいのだ。
ビルはA、B、C、Gの4街区で建ったが、中には意見がまとまらず、一部の地権者だけでビルを建てた街区もある。残るD~Fの3街区(地権者は各街区とも約20人)では着工の見通しさえ立っていない。
高松らしさが薄れた、との声も出てきた。
新規参入組には、カジュアル衣料の「GAP」や紀伊国屋書店など名の通った店が多い。商店街南端のG街区では12年、六本木ヒルズで知られる不動産大手の森ビル(東京)がかかわったビルが完成し、全国ブランド店はさらに増えた。
「時代に応じた変化は商売の宿命。ただ、東京のような街並みになった商店街に寂しさも感じる」と、D街区で洋菓子店を営む千切谷(ちきりや)多一朗(72)は言う。
高松らしさとは何か。その模索が始まっている。
商店街のほぼ中央、C街区の再開発ビルにある雑貨店「まちのシューレ963」では毎月、江戸時代から高松に根付く茶の湯文化を知ってもらおうと、茶会が開かれている。店内には、地場産品を使った加工食品、地元作家の手がける漆器やガラス製品などが並ぶ。
店ができて4年あまり。店を運営する社団法人の専務理事、水谷未起(みき)(46)は「地域の生活文化を発信することは、商店街の大切な役割です」と言う。
神戸出身の水谷は、ファッションビル「渋谷パルコ」などで14年にわたり店舗運営を担った。東京は流行のサイクルが短い。話題性がなくなればすぐ新しい店に入れ替わる。06年、古川らの誘いで高松に来て、「生産者と消費者が、長い時間軸の中で互いに良くなっていく関係を作れるのでは」と思うようになった。
東京で結婚し、マンションも買ったが、「自分のまち」という感覚はなかった。今は違う。「地に足をついて生活する安心感を持てるようになった」。東京にはない魅力に気付いた。
高松らしさを追求しながら、生産者と消費者の関係を作る――古川らも新たな挑戦を始めようとしている。(敬称略)
◇景況感「衰退」最多
中小企業庁が全国8000商店街を対象にした実態調査(2012年度)で景況感を聞いたところ「衰退している」が43%と最多で、次いで「衰退の恐れがある」33%と厳しい現状が示された。「繁栄している」はわずか1%だった。
客足が減った理由(複数回答)は、「魅力ある店舗の減少」55%や「業種・業態の不足」52%で、「大型店の進出」50%を上回った。消費者ニーズをつかむ商店街の努力が問われている。
同庁は14年度、店舗の集約や空き店舗への出店誘致など、商店街の新陳代謝を促す取り組みを補助する制度を創設した。
連載へのご意見や情報をお寄せください。〒530・8551読売新聞大阪本社「ふるさと あしたへ」取材班。ファクスは06・6361・0733、メールはosaka2@yomiuri.com
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復興一日も早く・・・ 被災地へ援金
◇徳島インディゴソックスの選手
野球の独立リーグ・四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスの選手が27日、徳島市庄町の日本赤十字社県支部を訪れ、選手たちが11日に募った東日本大震災の被災地への義援金を届けた。
贈呈式には、被災地・岩手県出身の高橋祥、卯名根口東両選手が参加。藍住、北島両町の商業施設で集めた計約8万9000円を、同支部の小森将晴事務局長に手渡した。
式後、高橋選手は「復興が進み、一日も早く元通りの古里に戻ってほしい」と述べ、卯名根口選手は「僕たちが活動を続けることで、少しでも多くの人たちに被災地のことを思い出してもらえたら」と話した。
「ノンアル」ワイン発売 さぬきのワイナリー
◇渋味にオリーブの葉
さぬき市小田のさぬきワイナリーは27日、香川大が開発したブドウ「香大農R―1」を使ったノンアルコールワインを発売した。
アルコール分を生成しないよう、粉砕したブドウの皮と種に水を加え、糖度を下げて発酵させた。小豆島産のオリーブの葉と、さぬき市産の桑の葉の粉末を加えて赤ワイン独特の渋味を演出し、ブドウ果汁とブレンドして仕上げた。
「香大農R―1」は、抗酸化作用のあるポリフェノールがワイン用普及種の2~3倍多いのが特長。ワイナリーはワイン、ジュースに続く第3弾として、徳島文理大の協力を得てノンアルコールワインを開発。「さぬきRED」の統一ブランドでPRする。
限定300本で、500ミリ・リットル入り1620円(税込み)。竹中剛工場長は「思った以上にワインに近い味に仕上がった。次のブドウができる頃には増産体制を整えたい」。ワイナリー併設の物産センターで販売している。
紀伊水害風化させない 田辺・伏菟野 復興記念碑建立へ
- 仮設住宅の前で鍵を返却する真砂さん(右)(左奥に写るのが復旧工事が進む土砂崩れ現場)=田辺市伏菟野で
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2011年9月の紀伊水害で、仮設住宅での生活を余儀なくされていた田辺市伏菟野(ふどの)地区の2世帯7人が27日、仮設住宅を退去したことで、同地区の復興は一区切りを迎えた。地区では「災害の記憶を風化させてはならない」と4月、現地に復興記念碑を建てるのに加え、災害記録冊子も発行する。同地区の仮設住宅の解消にめどが立ち、これで紀伊水害に伴う県内の仮設はゼロとなる。
この日は、仮設暮らしを続けていた農業打越章介さん(66)と、主婦真砂幾子さん(64)が市に鍵を返還した。
真砂さんは「毎日、現場の復旧工事の進み具合を気にしながら暮らしてきた。これで、やっと自分の家で落ち着ける」。打越さんは「他の地区で家を探したこともあったが、やはり、古里は離れられなかった」と感慨深げだった。
地区では昨年秋、砂防工事が進む現場に、復興のシンボルとして植えた桜の若木が花を咲かせ始めた。来月には、近くに建てられる復興記念碑の除幕式が予定され、災害記録冊子も完成するという。
鍵の返還に立ち会った区長の谷口順一さん(65)は「災害の記録を残し、教訓にしなければ。同時に、明るく元気な伏菟野再建の取り組みを進めたい」と話した。
御園座モダンに 起工式 「なまこ壁」継承
- (上)新御園座ビルの完成イメージ。隈研吾氏がデザインを監修=積水ハウス提供(下)地鎮祭でくわ入れする長谷川栄胤社長(右)ら
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名古屋の老舗劇場、御園座は27日、積水ハウスと共同で建設するマンション併設の新劇場ビルの起工式と地鎮祭を行い、新ビルのデザインを発表した。総工費は約300億円で、4月1日に着工し、2017年12月の完成を目指す。
起工式では人間国宝の歌舞伎俳優、坂田藤十郎さんが「東と西の中間にある御園座で評判を取れば大丈夫と言われてきた。新しく生まれ変わるのは素晴らしい」と述べ、会場を沸かせた。
新ビルは高さ150メートルで地上40階建て。デザインは歌舞伎座を設計した建築家、隈研吾氏が監修し、御園座で使われていた黒地に白い漆喰(しっくい)を施した「なまこ壁」の意匠を用い、玄関部分は明るい朱色を基調とした。2~4階が新劇場、5~40階が分譲マンション(304戸)となる。新劇場は旧館より2割少ない1298席で歌舞伎だけでなく、ミュージカルやオペラにも対応する。2階には、演劇図書館を設け、歌舞伎の台本や絵番付(プログラム)など貴重な資料を展示する。